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ナンパ師になりきれない男⑥

 一週間後。

「詳しく話を聞いてみたら、自分だったら耐えられそうだったので、異動の話を受けることにしました」

 僕は多恵からそう返事をもらった。

 異動まで二週間しかないらしい。だとしたら、彼女が旅立つ前に会う時間はなさそうだ。

 多恵自身、準備で忙しいだろう。それに、関東からほとんど離れたことがない彼女が身近な友だちと別れを惜しむ時間を奪うのも申し訳ない。

 僕は多恵にメッセージを送る。

「引っ越しまでもうすぐだね」

「はい。周りのいろんな人が送別会を開いてくれて、最近は毎日飲み会なんですよ」

「そっか。それだけ多恵ちゃんが周りの人に愛されているんだろうね」

「本当にありがたいです。ヒロさんにも改めてお礼をしなくちゃいけないですよね」

「でも、多恵ちゃん引っ越しの準備もあるでしょ」

「そうなんですよ。なんで一日って二四時間しかないんだろう」

「だね。僕、仕事で関西によく行くからさ。その時に改めてご飯でもしようよ」

「そうなんですね、やったぁ。じゃあ、関西にいらっしゃった時は大歓迎しますよ。良かったら私の家に泊まってくださっても大丈夫なんで」

「ありがとう。残りの東京生活、いろいろな人に会っておきなよ」

「はぁい」

 この様子なら、多恵が東京にいるうちに結論を急ぐ必要はなさそうだ。多恵が新しい生活に落ち着いて、さびしさを感じた頃こそ狙い目だろう。

 多恵とは彼女が神戸に引っ越した後も東京にいる時と変わらずやりとりを続けた。

 ずっと親元にいた多恵は「お母さんの苦労がわかった」と言いながらも、前から欲しかったブランドの食器を揃えたりなど、これまでできなかったことに挑戦する日々を楽しんでいるようだ。

 仕事も慣れない土地ということもあって悪戦苦闘していたようだが、日々成長している手応えを感じているのがわかった。

 しかし、三ヶ月くらい経った頃、多恵が「神戸に来る前はみんな遊びに来るって言ってくれたのに全然来てくれないんですよ」と言いはじめた。

 これはそろそろかもしれない。

 予感が正しいことを確認するために僕は「ちょうど仕事があるから顔出すよ」と伝えた。すると彼女からすかさず「本当ですか、やっぱりヒロさんですね。楽しみにしています」と返事があった。

 どうやら期は熟したようだ。

 僕は神戸の三宮駅に約束の一時間半前に着き、駅の近くをぶらっとひとまわりした。

 よくよく観察してみれば、街の作りが関東と違っていて面白い。アーケードの中でもお店同士がつながっていて、さながらジャングルのようだ。メインの通りを少し外れたら、チェーン店ではないその土地「らしさ」が感じられる個人商店も並んでいる。

 さて。事前にネットである程度お店の目処は付けてきた。けれども、実際の雰囲気は目で確認するしかない。

 じっくり話が出来る落ち着いた場所で、店の個性を感じさせるデザインや素材を大切にしたメニューがあるのかをひとつひとつチェックする。

 メインの商店街をひとつ入ったあまり人通りがないところに、関西近隣で取れる野菜を使ったお店を見つけた。大正時代の喫茶店を思わせるような外装も妙に艶っぽい。

 ここが良さそうだ。

 まだ三十分ほどあったので待ち合わせ場所の近くにある洋服屋で時間を潰す。この辺りだとカジュアル系をベースにしながらもワイルドさを感じるデザインが多い印象だ。同じ関西でも、大阪や京都とはまたテイストが違う。この辺りの研究を深めたら何か発見がありそうだ。ちょっと試着でもしてみようか。そう思った時、ポケットの中でスマートフォンが振動する。

 さて、時間だ。

 待ち合わせ場所に着くと、向こうから多恵が近付いて来るのを見つけた。ふわふわした白いセーターを着た彼女は前にあった時より顔色もいい。手を振って、僕に近付いてくる。

「ヒロさん、お久しぶりです。お待たせしましたか」

「僕もちょうど今来たところだよ」

「お店はどこにしましょうか」

「多恵ちゃんのオススメのお店はあるかい」

「うーん、実はこっちに来てからバタバタしてて、あんまりお店をチェックできていないんですよね」

 多恵は困った顔をする。

「じゃあ、この前仕事で来た時に見つけたお店があるからそこにしようよ」

「ありがとうございます」

 さっき確認をしたお店で飲み物と料理を注文して一息つくと、どちらからともなしに話はじまった。

「関西の暮らしには慣れたかい」

「職場の人がみんないい人なんで助かっています。最近は話にどんな落ちをつけるかにハマっていて。みんな、指導してくれるんですよ」

 多恵は満面の笑みを浮かべる。

「そっか、けっこう馴染めているみたいだね」

「そうですね。多分、人に恵まれたんですよ。それに東京を離れたからなのか、以前より自分に正直に過ごせている気がします」

「そっか。神戸に来たのは多恵ちゃんにとって正解だったんだね」

「ええ。ヒロさんのアドバイスには感謝しています。ヒロさんと出会えて本当に良かった。元々は講座で隣に座っただけなのに。とても運命的ですよね」

 アルコールが入っていることもあって、多恵の顔はほのかに赤く染まっている。心なしか僕を見つめる目にも熱が帯びているようだ。

 これはイける。

 待ちに待ったフィナーレは目の前だ。いざ、最後の攻勢をーー。

 僕が多恵にとどめを刺す言葉を放とうとした時、彼女はふと口を開いた。

「実は神戸に来てから出会った人がいるんです」

「へぇ、そうなんだ」

「全然タイプじゃないんですよ。これまでの私だったら絶対に選ばないと思います。でも、その人の前だと自分を作らなくても一緒にいられるんですよね」

 多恵の話を聞きながら僕の頭に言葉が巡る。

 もしあの時の庭園で、もしエレベーターで。でも、しかしーー。

 僕は多恵の顔を見た。彼女は東京にいた時には見たことがないくらい落ち着いた、それでいて輝いた目で笑みを浮かべている。そんな姿を見て、僕も不思議とうれしくなった。

「そっか。多恵ちゃんは大切な人に出会えたんだ。本当に神戸に来て良かったね」

 僕はそう笑顔で応えた。

 多恵との食事を終えて、僕たちは店を出た。

「また遊びに来てくださいね」

 無邪気に言う彼女の姿が見えなくなるまで見送ったあと、僕はふと時間を確認した。

 もう、東京行きの最終はなくなってしまったようだ。

 僕は多恵に連絡を取ろうとアプリを開こうとした。が、気を取り直してネットで宿泊先と一杯飲めそうな店を探した。

 ちょうど良さそうな処を見つけて、僕は歩き出す。

 春が近付いているとはいえ初春の夜はまだ寒い。そのはずだが、不思議と身体の芯からぽかぽかと暖かさが沸き上がってくる感覚がする。

 ついさっき失恋したばかりだというのに駅に向かって歩いていると口は自然とメロディを奏でる。

 空を見上げれば、雲ひとつない空に満月が浮かんでいた。

 今日の月はいつもより綺麗だ。

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