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主治医の告知-介護の日々

少しぎょっとするタイトルだが、母の余命宣告をされたわけではない。

母はもう何年も神経内科でパーキンソン病の診てもらっている。1か月に1回ペースで診察を受けて、あとは自転車をこいだり電気をあてたりとリハビリをしている。昨年末から母と同居するようになった私も、通院に付き添うようにしている。
そんな事情があって、私も腰痛持ちなので、湿布や痛み止めをもらおうと先月から一緒に診察を受けるようになった。
ひさしぶりにレントゲンも撮影したが、状態はとくに変化はないようで、在宅の時間が長くなった分と年を取った分とで、関節、筋肉ともに劣化していることだけはわかった。

先週、薬が切れてしまったので一人で診察を受けた。親子で同じ先生に診てもらっているなあとあらためて思いながら診察室に入り、問診、薬の量などの相談。ありがとうございました、と出ようとすると先生に呼び止められた。

今日は息子さんひとりだからと、すこし遠慮がちに話し出す。
――おかあさんはパーキンソンになってもうずいぶんなるけれど、まだまだ元気に過ごせると思う。でも90歳も越えているし、いつ何が起きても不思議ではないのですよ。――
そんな風に話し出した。先生の話を要約すれば、母のような高齢の患者が亡くなるのは、誤嚥性肺炎か突然死の二つのケースが多いらしい。私の母の場合はいまのところ咀嚼には問題ないし、一人で食事することもほとんどないので誤嚥の心配は少ない。
一方、突然死は、明け方に多い。原因はわからないことが多いが、交感神経と副交感神経の切り替えがうまくいかないからなのかもしれない。朝、起きてこないので家族が不思議に思って寝室に見に行き、発見するケースも多い。
――今日はお母さんがいないから、変なことを言うようだけど、ごめんなさい。明け方の突然死は、お顔も穏やかで苦しまないで亡くなるんですよ。もしそういうことがあれば、救急車を呼ぶとは思うけれど、冷たくなっていたら搬送してくれません。搬送したら搬送先の病院の先生が診断書を書くことになるけれど、もしそのまま家にいるときは、私が死亡診断書を書きますよ――と先生。

――朝、起きてこないので見に行ったらそうなっていた、ということが起きるんじゃないかと思うことがあります。それでも前の日までおいしく食事をして、長期の入院などもしないで苦しまず行けるのならば、それもいいのではないかと思っています――と私。

先生も一緒にいる看護師さんもちょっと困ったような顔をして、そうそうとうなづいているようだった。そして、その時、私もほんのちょっとだけ鼻の奥がつんとして、なにかもう一言かけられたら涙が出るかも、という状態なのを自覚した。
日頃は特別に母のことを思うこともないが、それでも死を意識すれば、かなしい気持ちが人並みにわいてくることがわかった診察室での数分間だった。

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