見出し画像

母の生活の価値ー介護の日々

昨年の今頃、私は仕事をやめて母と同居しようと決めた。
当時の母は90歳になったところで、10年くらい一人暮らしを続けていたところだった。
暑さのせいか食事の用意もままならず、動きも悪く、正直なところ夏を越せないのではないかと思ったくらいだった。
7月の末に年内に辞めることを役員に告げて、そのあとのお盆の休みは本当にひさしぶりに1週間くらい母とどっぷりと過ごした。そのときは、何もできないだけでなく気力の感じられない様子を目の当たりにして、これが自分の母親なのかと衝撃を受けたことを覚えている。

あれから約1年。いま、母は91歳になった。
まだなんとか自分の足で動き、食事もしているが、めっきりと衰えたなあと思う。
いまに比べれば、1年前はなんとしっかりしていたことかと。
あのときは、自分でガスを使って時々は食事を用意することができたが、いまはもうやらない。自分の下着などは自分で洗濯機を回していたが、いまは私に任せきりだ。最近は夜用の大人の紙パンツがうまくはけないときもあり、そんなときは私を呼ぶ。母の裸の姿は小学生の頃に見たきりで記憶にも残っていないが、50年以上ぶりなんだろうな。

いまは新型コロナのことがあり、お気に入りの姪っ子とも3か月以上会えていないし、近所の友達とも交流が極端に減ってしまった。会う人といえば、私以外は、お向かいの女性の方、デイサービスの介護士さん、訪問看護師さん、訪問リハビリさん、それと定期受診している病院の先生と看護師さんくらい。
皆さん、良い人だし、高齢者向けのサービスを受けていない人に比べれば、かなり人との交流はあるほうかもしれないが、なにより親しい身内と会えないのが残念なようだ。

部屋の中で転ぶ、トイレで立ち上がれなくなるなどで、明日にでも施設に入所しても不思議でない母の様子を見ていると、自粛したまま会いたい人にも会えない生活を続けながら最晩年を過ごしていることがいいことなのだろうか、と真剣に思う。
QOL(Quality of Life)が大事とよく言うけれど、母の生活の価値はなんなのだろう?

このことは、実は私の問題でもあるかもしれない。
あと30年、いやいや20年もすれば同じ問題にぶちあたるのは予想されるのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?