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運命はどこにでも転がっている 第9話

 澄んだ朝の空気が、ほんのり冷たい。もう十月だ。そろそろ冬服を出す時期かもしれない。ジージャンを羽織り、俺は大学の校門ヘ向かう。そこで翔真から、必要なチケットを受け取ることになっている。
 にしても、川村が学園祭に来るのを阻止するのには、骨が折れた。合コンを設定してやることで、納得してくれて助かった。
 気が付くと道を歩く人の姿に大学生らしき若者が増えてきた。そろそろだろうか。人々が向かう先を見ると翔真の姿があった。誰かと話をしている。
 茶色いカーディガンで眼鏡を掛けているさらりとした黒髪の男だ。年は翔真と同じくらいだろうか。楽しそうに話をしている。
 何故だか胸が騒ぐ。どうしたんだ、俺は? 二人を見ていたら、翔真と目が合った。彼はこちらに手を振る。
「誠史さん」
「翔真、おはよう」 
 一緒にいた男も静かにお辞儀をする。こちらの目線に気が付いたのだろう。翔真は男を俺に紹介する。
「彼は善明剛(ぜんみょうつよし)くん。オレと同い年なんだ」
「はじめまして、誠史さん。お話は翔真くんから聞いています」
 翔真は俺たちのことを彼にどこまで話したのだろう。っていうか、そもそもどういう関係なんだ? 混乱する俺を余所に、剛は言葉を続ける。
「翔真くんに聞いていた通り、格好いいですね。ボクもこんな素敵な彼氏が欲しいです」
 今、彼氏って言ったよな。ということは、彼はゲイらしい。どういう知り合いなんだ? 俺は翔真の顔を見る。
「あのアプリで知り合ったんだ。一美さんから、いろいろな人の恋愛観を聞いた方が良いって言われて」
 なるほど。って、まだアプリを続けていたのか。それって、平気なんだろうか。悠親と一美は無理に事を進めるタイプではなかったが、変なヤツに引っ掛からないとも限らない。翔真にそのつもりがなくても、相手が夢中になってしまうことだってあり得る。彼だって何人も会っていれば、気になる相手が出てこないとも限らない。
 だが、翔真がいろいろな人に話を聞かないといけない状況を作っているのは、そもそも俺だ。「付き合っている」と口では言っているが、手すら握ってない。年上の俺が引っ張るべきなのに、煮え切らない態度でグズグズしている。こんなことなら、翔真の家ヘ行った時にさっさとしておくべきだったんじゃないだろうか。
 いやいや、そんな無責任なことはできない。痴漢にあって、嫌な目にあった後だぞ。だが、それも数ヶ月前の話だ。もう、いいんじゃないか? 態度をハッキリさせずに、関係を続ける。それこそ無責任じゃないだろうか。けど。
 その時、若い男の声がした。
「翔真、おはよう。お前、早いな」
「おう、俊輔。お前が遅いんだよ」
「何だよ。お前だって俺と一緒に暮らしていた時は、同じくらいの時間に来ていただろ?」
 一緒に住んでいた、ってことは同棲? 翔真は「男で好きになったのは俺が初めて」と言っていたが、ウソだったんだろうか。
 いや、待て。翔真は今の家に引っ越す前に同級生とルームシェアをしていたと言っていた。ということは、彼がその相手なのだろう。よく見ると女の子も一緒にいる。
 彼らが立ち去ると今度は振動音がした。スマートフォンだろう。翔真は慌てて、ポケットから取り出して話を始める。しばらく受け答えをして、電話を切るとすかさず手を合わせた。
「すみません。サークルから呼び出しがかかっちゃったんで、行かなくちゃいけなくなりました。また後で連絡するので、ちょっと失礼します」
 翔真は俺たちにチケットを渡すと、大学の中へ走っていった。さて、どうしようか。剛の方を向くと、彼から話し掛けてきた。
「あの。実は、ちょっと聞きたいことがあって。お時間を頂いても、よろしいですか」
 何だろうか? 彼とは初対面だ。どんなことなのか、想像もつかない。剛はじっと俺の目を見る。何か深刻な内容なのだろうか。別に用事がある訳でもない。
「いいよ。けど、ここじゃ何だから、どこか座れる場所に移動しようか」
「はい」
 剛は力強くうなずいた。俺たちは大学構内にあるカフェテリアヘ入った。小さい店舗だからなのか、他の客の姿はほとんどない。俺はカウンターに立っていた店員に話し掛ける。
「注文、いいですか」
「はい。こちらから、お選びください」
 カウンターの上にメニューが張られている。先に飲み物を買って、席で飲むシステムのようだ。
「俺はアメリカンで。剛くんはどうする?」
「えーと、そうだな。僕はカフェオレにします」
「ありがとうございました。それでは五百円になります。お会計は、ご一緒にされますか。それとも別々になさりますか」
「じゃあ、俺が払うよ」
 財布を出そうとしたら、剛が口を挟んできた。
「いや、別々にしてください」
「おごるよ。俺の方が年上の社会人だから」
 俺の言葉に剛は首を横に振る。
「困ります。そういうの、嫌なので」
 そこまで言われて押し通す訳にもいかない。剛は真面目そうなタイプだ。人に理由なく貸しを作るのが、嫌なのだろう。俺たちは別々に支払い、紙のカップを受け取ると空いているイスに座った。
 席からは庭園が見える。青々とした芝生の上を小鳥がぴょんぴょん飛び回っていた。俺はコーヒーを一口飲む。剛は肩をすぼめてカップを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「ボク、お二人みたいな付き合いができたら良いなと思っているんです」
「俺たちみたいって?」
 そんな風に言われる理由が思い付かない。
「翔真くんから、お二人はまだ身体の関係がないって聞きました」
「そうだけど。それって、そんなに羨ましいこと?」
「はい。ボクは自分が本当に好きな人としか、したくないんです」
「それって、まあ普通のことじゃない?」
「違いますよ。みんな、すぐに身体の関係を持ちたがるじゃないですか」
 俺の頭に悠親と一美の顔が浮かぶ。
「えっと。俺たち、お互いが初めて男を意識した相手だから、良くわからないんだよね」
「それですよ。お互いに恋愛感情を抱いた相手が初めてっていうのが、まず奇跡です。しかも、身体の関係がないって、心でつながっているってことですよね」
 最初に会ったカップルの印象が強かったので、みんなあれだと思っていたが、プラトニック重視のタイプもいるらしい。そういう意味では「いろいろな人に会った方が良い」という一美のアドバイスには、一理あったようだ。だが、俺たちは剛が期待するような関係ではない。彼の夢を壊すようで忍びないが、俺は訂正する。
「そんな大層なものじゃないよ。実際には戸惑って、先に進めないだけなんだから」
「けど、それって自分の欲望を優先せずに相手をちゃんと意識しているからこそ、踏みとどまっていられるんですよね」
 翔真を不用意に俺の気持ちに付き合わせたくないという気持ちはある。けど、それだけか。
 男同士で境界を一度でも踏み越えてしまったら、後戻りはできないかもしれない。その恐怖心は俺自身の保身だ。むしろ、自分から関係を進展させないことで、無意識に翔真へ責任を押しつけようとしているのかもしれない。
 それにしても、剛はあまり良い恋愛をしてきていないのだろうか。俺は彼に尋ねる。
「ちなみに、剛くんはこれまで、どんな恋愛をしてきたの?」
「ボク、ですか? えっと、これまではフラれてばかりです。ゲイじゃない相手を好きになっちゃうので仕方ないのですが」
「クラスメイトとか?」
「はい。高校までは好きになって、告白して、フラれての連続でした。親元を離れてからは、ゲイ同士で会うようになったんですが」
 剛はため息をつく。自分から告白をするなんて、意外と行動力はあるらしい。彼は話を続ける。
「素敵な出会いもあったんですよ。けど、そういう相手に限って上手くいかないんです。何がダメなんですかね。それが知りたくて」
 だから、俺と話をしたかったという訳か。パッと見た印象では、かわいいタイプだと思う。声をかけてくる男は、いそうだ。けど、男同士だと違うのだろうか。いまいち勝手がわからないので、どうアドバイスをするべきか見当がつかない。
 誰かが俺の肩を叩く。

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