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一生の、一生のお願い 最終話

 目の前には多くの人があふれている。日曜日の昼間ということもあって、駅前はにぎやかだ。
「遅い」
 時計を見れば、遅れて到着する予定の時間すらもう過ぎている。
 祐輔の遅刻癖は十年経っても治らない。諦めていつものように手持ちの小説を読み始める。その時、いつもの声がした。祐輔だ。こちらに走ってくる。
「ごめーん」
「本当にお前は変わらないな」
「研究者っていっても、まだ学生みたいなものだからさ。貴史はスーツが似合ってるよな」
「俺は見た目の話をしてるんじゃない。また、遅刻しやがって」
「オレと貴史の仲じゃん」
「いつもそれで誤魔化せると思うな」
「わかったよ。そのうち借りは返すからさ。とりあえずお店に行こうぜ」
 文句はあるがあまり変わっていない祐輔に安心した俺は、許していないというポーズは崩さずに店へ向かった。
 店内は薄暗い。全席が個室になっていて周囲を気にせず話をするにはピッタリだ。祐輔がつぶやく。
「貴史は相変わらず、おしゃれな店を知ってるよな」
「こういうの好きなんだよ」
 座り心地の良い椅子に座ると、旬の食材を使ったものを中心にオーダーする。
 飲み物が運ばれてきたので、俺たちは乾杯をした。先付けは柿に薄切りしたバターを載せたものだ。柿の控え目な甘さとバターの塩味がちょうど良いコンビネーションになっている。俺は思わずつぶやく。
「こういう美味いものを食ってると、一杯やりたくなるな」
「貴史、昼間っから大丈夫なの?」
「ちょっとくらいならいいだろ。再会の祝い酒だ」
「ほどほどにしとけよ。ところで、貴史は最近どうしてるんだ」
「相変わらず同じ会社で仕事してるよ」
「そうなんだ。何年間も同じところで、飽きたりしないの?」
「今のところは。上司から任せてもらって、好き勝手やらせてもらえてるからな。祐輔も順調そうじゃん」
 祐輔はきょとんとした顔で俺を見る。
「オレ? オレなんて研究者としては、まだまだ駆け出しだよ」
「でも、この前発表した論文が注目されてるって聞いたぞ。俺には専門的過ぎてよくわからなかったけど」
「今回のは共同研究者の人のお陰だよ」
「ふぅん。でも、けっこう海外にも呼ばれてるみたいじゃん」
「まあね。長距離移動は疲れるから好きじゃないんだけど、いろんな人と話をするのはやっぱり楽しいよ」
 祐輔は満足そうな顔で、出てきた焼き魚の身をほぐしている。
「充実してるみたいだな」
「もちろん」
「充実と言えば。美紀先輩、結婚するらしいぞ」
 祐輔は箸で挟んだレンコンの肉詰めを落とした。
「なんだって。相手はどこのどいつだ」
「驚くなよ。勇人だ」
「マジか!?」
「うん」
「いつの間に?」
「サークルのOB会で再会した時に上手くやったらしい」
「どうやって?」
「そこまでは知らないけど。今度会った時に詳しく聞いとくな」
「無茶苦茶ショックだ」
 祐輔は頭を抱えている。美紀先輩の感じからすれば、コイツにもチャンスがあっただろうに。普段の行動力がなんで恋愛では発揮できないんだか。
「勇人もいい奴だから、きっと美紀先輩のことを幸せにしてくれるさ」
「まあね。そういえばさ。オレ、この前弘樹と会ったんだ。アイツもかなり雰囲気変わってたよ」
「へぇ。どんな風に?」
「お洒落なイケメンになってた。最近は派手に遊んでるみたいだったよ」
「弘樹ってどっちかというと地味目だっただろ。何かあったのか」
「何か失恋して変わったって言ってた」
「ふぅん。弘樹って恋愛で変わるタイプだったんだな」
 俺は手元のお茶に口をつける。あの弘樹がねぇ。想像がつかない。祐輔はしみじみ言う。
「うん。みんな変わるよな」
「だな。でも、リョウガさんは最近一緒に飲みに行ったけどあんまり変わってなかったぞ」
「えっ、いいな。リョウガさん、オレとは全然遊んでくれないんだよ。まあ、確かにあんまり変わらなそう」
「あっ。でも、自分の店を開いたって言ってたな」
「そっか。リョウガさん、夢を叶えたんだ」
「タクマさんも一緒らしい。けっこうダメ出しされるみたいで『僕がオーナーなのに』って愚痴ってた」
「あの二人らしい。でも、なんだかんだいってお互いのことを信頼しているよな」
 盛り上がっている話を遮るように、スマートフォンが振動する。俺のだ。
「悪い。マナーモードにしておく」
「大丈夫?」
「あいつからだから、大丈夫」
「みっちゃん?」
「そそ」
「付き合い長いよね」
「だな。未だに祐輔のことを警戒してるらしい」
「みっちゃん、貴史のこと好きだもん。見てるだけでわかるよ」
「そっか。あんまり公衆の面前ではベタベタしないで欲しいんだけど」
「やっぱり気になる?」
「まあな。でも、好きにさせるさ」
「おぉ、ラブラブじゃん。最初みっちゃんに会った時は『オレのせいか』と思ったけどーー」
「そんなことないって。全く関係ないって言ったらウソになるけど」
「ふぅん。いずれにしても貴史が幸せならいいけど」
「それは俺が保証する」
「そっか」
 祐輔は笑顔で応える。
 久しぶりに会うと話すことが多くて、時間はあっという間に過ぎてしまった。食事が終わり、駅に向かっていく祐輔の背中を俺は見送る。
 正直にいえば祐輔のことを見て、今でも思うことがない訳じゃない。でも、ヤツの笑顔を見ると思うのだ。
 これでよかったと。
 この年になると、結ばれることが必ずハッピーエンドということではないと思うようになった。お互いにちょうどよい距離でいることが、幸せなこともある。
 俺と祐輔は人生の伴侶にはなれない。でも、俺にとって祐輔はいくつになっても、お互いが誰と結ばれることになっても特別で大切な存在だ。
 それが最善の関係もある。俺はそう思っている。
 気が付けば、またあいつから連絡が入っていた。
 俺はかけ直す。
「なんだよ」
 電話の向こうからは聞き慣れた声がする。
「ああ、わかった。これから帰るよ」
「うん、うん。いつもありがとう。お前のこと、世界で一番愛してるよ」
 電話を切って、空を見上げる。雲ひとつない真っ青な空だ。
 さて、今日もがんばるぞ。

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