自由(と自立)について(仮)
東京五輪が閉幕したので何かまとめ的なものを、と思ってこちら(→スポーツと自由と自立について)を書いたのですが、途中まるっと削除することにしたので、消してしまうのもナンだし、ここにポストしておくことにしました。
もともと「自由と自立」について、いつか書こうと思ってたので、その(仮)です。いつかいつかちゃんとリライトするつもりです。
自由について
自由とは「自分で決めること」と僕は規定しています。
ただし、「自分で決める」とは「自分で決められる」ことであると同時に、「自分で決めなければならない」ということでもあります。
だから「自分で決める」ために勉強しなければなりません。知識や教養がなければ、自分で判断することができないので。
そして、もちろん決断するためには覚悟が必要だし、決めたことを実行するためには技術やスキルが必要です。それを身につけるためには練習しなければなりません。
つまり「自由」になりたければ、必要な能力を身につけるために、勉強したり練習したりしなければならない、ということです(僕はそう考えているということです)。
そしてもちろん、自分で決めて自分で行動した結果には「自己責任」が生じます。
言い換えれば、自分で決めない人には自己責任は発生しません。
「みんなが……」、「普通は……」と「自分」を消して発言し、行動していれば責められることはないし、もちろん勉強したり、練習したりする必要もありません。
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