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ゲルトミュラーさんが亡くなった

 ゲルト・ミュラーさんが亡くなりました。

 僕が初めて知った外国のサッカー選手でした。
 もちろんペレは知っていたけど、それは名前を知っていただけ。要するに「サッカーの神様と呼ばれる偉大で有名な人」という一般的な情報を知っていただけでした。
 けれど、ゲルト・ミュラーには あんなふうにプレーして、あんなふうに点を取るんだな、と自分なりの感想を持った記憶がある。
 まだ当時の僕には、うまいかどうかは判断できなかったし、他のストライカーと比べるほどの知識や情報もなかったけど、それでも「ゲルト・ミュラーというのはこんな選手だった」という個人的な印象はいまも残り続けています。

 そんな自分史の中の記憶をモチーフに、何年か前に掌編の物語を書きました。サッカー専門誌に掲載されたものですが、ここに再掲し、僕なりの追悼としたいと思います。

「32年ぶりの爆撃機」

 幼馴染のKから電話がかかってきたのは1週間前のことだった。
「もしもしミウラ? 俺だよ俺。わかる? 元気でやってるか? 実はいま知り合いと草サッカーチームを作ってやってるんだけど、FWにろくな奴がいなくてさ。それでゲルトのことを思い出して電話してみたってわけ。そんなわけで来週の日曜、試合あるから。おまえも来いよ」
 そうまくし立てると、こちらの都合も聞かずに一方的に段取りを決めたKは「それじゃ待ってるから」と言い捨てて電話を切った。

 しばらく受話器を握ったまま呆然としてしまった。
 Kと話すのは一体何年ぶりだろう? 一緒にサッカー? えっ……?
 何もかもがピンと来なかった。
 息子が駆け寄ってきて「お父さん、どうしたの? もしかしてリストラ?」と心配気に覗き込んでくる。小学校も高学年になり最近では妙に大人びた口を利くようになってきた。

 それにしてもリストラとは。どこでそんな言葉を覚えてくるのか。
 笑いながら答える。
「アホか。お父さんがリストラされるわけないじゃないか。昔の友達だよ。一緒にサッカーやろうって誘いの電話」
「えーっ、お父さん、サッカーできるの?」
 今度は疑いの眼だった。
 息子は小学校に上がる前から地元の少年団に入っている。でも父親は一度も顔を出したことがない。

「うん、まあ昔やってたから……」
 言葉を濁す父親を尻目に、「おかあさん! お父さんがサッカーやるんだって」と台所の母親に向かって大声を張り上げて息子ははしゃいだ。
 そんな息子の様子を眺めながら心に影が差した。これは困ったことになったぞ。
 それにしても、Kの奴、ゲルトだなんて。

 子供の頃からサッカーが好きだった。
 巨人軍がV9の真っ只中で、同級生たちは揃ってYGマークの野球帽をかぶっているというのに、俺とKだけはなぜかサッカーに夢中だった。毎日放課後になると二人で近くの川原へ出掛けていって白と黒のボールを蹴り合って遊んでいた。
 だから長嶋茂雄の引退セレモニーも見そびれた。
 あの夕方は川に落ちて流されたボールをずっと下流まで追いかけていて、気がついたらすっかり日が暮れてしまっていたのだ。
 後で親父に大目玉を食った。なかなか帰ってこない息子を心配して方々探し回っていたせいで、親父も国民的ヒーローの最後の勇姿を見られなかったからだ。

 でも俺たちのアイドルはヨハン・クライフだった。
 いや、プレーはよく知らない。よく知らないが、すごい選手なのだと何となく思い込んでいた。
 Kはオレンジ色のTシャツに太字のマジックで「14」と書き、「俺がクライフだぞ」と顔を輝かせていた。
 どこからそんな情報を仕入れてきたのかはわからない。まだテレビでも新聞でもサッカーのことなんてほとんど取り上げなかった時代だ。もちろんインターネットなんて影も形もなかった。

 Kが「今日からおまえはゲルトだ」と告げたのは、ちょうどいまの息子くらいの年齢の頃だっただろうか。
 西ドイツにゲルト・ミウラというすごい点取り屋がいる、というのがその理由だった。
 本音を言えば俺だってクライフの方がよかったが、「ワールドカップの英雄だぜ。しかもおまえと同じ苗字だ」と説得され、渋々受け入れた。
 そして「行くぞ、ゲルト」とKが出すパスを、棒切れを立てて即席で作ったゴールマウスに蹴り込んだ。ゴールが決まると自分も点取り屋になった気がして、何だか愉快な気分になった。
 それから俺は「ゲルト」になり(そう呼ぶのはKだけだったが)、毎日日が暮れるまで二人でボールを蹴って遊んだ。

 日曜、Kから告げられた河川敷のグランドへ行くと、お揃いのユニホームを着たメンバーが待ち受けていた。
「おーい、ゲルト! こっちだ」。
 すぐにKの大声が飛んできた。
「ミウラです。よろしく」と挨拶しながら輪に加わる。
 まだ20代とおぼしき青年が声をかけてきた。「噂は聞いてますよ。点取り屋なんですって。期待してます」。
 Kを睨みつけた。一体どんなふうに俺のことを話しているのか。
 ピクニック気分でついてきた息子が、借り物のユニホームに着替えた父親の見慣れない姿を不思議そうに見つめながら小声で言った。
「お父さん、点取り屋なんだ。すごいね」
 父親が「期待のストライカー」だと知って誇らしくなったらしい。

 これはホントに困ったことになったぞ、と思う。
 小学校の頃は確かに毎日ボールを蹴って遊んでいた。中学でもKと一緒にサッカー部に入部した。
 でも、すぐにやめた。いくらやっても上達しなかったからだ。
 それまでKと二人だけでボールを蹴っていたから気づかなかったが、どうやら自分にはサッカーのセンスがないようだと思い知ったのだ。
 軽やかにリフティングするKの隣でドタバタやっている自分が途方もなくみっともなく思えて、やがて練習に行くのが嫌になった。
 そして、そのまま退部した。

「辞めるなよ、ゲルト。続けていればうまくなるよ」とKは珍しくやさしい言葉をかけてくれた。
 でも、気遣われると余計に意固地になって俺はサッカーに背を向けた。
 それ以来サッカーボールを蹴ったことはない。息子が少年団に入ったときも、だから関心がないフリをしてきたのだった。
「ねぇ、お父さん」と息子が尋ねてくる。
「なんでゲルトなの?」

 息子には答えなかったが、実はこの1週間、インターネットで「ゲルト」について何度か検索していた。
 そして彼の名前は「ミウラ」ではなく「ミュラー」であること、それでも確かにゲルト・ミュラーという点取り屋がいて74年西ドイツ大会で母国を優勝に導いたことなどを知った。
 いまごろになって少年時代のニックネームの由来を知るのも妙な気分だったが、ドイツでワールドカップが開催される直前にそれを知ったのは何かの縁のように思えなくもない。
 それに<決してうまい選手ではなかったが、体のどこかに当ててでもゴールを狙い続けた>という記述に心の奥の方が微かに震えた。
 Kの一方的な誘いに乗って、せっかくの日曜日にノコノコ出掛けて来たのもそんな思いがあったからだ。

 試合前のアップが始まる。Kがパスを送ってくる。トラップしないで、そのまま右足で蹴り返してみた。思いの外鋭いボールがまっすぐに飛んでいった。
「いいじゃないか、ゲルト。その分なら今日はハットトリックだな」
 笑いながらKが蹴り返してくる。また思い切り蹴り返す。30年ぶりのボールの感触が心地よくて思いがけず夢中になった。

 集合の合図がかかった。ピッチへ駆け出していくとき、ちらっと息子の方を見た。手を振っている。もう開き直るしかない。
 Kが耳元で囁いた。
「俺がパスを出すから、おまえはゴール前に詰めてろ。大丈夫だ。今日のおまえの背番号は13番だ」。
 意味はよくわからなかったが、黙ってうなずいた。
 オフサイドに気をつけながら、とにかく相手のゴール近くにポジションをとる。なぜだかチャンスがやってきそうな気がした。
 そしたら、どんな無様な格好でもいいからゴールを決めてやろう。そして派手なパフォーマンスをしながら息子のところへ駆け寄ってやるんだ、そう心に決めてKからのパスを待った。

(キネ旬ムック2006「フットボールライフ」vol2より再掲)


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