川端康生

川端康生

最近の記事

  • 固定された記事

長いプロフィール

http://www.teamknet.com/historytop.htm から移植(書いたのは2000年の1月ごろ。以後、年末に追記) history 1965.1.3 大分県中津市・福沢諭吉の生家近くで誕生。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。諭吉が独学した土蔵の印象は深い。  物心つく前に数回の引越を経て、中津から福岡へ。最古の記憶の家は、福岡市大手門の狭く暗い一間のアパート。汲み取り便所とバキューム車の残像が強烈に残っている。その後、大名第二公団に入居。

    • 2002年ワールドカップ旅日記

       今日行われる日本代表対チュニジア戦が、20年前と同日同地ということで、「2002年ワールドカップ」の取材スケジュールを、もう稼働していない個人ホームページで確認してみました。 <韓国→関空→長居>と移動して見た記憶だったけど、前日は大分でメキシコ×イタリア。別の長居でのゲームと混同していたようです。  それにしてもかなりの強行軍。いま改めて旅程を眺めてみても、楽じゃないけど楽しそうな1ヶ月だなと思います。  取材スケジュール  http://teamknet.com/wcs

      • 中学1年生からの44年間

        僕と同じ年、同級生だ。 44年前の今日、福岡市の中学1年生だった僕は学校が終わるといつものように家に帰り、母親の作った夕食を食べ、新潟市の中学1年生だった彼女は部活動の帰りに行方不明になり、そのまま家に帰ることはなかった。 拉致が明らかになり、報道によって同級生であることに気づいた後、一度現場を訪れてみたことがある。 とりたてて寂しくて暗い道ではなく、人家が並ぶ普通の道だった。この普通の通学路を、いつものように家に向かっている途中で・・・と当時の自分に置き換えて想像してみて

        • ゲルトミュラーさんが亡くなった

           ゲルト・ミュラーさんが亡くなりました。  僕が初めて知った外国のサッカー選手でした。  もちろんペレは知っていたけど、それは名前を知っていただけ。要するに「サッカーの神様と呼ばれる偉大で有名な人」という一般的な情報を知っていただけでした。  けれど、ゲルト・ミュラーには あんなふうにプレーして、あんなふうに点を取るんだな、と自分なりの感想を持った記憶がある。  まだ当時の僕には、うまいかどうかは判断できなかったし、他のストライカーと比べるほどの知識や情報もなかったけど、そ

        • 固定された記事

        長いプロフィール

          自由(と自立)について(仮)

           東京五輪が閉幕したので何かまとめ的なものを、と思ってこちら(→スポーツと自由と自立について)を書いたのですが、途中まるっと削除することにしたので、消してしまうのもナンだし、ここにポストしておくことにしました。  もともと「自由と自立」について、いつか書こうと思ってたので、その(仮)です。いつかいつかちゃんとリライトするつもりです。 自由について  自由とは「自分で決めること」と僕は規定しています。  ただし、「自分で決める」とは「自分で決められる」ことであると同時に、「

          自由(と自立)について(仮)

          「今日から新年度」の日に。

           今年も「今日から新年度」の日がやってきた。  実は僕にとっては、世間離れしている自分を年に一度思い知らされる日だったりする。勤めていたり、家族がいたりすれば、当然訪れる節目なのだろうが、「一人仕事・一人暮らし」の僕はもう長らくそんな日を迎えていないからだ。  新年度も、新生活も、遥か彼方である。  最後の「新年度」はいつだろう……と考えて、19歳の春の日記をめくり返してみた。  1984年、昭和で言えば59年。この春、僕は大学に入学し、上京して、新年度と新生活を迎えた。

          「今日から新年度」の日に。