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気づいたら校長になっていた episode 2

お正月、コロナ明けで久しぶりに実家に行ったおり、ボクのことを誰だかわかってなさそうな父親とチグハグな会話を続ける勇気もなく、一人で散歩に出ることにした。

バス通りをしばらく進むと、あの場所に通りかかる。今はもうないが、かつてミッション系の幼稚園があったあの場所だ。

人生ではじめて受験に失敗したのは3歳のときだった。名前を訊かれても、年齢を訊かれても、ボクは目も合わせずジッと前を向いていた。怖かったのではない。目の前にいるシスターの満面の笑顔のその奥に潜む偽善を読み取ったのか、優しさあふれる声の向こう側にただならぬ敵意を感じ取ったのか・・・。

時を置いてもう一、二度名前を訊かれたが、結局、ボクの口が開くことはなく、まさかの展開ながらも一縷の望みを抱いていたにちがいない母親を、とうとう羞恥と絶望の谷底に突き落とした。

黒歴史のはじまりである。

別の幼稚園に進んだボクは、わざと頭をぶつけて窓ガラスを割ったのに人に押されたとウソをつき、女子の水着を見て自分にはパンツしかないと泣きわめいた。

小学校では、入学2日目にして宿題を忘れ、通知票を改ざんしたことがばれて家を放り出され、食べるスピードが追いつかず隠したコッペパンは机の中でカビを生やし、九九は暗唱できないのに寝台特急富士の停車駅は暗唱し、卒業式の予行では先生にステージの上まで引きずり上げられてビンタを喰らい、6年生全員の前で鼻血を出した。

やれやれ、まだ小学校卒業だ。たかが数十分の散歩で振り返るには、ボクの闇はあまりに深すぎるのかもしれない。

夕食時を見はからって実家に戻ってみると、ボクの帰りを心待ちにしていた様子の父が照れくさそうに5万円の入ったご祝儀袋を渡してきた。表には「校長就任祝い」と書いてある。

「いやいやいや、校長になったんは7年前なんやけど!」とツッコみかけたが、ありがとうとだけ言って受け取った。

もしかしたら、その時、ボクはようやく一人前の校長になれたのかもしれない。

末筆ながら、PTA活動に御尽力を賜りました本部役員のみなさま方に心より御礼申し上げるとともに、保護者のみなさま方の御健勝を祈念いたします。

京都府立清明高等学校PTA会報『想』Vol.19 より

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