2002年ワールドカップ旅日記
今日行われる日本代表対チュニジア戦が、20年前と同日同地ということで、「2002年ワールドカップ」の取材スケジュールを、もう稼働していない個人ホームページで確認してみました。
<韓国→関空→長居>と移動して見た記憶だったけど、前日は大分でメキシコ×イタリア。別の長居でのゲームと混同していたようです。
それにしてもかなりの強行軍。いま改めて旅程を眺めてみても、楽じゃないけど楽しそうな1ヶ月だなと思います。
取材スケジュール http://teamknet.com/wcsche02.htm
ついでに当時書いていた旅日記も読んでみました。懐かしさはもちろん、20年の間に「変わったこと/変わらないこと」の確認という意味で個人的に面白かったし、サッカー的に、社会的に、テクノロジー的に起きた変化が感じられる興味深い部分もありました。
保存もかねて個人サイトから移植しておきます(個人サイトだし、時間的体力的制約の中で書き殴っているので乱文拙文・誤字脱字多いです)。
[W杯旅日記 0] 旅の始まりに 02.5.30
いよいよワールドカップが始まります。僕たちの代表が世界と戦うワールドカップ、そして僕たちの国に世界がやってくるワールドカップです。
これから1ヶ月、日本代表チーム、そして各大陸の代表チームの戦いに興奮することはもちろん、日本のあちこちで、また韓国のあちこちで、日本人として新たな経験とも出会うことになります。
とにかく「有史以来」(少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、1ヶ月という限られてはいるけど、決して短期ではない期間に、これだけの外国人、それもアメリカやイギリスなどの先進国ばかりではなく、世界の隅々から様々な文化や宗教や人種の人々がやってきて、しかもそれらの人々はコンペティション<勝利を目指した戦い>によってエモーショナルになっているわけで、こんなことはこれまでもこれから先も、この国で起きるかどうかわからないと思います)の一ヶ月を体験することになるわけで、僕自身いまからワクワク(期待)とドキドキ(不安)でいっぱいです。
もちろん、そのワクワクとドキドキには、大会期間中だけでなく、このワールドカップを経て、日本という国の長所短所が、世界との接点によって見えてくるだろうし、また、これから先の日本にとってのターニングポイントになり得るかも、という未来への思いも含まれています。
僕だけでなく多くの人がそんな期待感をこめて、このワールドカップを見守っています。そして、いま現在そんなことまで思いを巡らせていない人も、大会期間中の経験――ハッピーな経験も、苦々しい経験も、心温まる経験も、わずらわしい経験も――によって、もしかしたらそんな視点をもつことになるかもしれない。
ワールドカップとは、それほどの可能性をもつものなのです。
少し話はそれますが、つい最近印象的なフレーズに出会いました。「読書は旅に似ている。物語を読んでいる間、人は自分とは違う存在になって、物語を旅している。だから僕は旅をしている間は読書をしない」というもの。池澤夏樹氏の文章でした。
僕なりに意訳させてもらえば、旅をしている間は旅に浸り、読書をしている間は読書という旅に浸る、ということだと思います。
翻って、ワールドカップも旅に似ています。各大陸予選は本大会の1年以上も前に始まり、日韓にやってくるチームにとっては、この大会はその旅の最終目的ということになります。
開催国で予選が免除された日本にとっても、4年前に始まった旅の、やはり総決算。それはチームとして強化の旅であり、個人にとってはメンバー入りをかけた旅でもありました。
観戦者にとっても、これまでワールドカップはまさしく旅でした。開催国を訪れるという意味で。
それは自国で開催される今回も変わりません。旅の定義が「非日常」であるとすれば。
もちろん多くの人にとって、日常は粛々と続くのですが、「ワールドカップ」によって周囲の空気が濃く熱く変わり、普段とは違う経験をするとすれば、それはどこか日常とは違う。
そんなわけで、ワクワクやドキドキ、僕たちの国への、そして未来への思い、日常ではない旅…を、僕が見聞き、感じた「経験」を通して、大会期間中書き綴っておこうと思います。
一応、いま現在の意気込みというか目標は、毎日更新! いや「ほぼ日」かな。何と言っても移動、移動で、本当に旅がらす状態の一ヶ月間になるわけで、不足の事態も起こるかもしれないし、疲労困憊するかもしれないわけで。
まあ自分を縛らず、無理せず、でもちょっとだけ頑張って、記していくつもり。更新の遅れや、2、3日まとめてのアップもあり、ということで続けてみようと思っています。
先に言い訳しておくと、きちんと文章を書く時間的・精神的なゆとりはないと思われますので、随分ひどい書き物になることも必至ですが。
というわけで、僕はこれから都内の自宅を出て、成田空港へ向かいます。そして開幕戦の行われるソウルへ――。
旅の始まりです。
[W杯旅日記 1] 東京-ソウル 02.5.31
昨日、夕刻、ソウルに入りました。
仁川国際空港からホテルのある永都浦へ。普段泊まっている街の中心部からは少し離れているので、勝手がわからず、おまけに路線バスに乗ってしまったので、ホテルに到着するまで随分迷いました。
出だしからやや苦労気味。でも気を取り直して、地下鉄でIMC(International Media Center)へ。ここまで僕の印象は、ワールドカップの気配なし、でした。
IMCの周囲はさすがにお祭りムードが多少あった。でも、その後、ワールドカップ前夜のソウルを感じようと出向いた明洞でも、特にいつもと変わった様子はなし。
仕方ないので、ミリオレのサッカーカフェ(前にも行ったことがある)へ。そこで前夜祭をテレビで見て、ソウルでの一日目は終了。
場所によっても違うかもしれませんが、僕が目にしたところでは、開幕前夜のわくわく感はごく一部という感じ。おまけに雨だし。
そうそう、携帯電話を買いました。日本のメディアの人たちは大部分が「借りて」いるのですが、僕は「買って」しまいました。
日本を出る前に「買った方が安上がり」と韓国人の知人から聞いた時点で、すっかりその気になっていたのです。これからも韓国にはたびたび来るし、という大義名分もつけて。
IMCなどではもちろん売ってくれないので、明洞の街を駈けずり回って、何軒か電話屋さん(日本にあるのと同じような普通の店)を回って、ようやく売ってくれる店を見つけました。
結果的にハードが27万ウオン、それにプリペイドカードと、レンタルより(なんと一日150円プラス通話料)高くついてしまった。
でも、普通の電話屋に飛び込んで、つたないハングルで携帯電話を買うことができたという経験が、ほんのちょっとですが僕にとっては嬉しい。語学の自信というのはさほどでもないけど、生活者に僅かでも近づいているように思えて。
もちろん僕は旅行者以上の何者でもないのですが。
5月31日です。いよいよ開幕です
昨晩も朝方まで仕事をしていたので、昼まで寝て、その後、ソウルの友達に会いました。4月にソウルに来た時に知り合った韓国の人。彼女は日本語が上手で、頭もよいので、話していてなかなか楽しい。時々、ハングルも教えてくれるし。
昼ごはんを彼女が通っていた大学の近くで食べて、お茶をして、それから僕はスタジアムへ、彼女は帰りました。
「ワールドカップを見たい。チケットない? インターネットで探してるんだけど…」と彼女は何度か言ってました。このあたりの事情はいずこも同じ。
でも韓国戦を望まなければ、こちらではチケットはまだ入手できるようですが。
開会式はなかなか華やかだった。金大中と小泉純一郎という両国のプレジデント、それと韓国の鄭夢準が挨拶。高円宮ご夫妻もオーロラビジョンに大きく映り、君が代も響きました。ちなみに戦後、日本の皇族が訪韓したのはこれが初めてのこと。ワールドカップという世界的なテーマが、両国のあらゆることを前進させるきっかけになっています。
特に前例主義の官僚などなどに対してのインパクトは大きい。
あと再選したばかりのブラッターFIFA会長の挨拶の時にはスタンドからブーイングが鳴り止まなかった。民衆は馬鹿ではない、ということです。
開幕戦はご存知の通り、フランスが負けました。
キックオフから15分くらい経った時に、僕ははたと「やっぱサッカーなんだ」と僕はしみじみ思った。ワールドカップの周囲の話、中津江村とかチケットとかJAWOCとか、に最近頭が随分いっていたのですが、ワールドカップはサッカーの大会なんだと改めて感じた。
実体のないものを広告代理店的手法で膨らませてイベント化しているものは少なくありませんが、ワールドカップはもともとここにあった。
そして、目の前で行われているサッカーが、ただあるがままで面白いのです。
そんなことに改めて気づかされたのが、試合開始から15分だったというわけ。
おかげでその後は、もうゲームにのめり込んで、楽しみました。面白かった。
そんなわけで、ソウルの夜も更けました。20時半キックオフだと試合終了が22時半。取材を終えると23時半。それから仕事をしていると…。
これはなかなか大変です。
もっとも明日は新潟行きを諦めたので、(なんで直行便がないんだ!)成田へ帰るだけ。明後日から本格的にスタートです。
[W杯旅日記2] さいたま 02.6.2
いま6月2日、いや3日の午前5時。自宅です。
僕にとっての日本でのワールドカップ初戦は、さいたまから。
もっとも昨日、ソウルから戻ってきた後、ワールドカップ前にやり残した原稿をやっていたら徹夜になってしまって、いきなり体調はいいとは言えない。
体の不調は当然のことながら心にも影響するもので、やや盛り上がりに欠けた状態で家を出てしまった。
でも、幸いにもチケットをもっている友人二人と合流して、一緒にスタジアムへ行ったことで、彼女たちのワクワクが僕にも伝染して、浦和美園駅に着く頃には僕もすっかり元気になっていた。
危うく中途半端なスタートを切ることになっていたわけで、感謝、感謝。
スタジアムはイングランドのサポーターが多くて、野太い声が響き、やはりJや代表の試合で満員になっているのとは、まるで雰囲気が違っていた。
それにしてもなぜ彼らの声はあれほど腹に響くのだろう。
試合はとっても楽しめたのだけれど、問題は「帰り」。
試合が終わって、取材をして、一部の原稿を書いて、プレスセンターを出たら、うちまで帰りつく足が、もうぎりぎりだった。18時30分スタートのゲームでこれでは先が思いやられる。
さいたまという僕にとってはかなり好都合と思われていたべニューでさえ、こうなのだ。
結局、帰宅は午前1時前。明日は朝から新潟だし、と考えると…。いや、あまり考えないことにしよう。
[W杯旅日記3] 東京-新潟-東京 02.6.3
いま6月3日、午後10時すぎです。
メキシコ対クロアチアの帰り。上越新幹線の中にいます。さっき高崎を過ぎた。東京まではあと1時間ほどです。
自由席にいるのですが、メキシコのサポーターがいっぱいです。日本人4割、メキシコ人6割という感じ。歌や手拍子、叫び声がここ数十分ずっと車内に響いてます。
新潟を発車してしばらくはお互いに少し遠慮してた。でも、メキシコの人たちが突破口を切り、それに呼応する日本人が出て、という感じで、いまでは随分な大騒ぎになってます。
たぶん、普段外国人と(少なくともメキシコ人と)接していないだろうおばちゃんたちが、一緒に写真をとったり。まあ楽しそうです。
そう言えば、車内販売の若い女性も、なかなかいい感じでコミュニケートしていました。笑顔+エンジョイ。いつもはあまり愛想があるとは思えない彼女たちが
すみません)、覚えたての片言の日本語、「イクラデスカ?」「アリガト…」てな外国人の語りかけに、誠実に、でも楽しみながら対応していたのは、なかなか気持ちのいい景色でした。
実は僕はもっと、世知辛いワールドカップになるのではないか、と思っていた。色々なことをルールで縛り、行動を制限し、楽しみをスポイルしていくような窮屈なワールドカップにしてしまうのではないか、と懸念していた。
でも、今日一日でそんな心配が吹き飛んだ。
往路の上野-新潟でも、新潟駅でも、帰りの新潟ー東京でも、実にいい感じだった。僕のいういい感じとは、親切だとか丁寧だとかということではなくて、普段自分の殻に閉じこもりがちな日本人が心をオープンにしているシーンをたくさん目にしたから。
うまくいかなくてもいい。時にはいざこざになってもいいと思う。
ただ心をクローズにせずに、彼と自分との間に早めに線を引かずに、ルールで窮屈に縛らずに、それぞれの人がそれぞれの場面で、それぞれの判断で、異なった国の、異なった価値観の人々と絡む。それこそが国際化の第一歩だと思う。
海外旅行に行って、非日常のなかで外国人やその価値観を体験するよりも、日常のなかでそんなものと遭遇することの方が、よっぽど意味があると思うのです。
だって、相手が自分の生活の中に入ってくれば、知らんぷりはできませんから。
日本でワールドカップをやることの最大の意味は、そこにあると僕は思っています。
さてさて試合の方は、僕がもっとも注目しているG組の初戦だったのですが、クロアチアは全く動けないし、メキシコも…。
でもプレスルームでボバン!にも会えたし、スタジアムの外も気持ちよかったし、なかなか面白い一日でした。
この新幹線は23時ごろ東京駅に着くらしいです。そこから僕はスカパーへ行く予定。2時までの生放送に出て、帰宅は…。
今朝はついに起きれなくて、予定の新幹線に乗り遅れてしまったし、そろそろ(ってまだ始まったばかりなのに)疲労がピークに達しつつあります。
まあ、とにかく頑張ります(としかいいようがない)。
あっ、明日は日本戦です。いままではワールドカップを見せてもらっているような気分でしたが、明日からは僕たちも参加者です。
頑張れ、ニッポン!
[W杯旅日記4] さいたま 02.6.4
いま6月4日、夜中2時です。
今日は日本代表の今大会初試合が埼玉スタジアム2002でありました。
結果はご存知の通り、2対2の引き分け。「内容」的にはいろいろな感想はありますが、「結果」については史上初の勝ち点「1」、それも0対0ではなく、点をとっての2対2の引き分け、なのですから、何がどうであれ前進・進歩です。
日本サッカーがワールドカップへの挑戦を始めてから48年。ようやく勝ち点を挙げた記念すべき日となりました。
そして、もう一つ記憶に残るのは、埼玉スタジアム2002を埋めた観客の皆さんが醸しだした空気。
不覚にも僕は君が代のあたりと、鈴木と稲本のゴールが決まったあたりは、涙が湧き出てしまった。こぼれないようにこらえるのが大変でした。
正直言って、ドーハとか、フランス予選とか、ジョホールバルのように、感動して涙が…なんてことがここのところすっかりなくなってしまっていて、今日だって試合を見ることに関しては、かなりクールだった。
でも、あの時のスタジアムの空気は、やばかった。やはりあれだけの人の思いが詰まると、理屈ではなく、心の琴線と涙腺が刺激されるようで。
それにしても選手たちは冷静だな。あまりに冷静で、さみしくなるほど。
今日も試合後のミックスゾーンでは、本当に普段通りの顔が並んでいました。周りは興奮しているけど、選手たちはいたって普通。
これも、いま風かも。
今日は、試合後、知人の車で送ってもらって帰宅しました。だから、随分楽だった。
おまけに帰りにラーメン屋に寄って、ラーメンと餃子とビールまで。
考えてみれば、ワールドカップが始まってこんなふうに普通にメシを食べることがほとんどなかった。大抵はプレスセンターのサンドイッチか、何も食べないか。コンビニ弁当すらほとんど食べてないような。
ま、最近デブ傾向にあるので、この機会にやせられればありがたいことなので、それは無問題ですが。
というわけで、これから原稿を書いて、寝ます。
明日は茨城。ナイターなので、昼まで寝れる予定。睡眠不足の方は大問題なので、これはかなり嬉しいです。
そして鹿島からそのまま韓国へ行きます。
[W杯旅日記 5] 鹿島-プサン-チョンジュ 02.6.7
いま6月7日、午前11時すぎです。
プサンの高速バスターミナルにいます。1時間くらい前にここに着いたのだけど、バスがいっぱいで、11時45分発のバスしかとれなかった。そんなわけで、いまとなっては貴重な1時間をターミナル前のベンチでPCに向かっています。
プサンに来たのは昨日。一昨晩、鹿島でのドイツvsアイルランドを見て(素晴らしい試合だった)、そのまま成田のホテルに泊まり(といってもホテルに着いたのは午前1時くらい)、そこで仕事をして、朝9時のフライトでプサンに着いた。
少しでも楽できるようにと成田のホテルに泊まったのですが、結局徹夜。でも、プサン空港に着いて、スタジアムのプレスセンターに入ると、すっかり元気になりました。
僕は片言(本当にカタコト)でハングルができるので、韓国に来ると嬉しくなってボランティアの人とかといっぱい話してます。
しかも、昨日は随分早くプレスセンターに着いたので、彼らも時間があったらしく、僕の相手をかなりしてくれました。
あまり通じないことが多いのだけど、それでも入り口に自分が立っているのを感じると、もっと中に入ってみたくなる。いつも思うことですが、今度時間ができたらハングルをもっとちゃんと勉強するぞ。
ボランティアの人もそうなのですが、韓国ではとてもたくさんの人に助けられてます。日本でもそれは同じ。ボランティアの人たちはとても献身的です。
ただ違いがあるとすれば、日本の人の方が責任感が強いように思います。
韓国の人は、どちらかといえば、楽しんでる。なので、こっちの人は僕のようなイルボンキジャと一緒に煙草を吸いながらムダ話もするし、女の子たちがキャッキャッ言いながら走り回ってたりする。
日本のボランティアの人も、もっと自由に楽しんでもいいのにな、と思ったら、それはボランティアの人に限らず、日本人全体にいえることかも、とも。
いずれにしても笑顔は無防備の方がいいです。
さて試合ではフランスが昨日もドローに終わりました。前回王者、このまま沈むか? すべては次のデンマーク戦です。
そろそろバスの時間。乗り過ごすとやばいので、とりあえずこのあたりで。
* *
いま6月7日、23時すぎです。
今度はチョンジュのバスターミナルにいます。スペインvsパラグアイを取材して、プレスセンターから原稿を送って、とりあえずここまで来ました。
明日の午前の飛行機で仁川から成田へ飛ばなければならないので、ここに泊まるわけにはいかず、結局深夜バスを選びました。
チョンジュへは初めて来たのですが、街については語れないけど、いい人がいっぱいでした。僕たちプレスの世話をしてくれる(本当にそんな感じだった)ボランティアの人たち。とてもフレンドリーで笑顔が素敵でした。
ちょっときいてみたところ「大部分が大学生」だということ。そういえば、韓国のボランティアは学生さんが多いような気がします。日本はどうなのだろう?
しかも僕にいたってはチョンジュのスーパーバイザーさんと仲良くなってしまって、彼女をほぼ独占状態で色々助けてもらった。そのおかげで、いまバスターミナルにいるわけですけど。
そんなわけでこの後、バスでソウルへ向かいます。3時間くらいらしい。そして、明日は仁川から成田へ飛んで、そのまま鹿島です。
それにしてもソウル着は夜中の3時ごろ。さてさてどうやって朝まで過ごそうか。本当はたまり始めている原稿を書きたいのだけど。
[W杯旅日記 6] ソウル-鹿島-東京 02.6.9
いま6月9日、午後3時すぎです。久々にうちにいます。
洗濯をして、雑用をこなして。張り詰めている神経が少し弛緩できた。
一昨晩はチョンジュから深夜バスで、ソウルに着いたのが夜中の3時すぎ。
結局、そこからIMC(メディアセンター)へ行って、朝まで仕事しました。IMCは24時間で開いているので、宿無しの僕にはとても助かったのですが、エアコンは切れてるし、エスカレーターは動いてないし、で湿気はむんむん、足はだるだる。
広いワーキングルームで一人仕事しながら、ちょっとさみしかったです。でも、おかげで、随分仕事がはかどった。
そして朝8時ごろ、IMCを出て仁川空港から成田へ。成田からメディアバスで鹿島へ移動。ナイターで行なわれたイタリア対クロアチアを見ました。
クロアチアの初戦を新潟で見て、とてもひどい内容だったので、間違いなくイタリア圧勝と思っていたのですが、クロアチアが勝利。まったく別のチームみたいで、本当にびっくりしました。
そうそう、僕の目の前にはボバンがいて、試合展開にあわえて、子供のように一喜一憂してた。周りにいるクロアチアのプレスも、同様。叫んだり、手をふりかざしたり。
そして、勝利した瞬間にはみんな立ち上がってガッツポーズ。
おかげで僕も一緒になって嬉しくなって、思わずボバンに握手を求めに行ってしまった。こないだ新潟で会った時には不機嫌だったのに、今日はにこにこして、力強く握手してくれた。
愛国心は素晴らしい、無条件に喜んだり、嘆いたりできるのは素晴らしいと思った。
ちなみに茨城会場はこの試合でワールドカップでのすべてのゲームを終えました。ワールドカップ自体はまだ始まったばかりなのに、ここでの試合はもうありません。
札幌もすでに終わっている。
ボランティアの人に「おつかれさま。もう終わってしまいましたね」と声をかけると、「今日になってようやくこんなプラカードも作って、だいぶ馴れてきたところなんですけどね。1年も前からボランティアに申し込んで、準備してきたんですが」とのこと。
共同開催になったことによって、開催都市が日韓合わせて20にもなりました。その弊害で、一都市でのカードがわずか3試合になってしまった。せっかく生まれ始めた人間関係(外人と日本人とか、日本人同士とか)が、育つまでの時間的余裕はなかったのではないかと思う。
少し残念。でもここで芽生えたものを、日常の中で育てることができれば、と思います。
ワールドカップは非日常。日常とは別モノではとても勿体ない。
ワールドカップはきっかけにすぎない――。
僕はそう思っています。
鹿島からの帰路は知り合いのカメラマンの車で帰京した。
帰ったのは夜中でしたが、それでもここまでバス移動を繰り返してきた僕にしてみたら、天国みたいだった。
しかも、帰り着いたところは自宅。4日間もうちを空けていたので、とても心配だったマンちゃん(猫です)の元気な様子を見て、まず「ほっ」。
そして、テレビをつけて、また「ほっ」。やっぱり、うちは落ち着きます。
そんなわけで昨晩は仕事もほとんどなかったので、久々にまともに睡眠をとりました。
だから、今日起きたときはものすごく快調。
今日は開幕戦以来、ちゃんとジャケットを着て、出掛けようかなと思っています。
同じように毎日試合を取材して回っている仲間と、最近よく話すのですが、ぎりぎりで動いていて、肉体的に厳しいし、いつも頭の中にto doリストが山積みで、まったく余裕がない状態で精神的にも追い込まれている状態。
だから、ちょっとしたことでもイライラしがちなのですが、だからこそ、笑顔とか冗談とか遊び心とかが必要だと思います。
じゃないと、本当にいつも殺気立ってしまう。
ん? そろそろ出掛ける時間です。
今日は横浜。日本代表です。
頑張れ、ニッポン!
[W杯旅日記7] 横浜-チョンジュ-インチョン 02.6.11
いま6月11日、午後7時すぎです。インチョン・ムンハック・スタジアムのメディアセンターにいます。
フランスが負けて、グループリーグ敗退するのを目の前で見たばかり。1勝もできなかったばかりか、1ゴールも奪えずに大会を去ることになったわけで、随分ショッキングな出来事ですが、やっぱり「予選がない」というのはかなりのハンデだなと僕は思いながら見ていました。
さて9日の横浜国際で日本代表の初勝利を見た後、僕は深夜に帰宅。原稿を書いて、そのまま家を出て、成田からインチョン国際空港へ。
そして、バスでチョンジュに移動して、昨日はポルトガルvsポーランドを見てきました。
チョンジュは二度目だったので、勝手もわかっているし、何よりもボランティアやプレス担当の人たちが、僕のことを覚えていてくれて、何だか「ホーム」に帰ってきたような気分。
スタジアム自体も、とても見やすいし、開放感もあって、すごく好きなこともあって、ここまでで一番お気に入りのべニューです。
だから、帰り際はちょっとさみしかった。少なくともワールドカップで、もう訪れることはないので。
最後は何人かの人と握手をして、別れました。
チョンジュからはこの前と同じように深夜バスでソウルへ。やっぱり3時すぎにソウルに到着。
でも、今回はもう一日韓国に滞在できるので、ホテルをとっていたので、とっても楽チンだった。やっぱり、エアコンも切れているIMCへ行って、仕事をしながら朝を迎えるのは辛い。
もちろんベッドに入ったのは朝方だったけど、やっぱり部屋があって、自分の場所があるというのは、安心できるものです。
あ、正確に言うと、ベッドではなくて布団。今回はオンドルの部屋なので。
というわけで、今日は昼前に起きて、インチョンでフランスvsデンマーク。これからホテルに戻って、どこかで夕食をとる予定。
同じホテルに連泊するのは、もしかしたら開幕してから初めてかもしれない。それだけでも随分楽です。
それに、どうやら移動、移動、移動の毎日にも馴れてきたらしく、昨日あたりも寝てないにも関わらず、すっかり楽しい気分です。
人間、何事にも馴れてくるものですね。できることなら幸福も不幸も、楽チンもハードも、両端まで経験して、強い人間になれれば、なんて思ったりもするけど、やっぱり幸福で楽な方がいいかな。
ま、そんなことを考えられるということは、とにかく、いま元気、ということなのでしょう。
それにしても、これは予想外のことなのだけど、僕のハングルがものすごいペースで上達しているような気がします。
最近はまったく勉強なんてしてなかったのに、日々の中で、耳と頭で吸収していけているのが自覚できます。
それが、いま一番嬉しいことです。
明日は朝、インチョン国際空港を発って、関西空港へ。長居スタジアムへ直行する予定です。
[W杯旅日記8] ソウル-大阪 02.6.12
いま6月12日、午後10時すぎです。山陽新幹線のなかにいます。
今朝、ソウルを発って、関空へ飛び、そこからJRで長居スタジアムへ行った帰りです。
関西空港から長居までのJRにはイングランド人がたくさん乗っていて、女子高生たちが驚きの声をあげていました。
そして長居駅でたくさんの人たちが降車するのを見て、「ええなぁ。私たちも見たいなぁ」。
大阪の人たちはストレートで好きです。東京では内心はどうであれ、そんな声をあげたりしない。
長居スタジアムではイングランドがとナイジェリアと引き分けました。ものすごく暑い一日で、両チームの動きも、かなり悪かった。
加えて、グループリーグも最終節に入り、それぞれ「突破」のための計算をしながら戦っているので、当然パフォーマンスは落ちてきます。
今日のイングランドに関して言えば、アルゼンチン対ナイジェリアを横目に見ながら、引き分けでも十分、という戦い方をしていた。
ちなみにイングランドのベンチには、逐一、宮城スタジアムでの試合経過が知らされていたようです。
それにしても昨日のフランスに続いて、今日はアルゼンチンがグループリーグで敗退しました。優勝候補筆頭の両国が、これで日本と韓国を去ることになった。
口の悪い僕の仲間たちは、「もう一度最初からやり直した方がいいんじゃないの」「世界的には、もっとも記憶に残らないことで記憶に残るワールドカップになってしまう」などなど、愚痴が出ています。
確かに優勝候補がバタバタと負けていく大会を見せつけられては、その欲求不満の矛先が日韓に向かないとも限りません。ヨーロッパの人たちが「アジアでなんかやるからだ」と言い出す可能性はかなり高い。
もちろん別に日本と韓国が悪いわけではないのだけど、確かにワールドカップらしくない大会になりつつあるのは事実。ちょっと複雑な気持ちです。
それにしても、それにしても…
日本は暑いですね。たった2泊3日韓国へ行っていただけで、こんなこと言うのも何ですが、かなり暑いです。
これはグループリーグを日本で戦ったチームにとっては辛い状況になりそう。韓国に滞在していたチームの方がより好コンディションで、決勝トーナメントを迎えられるのは明白。
となれば、ブラジルか? なんて僕は思ったりしてます。
さて、茨城や札幌ですでにワールドカップが終わってしまった一方で、大阪は今日が開幕戦でした。とはいえ、長居はこれまでにも代表の試合をしばしばやっていたわけで、ノウハウはあるはず、と思っていたのですが、残念ながら…の運営でした。
メディアの間からも相当ブーイングが出ていた。やはり、国際Aマッチとワールドカップは別物ということなのでしょうか。
大阪らしいワールドカップをやってくれれば僕は何も文句はないのですが。
いま新大阪から博多へ向かっています。明日、大分へ行くので、今晩は福岡の実家に泊まります。
久々の福岡なので、友達とも会いたいのですが、どうやら博多着は深夜になるみたいで。
[W杯旅日記9] 福岡-大分-大阪-東京 02.6.15
いま6月15日、深夜12時すぎです。自宅@東京にいます。
昨晩夜中に東京へ帰ってきました。長居スタジアムから新大阪へのメディアバスが渋滞に巻き込まれてしまって、最終の新幹線に文字通り「駆け込み乗車」する綱渡りでしたけど。
今日は新潟行きを回避して、うちに一日いました。おかげでテレビで2試合とも見ることができた。新潟はなかなかいい雰囲気に見えたので、ちょっと後悔したりした。
それでも開幕して以来初めて、僕がうちにいるので、マンちゃん(猫です)も、(たぶん、いやきっと)喜んでいた(はず)なので、まあ、いい一日だったということで。
ちなみに長居から福岡を経由して、大分へ行った後、再び福岡を経由して、長居へ戻って、日本のグループリーグ突破を見た。
試合自体はさほど面白いものではなかったけど、日本が「引き分け以上でOK」という試合をあんなふうにできるのだから、すごいなあと思いながら見ていた。
グループリーグ最終戦に入ってから、ナイジェリアvsイングランドも、イタリアvsメキシコも、勝ち点計算をしながらの試合だったが、そこにスペクタルがなくても、僕には十分楽しめた。
特に大分で見たメキシコは、完璧な試合で、ロスタイムの4分間、ただバックラインでパスを回すだけで終わらせた厚顔さまで含めて、すっかりファンになってしまった。
さてグループリーグが終わり、今日から決勝トーナメント。
僕自身の中間決算をすれば、開幕戦から14試合を観戦。そのうち日本で9試合、韓国で5試合を見た。
いくつかのトラブルや、予想以上のハードさはあったが、それでも「旅」という点については、ここまでは順調。
「旅」の中の「出会い」という部分に関しては、少し物足りなさもあるが、深くはないが、小さな出会いをたくさんしてきた。
経費(お金)的には、ここまでいくら遣っているのか、もはや全く見当がつかない。本当は毎日きちんきちんとエクセルに書き込んでいくつもりだったのだが、とてもとてもそんな余裕はなかった。
でも、相当に贅沢な「旅」をしていると感じているので、まあ収支のことは後でいいと思っています。
今日はずっとうちにいて、テレビを見たり、原稿を書いたり、雑用をしたりしていたので、他に書くことがないので、楽屋話になるが、報道としてワールドカップを旅して感じた雑感(本当に雑感)をいくつか。
まずプレスのシステムを簡単に説明すると、日本国内での競争を突破して無事ADカードを取得できた僕たちは、スタジアムと、その中にあるプレスセンター(SMC=Stadium Media Center)まではとりあえず入ることができる。
その先、つまりスタンドの一部にある記者席に行くためには、ADカードだけではダメで、プレスシートチケットが必要になる。
そのチケットも、大抵の試合では問題なく取得できるのだが、その試合を取材に来る人が多い場合は、制限される。
制限というのは、つまり選別されるということ。この選別の基準(FIFAの基準)として、僕のようなフリーランスはかなり下位にいる。それでも、だいたいのところ希望試合を見ることができてはいるが、机付きの席と、ノンデスクの席があって、当然プライオリティの低い僕たちは、ノンデスクに回されることが多い。
それから無事試合を取材できたとしても、試合後の選手に取材するためにはミックスゾーンチケットが必要になる。こちらの方は、プレスシートチケットよりも、さらに競争率が高く、僕のようなフリーランスには(日本戦以外)まず回ってこない。
…などなど報道の舞台裏でのエピソードについて書こうと思っていたら、結局、「フリーにとっての」になってしまった(おまけに何だか愚痴っぽい)。
何はともあれ、とどのつまり、新聞や雑誌などの方々と、フリーランスでは同じワールドカップでも、見えてくるもの、感じるものが違ってくる、ということ。もちろん、サポーターのみなさんともきっと違うだろうし。
まあ、あえて言えば、僕たちは、たぶん両者の間くらいに位置しているのではないかと思う。お金や雑用という点で、サポーターと僕たちは少し似ているから。
そう言えば、いままさにワールドカップ真っ盛りだというのに、この秋にプサンで行なわれるアジア大会の取材申請が始まり、そして昨日締め切りになったのだが、毎日あちこちへ出掛けている僕たちには、申請書をJOCに取りにいって、それを提出する余裕が、時間的にも地理的にもなかった(会社だったら誰かが代わりにやってくれたりするするのかもしれないけど)。
こういう時に持つべきは「友」ということになる。僕も、知人の編集者に(普段とは少し違う丁重な口調で)お願いして、何とか事なきを得た(はず)。やっぱり、普段からの人間関係は重要ですね。
それにしても、なんでこんな時期に…と仲間内では相当不満な声があがった。よりによってワールドカップ期間中に締め切らなくてもいいじゃないかと。
でも考えてみたら、プサンも、札幌や茨城と同じように、すでに「お役御免」になっているべニューだった。
プサンのスポーツ界は、すでにアジア大会モードということなのかもしれない。そう言えば、プサンのあちこちにアジア大会用の新たな施設が建設されていた。ちなみに韓国がポーランドを破ったスタジアムが、アジア大会のメイン会場になります。
あと、どうでもいいことだが、記者席にあるTVモニター。
いくつかチャンネルがあって、スタジアム内用の映像がいくつかあって、あとスカパーの映像も映る。
でもって気がつかないでスカパーのチャンネルになっていると、目の前のピッチを見て「あっ」と息を呑んで、次の瞬間、TVモニターに目をやると、ちょうど同じ場面が映し出される。
はじめ「ん?」と思っていたのだが、考えてみれば、スカパーは宇宙の果ての衛星を一度経由している分、約2秒くらい遅れるのだった。
この2秒のタイムラグが面白いなあと僕は思ったので。本当にどうでもいいことですが。
というわけで明日は大分です。
[W杯旅日記10] 大分-神戸 02.6.17
いま6月17日、午後5時すぎです。新神戸駅からスタジアムへのメディアバスのなかにいます。
昨日は大分スタジアム「ビッグアイ」で、セネガル対スウェーデンを見た。猛暑の中で、しかも僕は前日徹夜だったので、コンディションは相当悪かったのだけど、延長になってからのスリリングな展開で、すっかり目を覚まさせてもらった。
それにしてもセネガル。見ていて楽しいチームです。コンビプレーと個人技が、ともにはっきり主張している。個人という点では「11」ディウフと「7」カマラは相当魅力的。あのスピードとテクニックは必見です。
ところで昨日の朝、羽田から福岡空港について、地下鉄で博多駅へ移動してみたら、博多駅のホームは人がいっぱいで、それも乗車待ちの列がまったく整理されていないから、一体どこが最後尾なのかもわからない始末。
駅員さんにきいてもポイントをはずした答えしか返ってこないし、あげくの果てには「どこが最後尾かは私にはわかりません。探してください」。
僕は、とっても大人なので、笑顔で流しましたが、周囲の人たちの中には切れる寸前の人もいた。
博多駅に関しては、さらにひどい、というか責任感のない対応もしていた。
ホームに人が溢れているので、さすがにまずいと思ったのか(それでも駅員を増員したのかどうか。新潟でもどこでもホームにはたくさんの駅員さんが出て整理し、笑顔で対応していたというのに、ここではホームに駅員の姿がほとんどなかった)、こんな場内放送をはじめた。
「次の『ソニック』をお待ちになっても乗れないことがあります。小倉駅まで行けば、小倉発の『にちりん』がありますから、そちらをオススメシマス」
僕はそのアナウンスにのって、小倉駅まで行ってみたら、小倉発の「にちりん」まではなんと1時間近く待つのである。
要するに、博多駅が人がいっぱいで、しかも自分たちがろくな誘導も整理もせず、あげくの果てに、とりあえず「ここから人を少しでも減らそう」という目論見だったことは明らかである。
まったくひどい話だ。ちなみに小倉へ向かう列車の中で、車掌さんに「小倉発のにちりんは何時発で、大分には何時につきますか?」ときいたら、随分面倒くさそうに「とりあえず検札をしなければならないから、後で教えてあげます」。
彼は博多駅でそんなアナウンスをして、客をよその駅へ送り込んでいることを知らなかったのだろうが、それにしても、不愉快感は相当に高かった。
それでも博多駅の状況がわかっている僕は、小倉駅の「にちりん」のホームで待ち、結果的にそれに座ることができた。でも、その時点でも小倉駅では博多発の「ソニック」に乗ろうとと待っていた人が、別のホームにはいっぱいにいたのだ。 もちろん「ソニック」は博多ですでに満員(というよりすし詰め山手線状態。ちなみに博多から大分までは約2時間かかります)、小倉から乗り込めるはずもなく、結局、小倉で「ソニック」を待っていた人たちも、その後、僕と同じ「にちりん」のホームになだれこんでくることになった。
僕だけのことで言えば、「ソニック」がすでに満員だということ知っていたから、いち早く「にちりん」の列に並び、座ることができたが、小倉で長い時間待っていた人たちは、そのことを知らずに、「ソニック」のホームで待ち続け、結果的に「にちりん」にも座ることもできなかった。
博多駅から小倉駅への連絡がきちんとできていれば、小倉駅から乗ろうとした彼らは無駄に「ソニック」を待たずにすんだことは明らか。
大分での開催はすでに3試合目で、今日が最後の試合だというのに、まったく博多駅はどういうつもりなのだろう。
福岡が開催地でないことを差し引いても、博多は九州のリーダー的なポジションだし、少なくとも玄関口だ。おまけに僕にとっては故郷でもある.。だから、嫌なことは言いたくないのだけど。あまりに情けなかった。
というわけで、そろそろスタジアムにつくので、とりあえず。
今日はブラジル対ベルギーです。
あ、ちなみにいま僕の隣は、ロシアのものすご~い美人の記者です。ワールドアップですね。
[W杯旅日記11] 宮城-森町 02.6.19
いま6月19日、深夜2時ごろです。
昨晩、日本代表のワールドカップラストマッチを宮城スタジアムで見届けた後、深夜に帰宅。今日は朝から森町(静岡県)にあるJAMPS(日本代表のキャンプ地に設けられたメディアセンターです)へ行ってきました。
トルシエ監督はじめ、選手たちの会見があったのですが、思うところ、感じるところ、腹立たしいこと、多々ありではありましたが、それはまたいつか。
仙台へは大阪から飛行機で行った。機内にはサッカー関係者の顔がずらり。
そこまではよかったのだが、宮城スタジアムに着いたら、僕の申請が届いていなくて、結局「ウエイティング」ということになったしまった。僕に限らず、かなりの人がリストから漏れていて、日本の試合を取材に来たにもかかわらず、日本人プレスが大勢、取材できないかもしれないという事態になってしまった。
結果的に、僕はプレスシートチケットもミックスゾーンチケットも獲得できたので、よかったのだけど、それにしてもストレスは多い。
<その1> JAWOC担当者の横柄な態度。仕事熱心なのはわかるが、別に偉いわけでも何でもないことに彼女は気づいていない。
おまけに偉そうな分、仕事ができればいいのだが、残念ながらそうではない。できないどころか、すぐにキレたりしてしまう人を、ああいうポジションにつけてしあむのは、明らかにミスキャスト。
しかも、どうにもならなくなると「FIFAが決めたことで私にはわかりません」と逃げてしまう。事実、「FIFA」が決めたことなのだが、散々な態度をとったあげくに、あんなことを言ってしまうくらいなら、そもそも彼女は必要ない…などなど、以下省略。
<その2> 僕のようなフリーランスと、例えば新聞などとの意識のギャップ。僕らはチケットがもらえなければ、まったく取材ができないが、例えば新聞はすでに何枚ももっているにもかかわらず、「もっと」だとか「机つきを」と、さほどの思いいれもなくリクエストする。
おかげで、試合が見れるかどうかの瀬戸際の僕らと、彼ら彼女たちが入り混じってしまって、事態がうまく収まらない。
何より腹が立つのは「さほどの思いいれのなさ」。もちろん、彼ら彼女たちと、僕とでは、立場と環境が違うのだから仕方ないが、それにしても「よくわからない」ことで、僕らの腹を据えて喧嘩してでも、という思いを薄めないでほしい。
その他にも宮城ではいくつかのストレスがあったが、それはもうやめ。
でも、もちろんいいこと、楽しいこともたくさんあった。牛たんもうまかったし、タクシーの運転手さんも感じよかった。
でも、なあ、やっぱり何より、あの試合じゃあなぁ…。
仙台からの帰りの新幹線は、ドイツ人ジャーナリストとイングランド人サポーターと話しながら帰った。おかげでなかなか面白い話もきけた。
「スタジアムはベリーグッドだけど、街にはサッカーはないね。東京にいると、ワールドカップを感じない。スタジアムはどこも素晴らしいが、駅とか、街中から、どこも1時間くらいかかり、やっぱり街に溶け込んでいない。サッカーが街や人の一部ではなく、切り離された場所にブームとしてあるようだ。
それに日本代表チームのサッカー自体も、あまりいいものではなかったね。僕は今日初めて見たのだけど」
「組織はどちらも素晴らしいけど、日本の運営をしている人は真面目だけど、サッカーとワールドカップを知らない。そこは問題だな」などなど。
そんなわけで、日本代表がトルコ代表に敗れた夜は、12時前に東京駅着。
知人と「ちょっとだけ」と約束して、歌舞伎町で本当に「ちょっとだけ」飲んで帰宅した。
ところが翌日になってテレビをつけたら、韓国代表がイタリア代表を破ったあの劇的で素晴らしい(本当に)感動的な試合の後、歌舞伎町に多くの韓国人、在日の方々が集まって、大いに盛り上がっていたというではないか。
同じ頃、僕は新宿にいながら、そんなことになっていることをまったく想像できず、同じ歌舞伎町でも真反対側で飲んで、タクシーで帰ってしまったのだ。まったく、なんたる不覚。
韓国が好きで、歌舞伎町が好きで、あの試合にとても感動していたというのに(おまけに歌舞伎町の韓国ショップに頻繁に出入りしているというのに)、僕は一体どうしてそんなことを思いつかなかったのだろう…
と思って、翌日のテレビを見た僕はすっかり落ち込んでしまった。
だって、あれだけの試合はめったにないし、だからこそ、ものすごいエネルギーが新宿の韓国社会には満ち満ちていたはずで、それを感じるめったにない(もしかしたらもう二度とないかもしれない)チャンスを僕はみすみす逃してしまったのだから。
もちろん誰かに責められたり、怒られたりするようなミスではないけど、僕にとっては言い訳できないほどの大失敗・大後悔。
、この仕事に向いていないのではないかと思うくらいだった。
そして、今日は朝から車で東名高速をすっ飛ばして、袋井市(じゃないかもしれない)森町体育館での、日本代表監督・選手の記者会見へ行ってきた。
そこでも僕はものすご~く腹が立ち、怒りが込み上げてきたりもしたのだが、それについて書き始めると、また色々と大変だし、今日は「ストレス」とか「反省」とか「自己嫌悪」とかばっかりたくさん書いたので、ここでは触れないことにする。
というわけで、明日はお休み! 一日、うちで過ごせます。
原稿を書き、銀行へ行ったり、クリーニング屋に行ったり、手紙を書いたりと雑用をこなし、テレビを見たり、マンちゃんとちょっとだけ遊んだり…。なかなか楽しみだ。
[W杯旅日記12] 静岡-大阪 02.6.23
いま6月23日、午後2時すぎです。新幹線のなかにいます。
準々決勝のブラジルvsイングランド@静岡、セネガルvsトルコ@大阪を見た帰りです。このくらいの(2泊3日)スケジュールはとても楽でいい。しかも、東京から新幹線で西へ向かいながら、掛川、大阪と試合を見て、東上しながら帰っていく。ロスもなくて、いい感じでした。
それにしても一昨日の東京駅はすごかった。イングランド人サポーターと、イングランドのユニホームを着た日本人サポーターがいっぱいで、ホームを歩くのも大変なほど。
僕は運よく指定席をとっていたので、座ることができましたが、自由席のあたりは座るどころか“山手線”なみのぎゅうぎゅう詰めだった。
もちろん掛川駅も人波でいっぱい。ボランティアのおじさんも「今日はすごいよ。これまでの試合とは全然違う。イングランドは昨晩から騒いでたからなぁ。あいつらはビールを水みたいに飲むからなぁ」と呆れ顔、それでも何だか楽しそうでした。
試合はご存知の通り、ブラジルがロナウジーニョのFKで勝利。当然のことながら、日本で一番人気のベッカムファンはとても残念そうでしたが、いかに暑さがあったとはいえ、1点ビハインドの終盤にも攻め立てる余力がないイングランドでは、やはり敗戦も致し方ないかと。
もっともブラジルも、「いまいち」の内容でしたが。
そうそう、エコパからの帰りは浜松駅から帰ったのだけど、駅周辺では車のクラクションが結構派手に鳴ってました。このあたりはブラジルから働きに来ている人が多いのです。
僕はといえば、そんな歓喜の人々を横目に、その日のうちに大阪入り。ホテルをとっていなかったので、サウナに泊まりました。といってもカプセルホテル付きなんで、まったく無問題です。
原稿を書くほどの仕事はできないけど、いまやPHSで電話線がなくても、メールの送受信くらいはできてしまう。
94年アメリカ大会で、NHKのBS放送が飛躍的に伸び、98年フランス大会でインターネット利用者が急増し、ときて、いまや国民の大多数がネットユーザーの時代。
技術革新と、スポーツイベントの蜜月関係については、いまさら言うまでもないことですが、僕自身の仕事のペース&スタイルも、ハイテクによって随分変わってきた(変わらざるを得ない)ということです。
さて大阪では試合前に、ミナミを少し歩き、900人が飛び込んだ戎橋@道頓堀や、知人のカメラマン氏がやっている写真展を覗いたり、グッズショップを回ったりしました。
道頓堀については、この前書いた歌舞伎町と同じで、その場の興奮に触れてみたかったと、やっぱり思った。
そんなわけで、いま新大阪から東京へ戻る山陽新幹線の車内です。東京駅に着いたらフジテレビへ直行する予定。「めざましテレビ」の収録のため。いまいち企画趣旨がわかっていないので、何がどうなるとはいえませんが、月曜朝に放送されるらしいです。
あ、そんなことより昨晩のトルコvsセネガル@長居スタジアム。面白かったです。僕のイチ押し、セネガルが負けたのは残念だったけど。
そんなこんなで色々書いているけれど、内心はといえば、あぁ、もうすぐこの旅が終わってしまう…と少しさみしさを感じ始めている今日この頃です。
[W杯旅日記13] ソウル-埼玉 02.6.26
いま6月26日、深夜です。
2泊3日でソウルへ行き、ドイツ対韓国を見て、成田空港から埼玉スタジアムへ直行して、ブラジル対トルコを取材して自宅に戻ったところ。
この「旅」で韓国へ行くのは4度目。1ヶ月の間に、同じ国を4回も訪れるなんて、これまでもこれからもあるとは思えない。韓国のよいところも嫌なところも、まさに嫌というくらい味わった1ヶ月でしたが、今回はさらに少しディープでした。
ディープの中身をあからさまにできないのが残念ではありますが、今回、僕は韓国という国について、これまでより深い理解を得られたような気がします。 もっとも「気がする」だけで、それを言葉にできるほどではないのですが。
ただ、テレビで見て、僕が感激していた韓国国民の盛り上がりは、少し予想とは違っていました。ソウル市庁舎前をはじめ、大勢の人が集まり、真っ赤に染まっている場所へ行ってみたのですが、その大部分は十代の若者でした。
空気としては、「Jリーグ開幕直後」の日本に似ていると思った(そんな古い話を持ち出さなくても、いま現在目の前の日本と言えばいいじゃないか!として指摘もあるかもしれませんが)。
愛国心とか、国への誇りとか、というよりも、むしろ“ブーム”の色が強かったです。
ただ、少し日本とは違うなと思ったのは、例えば市庁舎前はまさにビジネス街でもあり、繁華街でもあるので、当然普通に仕事しているビジネスマンも、たくさん通行しています。
でも、あのあたりは早朝から場所取り(日本のお花見を想像してもらえるとわかりやすいと思います)が始まり、昼ごろにはもはや歩くことも難しいような状況になってしまっていて、僕も普段なら5分で歩けるような距離を、30分、いや小1時間かけて進むというような状況でした。
もしもあそこが日本なら、ビジネスマンの人が怒鳴ったり、邪魔者扱いをすると思います。でも誰も文句を言わない。いかに国籍が違うとはいえ、あの暑い午後にネクタイを締めて働いている営業マンのような方からすれば、あの群集はうっとおしいはずなのに。
もちろん、おまわりさんもたくさん立ってはいるけれど、特別に取り締まる様子はない。
その理由が、「韓国代表だから」なのかどうかはわからないけど、僕にとってはかなり不思議な状況でした。
それにしても、Be the REDS のTシャツは本当にすごいです。理屈ぬきですごい。本当に韓国の景色は、真っ赤でした。
さて試合に関して言えば、ソウルも埼玉も、ものすごく厳格に笛が吹かれていた。ものすごく厳格に吹くぞ、とレフリーが意識しているのが、こちらに伝わってくるくらいに厳格だった。
日本では、レフリングが偏り過ぎ⇒韓国が裏で何かしたに違いない⇒韓国はひどい国だ、という論調がネットで徘徊しているとのこと。中には目を覆いたくなるような書き込み(誹謗・中傷・差別など)もあるときく。
しかも、まだその先があって、⇒そのことを報じない日本のマスコミはけしからん、という流れにもなっているらしい。
でも、どうなのだろう。レフリングが偏っていることについては、僕もこれまでTVを見ながら「おい!」と声を出すような場面もありました。
でも、少なくとも僕は、韓国がレフリーを買収した、という証拠は何ももっていないし、そんなことがあったかどうかを語れるはずもない。
レフリングが偏っていたことは(少なくとも僕の目には)明らかだと思うけれど、だからと言って「買収云々」については何とも言えない。
証拠もないのに報道などしていいはずもなく、その意味で、日本のメディアが報じないのは当然だと思います。
ちなみに僕のもとへも批判(これはいい)、非難(嬉しくはないが許容する)、中傷(?)、さらには脅迫(!)のメールが届いていて、その中には「韓国がレフリーを勝ったのは明らかだと僕は断言できる」といったものもあったが、もしも「明らか」だと「断言」できる証拠を持っているのであれば、僕よりも大マスコミへ、ぜひ。
証拠があれば、それは大スクープなのですから、メディアは喜んで報じると思います。
まあマスコミ批判について、僕が何か言うと、必ずまた糾弾されるので、あまり書きたくないのですが、少なくともフリーランスという立場で、マスコミの中ではかなり虐げられている(現場でも、それ以前の取材できるかどうかの時点から)僕からみても、日本のマスコミはかなりおかしいところがあります。時々腹立たしい気持ちにさえなる。実際、知り合いの記者に怒鳴ってしまうこともある。
でも、僕がマスコミはおかしいと、外に向かっていうのは、会社員の人が自分の会社や上司を悪く言うのと同じ(ではないが、似たような構図)で、男としてかっこよくないと思うので、できればそんなことは外に向かっては言いたくない(「会社がさぁ」とか「上司がダメでさ」などという言葉を平気で僕に言う編集者がいるが、申し訳ないが、あなたはその会社から給料をもらっているのだし、僕からみればあなたはその会社の名刺で僕に会いに来ているわけで、そんなひどい会社と仕事しろというわけ? そもそもあなたはなんでその会社にいるんだ? と甚だ不愉快になってしまう)。
もし、言うならば内に向かって言うべきなのだが、吹けば飛ぶような、ペンの日雇い労働者なので…。でも頑張ります。
マスコミについてはさておくとしても、レフリングがひどいからといって韓国の選手たちが貶められることでは絶対にないし、韓国という国と韓国人が貶められることでもないと僕は思います。
サッカーについて、だとか、ナショナリズムについて、だとかは、色々な意見があっていいと思いますが。
でも、そんな本当に議論でき、また議論すべきことが、一部の差別・脅迫といったメールを送る人々がいることで、議論もできなくなってしまうのは、とても残念に思います。
とにかく僕は当サイトの「MAIL TO」と取らざるをえなくなったし、それによって、これまでサイトを見て、様々な意見(賛成も反対も)を寄せてくれていた人々との接点もなくなってしまった。
そのことを本当に本当に残念に思う。
結局、サッカーの話をほとんど書けませんでした。トルコが見せてくれた素晴らしいサッカーについて、いっぱい語りたいことがあったというのに。
[W杯旅日記14] 横浜 02.6.30
いま6月30日深夜、正確に言えば、7月1日早朝です。
この数十年間夢見続けた「2002年」が終了しました。ワールドカップの実現に携わったすべてのみなさま、おつかれさまでした。
何より「ワールドカップを日本で」という途方もない夢を思い立ち、それを現実にするために奮闘し、ムーブメントを起こしたサッカー関係者のみなさま、また、その最終段階で、様々な局面に葛藤しながら、それでも実際に体を動かし、汗を流したボランティアのみなさま、ありがとうございました。
みなさまのおかげで、僕も忘れがたい「1ヶ月」を過ごすことができました。本当にありがとう。
それから、この1ヶ月間、僕を心配したり、励ましたりしてくれた、多くのみなさま、ありがとうございます。おかげさまで「完走」できました。
さて、今日の横浜国際でのラスト数分、僕はすっかり胸が熱くなっていました。
ここに辿りつくまでの道のり、「2002年」がとても大きな目標だったからこそ、その道のりが思い出されてしまって。
例えば、Jリーグができたばかりの頃、まだプレスとして試合を見ることができなくて、それでもJリーグを見に行きたくて、中野サンプラザのチケットぴあに徹夜で並んでいた頃のこと、ドーハの悲劇をテレビで見て、日本代表がワールドカップへ行けない悔しさと、自分が「うちでテレビを見ている」と情けなさに打ちひしがれた時のこと、そして何が何でも4年後の予選は生で現地で見るぞと誓ったこと、そのフランス大会の予選全試合を取材し、最後のジョホールバルで仲間と共に抱きあえた時の達成感、それでもフランスワールドカップの取材ADをもらえず、また4年間頑張って次こそは、と思ったこと…などなど。
本当にとっても個人的なことばかりで申し訳ないのだけど(このサイトはとってもプライベートな個人サイトなので問題はないのだけれど)、そんなこの十年間のことが、まさに走馬灯のように蘇ってきてしまった。
そして、決して楽ではなかったけれど、とても楽しかったこの1ヶ月の「旅」と、十年間の「旅」が終わってしまうのが、無性にさみしくなって、コリーナさんにもうちょっとこの試合を続けさせてくれ、と内心で懇願してたりした。
以前(たしかサッカーマガジンの連載コラムの最終回)にも書いたことがあるのだけど、夢はかなうのです。
諦めないで続けていれば、必ず夢はかなう。本気なら諦められないし、諦めないということは続けるわけで、だから本気の夢は必ずかなう、と僕は思っています。
何者でもなかった僕でさえ、十年間頑張っていたら(かなり幸運はあったとはいえ)ワールドカップを取材することができたし、サッカーの単行本まで出すことができたのですから。
だから、「旅」の終わりのメッセージ(僕自身に対してでもある)は、夢はかなう。だから頑張ろう!です。とても単純で、芸がないけど。
僕自身も実はまだ「旅」の途中です。人に言えば笑われそうな夢を、いまだに抱いている。でも、ここまで15年間フリーランスとして、自分のやりたいことをやってこれたのだから、これからもいつも片手に不安を握り締めつつも、まあ何とかやっていけるような気がするし、頑張り続けていれば夢もかなうような気がします。
だいたいプロリーグもなく、人気もなく、金もなく、スタジアムもなかった80年代の日本サッカーが描いた「ワールドカップをやろう」なんて途方もない夢が実現するのを、僕たちはこの目で見たばかりなのです。
だから、ワールドカップの記憶を、自信に変えて、これからも頑張っていこうと思います。
というわけで、「旅日記」はこれにて終わります。
最初に予言した通り、毎日更新には程遠かった。今回で「14」。でも、僕としてはものすご~く頑張ったつもりです。
そんなわけで、いまの気分は…。
とっても元気です。
なお私のこの「旅」のスケジュールは以下の通りでした。
2002ワールドカップ取材スケジュール
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