見出し画像

「今日から新年度」の日に。

 今年も「今日から新年度」の日がやってきた。
 実は僕にとっては、世間離れしている自分を年に一度思い知らされる日だったりする。勤めていたり、家族がいたりすれば、当然訪れる節目なのだろうが、「一人仕事・一人暮らし」の僕はもう長らくそんな日を迎えていないからだ。
 新年度も、新生活も、遥か彼方である。

 最後の「新年度」はいつだろう……と考えて、19歳の春の日記をめくり返してみた。
 1984年、昭和で言えば59年。この春、僕は大学に入学し、上京して、新年度と新生活を迎えた。

 合格発表は3月8日だった。1つの大学の、4つの学部を受験していたから、通りをはさんで2つのキャンパスを行き来して、張り出されている受験場号を確認した。
 4つ目の掲示板のあたりで高校の同級生とばったり会って、「落ちたんだと思ったよ」と苦笑された。僕の様子があまりに素っ気なくて、合格したようには見えなかったらしい。
 確かに、喜びとか安堵とか、そんな感情の記憶はほとんど残っていない。

 よく覚えているのは地下鉄の駅で見つめた路線図だ。
 合格発表を見て、そのまま東西線の駅に下りて、路線図を見上げて、高田馬場、落合、中野……と辿った。
 90円だったか、100円だったか。とにかく大学のある駅から最低料金で乗れる一番先の駅、それが中野だった。
 これなら交通費もかからないし、地名にも聞き覚えがあったから、ここにしようと決めて、切符を買い、地下鉄に乗って、その駅前の不動産屋に入り、僕の条件に合う物件を伝えて、すぐに契約した。
 部屋探しのためにまた上京するわけにはいかなかったし、そもそも僕が出した条件では選択肢はほとんどなかったから、迷ったり悩んだりすることもなかったのだ。何より、東京での居場所を早く決めておきたかった。
 そして中野駅から今度はJRで東京駅へ出て、新幹線に乗って帰途についた。たぶん合格発表から1時間くらいのことだったと思う。

 本格的に上京したのは3月19日。このときは母が同行している。
 秋葉原で小さな冷蔵庫と炊飯器、それにこたつ台を買ってもらった。その後、一緒に皇居へ行った……と日記に書いてあるのだが、まったく覚えていない。
 母親に何かを買ってもらったのも、一緒に買い物したのもたぶんこれが最後だから、そのときのことを(母親は子供に関することは些細なことでも本当によく覚えているから)尋ねてみたいところだが、もうそれは叶わない。

 改めて当日の行動を辿り直してみれば、秋葉原で生活用品を買い揃え、皇居へ寄って、大学で手続きをした後、東西線の駅で別れたようだから、東京駅から新幹線で帰る母は上り線に、中野へ向かう息子は下り線に乗り込んだことになる。
 生まれたときから同じ家で暮らしてきた親子の「帰る場所」が別々になった、という意味で、とりわけ母にとってあの日は節目の日だっただろう。
 そして僕の東京での「新生活」も始まったのだ。

 入学式は4月2日……だったようだが、やっぱりまったく思い出せない。もしかしたら出席しなかったのかもしれない。
 覚えているのはその日、JUNのスタジャンを着ていたこと(あの頃はほとんどあの赤いスタジャンを着ていた)。
 大抵の新入生がスーツや学ランだった中、普段着の僕はサークルの勧誘にほとんど遭わず、少し寂しかった記憶がある。

 もっともせっかくの「新年度」ではあったが、当時の僕はそれどころではなかった。
 上京の数日後の<バイトの研修。夜9時まで拘束された>にはじまり、<高校時代の友人に5000円借りた>など、記されているのは生活費にまつわることばかり。
 入学式を迎える前の3月29日には<家賃を払ったら、残りは銭湯代と150円だった。貯金箱の1円玉を集めてやっとハイライトを買った>という金欠ぶりだった。

 ちなみに、このときの家賃は1万8000円。4畳半一間、風呂なし、トイレ共同。それでもいつもぎりぎりだった。
 だから(と言っていいのだと思うが)この頃僕は怪しげなアルバイトに不思議なくらい誘われ続けた。
 きっと懐事情は見る人が見ればわかるのだ。

 その後、授業にはほとんど出席せず、大学も横に出て、会社にも入らなかったから「新年度」というような節目が訪れることはなかった。
 当然、新入社員になることはなかったし、新入社員を迎えることもなかった。
 引っ越しは繰り返したが、それは収入と家賃のリンクによる現実的な転居で、そこに「新生活」というほどのロマンチックさはない。
 初々しさは僕がもっとも大事にしていることだけど、その主語は自分自身であり、暦や環境によってもたらされるものではない、とずっと思ってきた。

 ……と振り返りながら、要するに、あの19歳の春の続きを、いまも僕は生きているのだな、と苦笑するばかり。
 つい数日前までたわわだった隣家の桜に緑が目立ち始めている。さっき歩いた名越の切通しはすでに草木が鬱蒼としていて新緑の装いだった。
 宴会が許されなかろうが、花は咲き、そして散る。
 季節は巡り、また春が来た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?