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IDの根本問題(瞬間移動・スワンプマン問題の本質)

普段の生活の中で、たまに身分証明書を求められることがある。
学校に入学するとき、レンタルビデオを借りるとき、就職するとき、などなど、いろいろな場面で本人確認をされる。

この身分証明書(=ID)について、今日は考えてみたい。

<ある人物>がある記号で表せる<名前(ID)>と一致するかはどう保証されるのか?

仮に私の本名が山本太郎であり、東京都に戸籍があるとしよう。免許証や住民票なども比較的強いIDである。

でも、それが物理空間の私の身体とどう紐づくか?

IDとは何か

IDとは、システムの利用者を識別するために用いられる符号のこと。特に身分証明書は、ある人間とある名前という記号との結びつきを証明するものだ。

なぜそんなものが、必要か?
それは、社会生活を行う上で、その人の行動履歴を集約して、その権利や義務あるかどうかを確認するためといえるだろう。

以下、
身分証明書(ID)は、どうやって身体と記号の結びつきを証明するのか考えてみたい。

身体と記号の結びつき

ここに田中太郎という人がいるとしよう。

どうやってここにいる個体としての生物的身体と、記号である「田中太郎」の一致を証明するか?

その人に、保険証を出してもらったら、「田中太郎」と書いてあった。
でもそれだけでは、他人の保険証かもしれない。

では、顔写真付きの免許書はどうか?
顔が同じだから、本物の身分証明書だ、だから身体と記号の結びつきが証明されたといえるか?

まだまだ。

偽造されたものかもしれない。
或いは本物だったとしても、双子の兄にものかもしれない。或いは赤の他人に整形手術で生まれ変わったのかもしれない。

では、生体認証はどうか?

指紋はどうか?

最近では、生体データとして、指紋だけでなく、血管、音声、虹彩、網膜など様々あり、行動データとしては筆跡などだけでなく、まばたきや歩行、でも特定ができるようになっているらしい。

ただ、これもだめかもしれない。

人間ボディは、変わる可能性がある。指紋は損傷する可能性もある。眼球だっと同じ。血管は長く使える気もするが、もしかしたら老齢化で変わったりするかもしれない。

また、仮に虹彩で個人を特定しても、その特定に使うパターンを適切に管理しなければならない。ハッカーに書き換えられたり、データが破損したりしたら、特定できなくなる。

現時点で、
一番強固に見える生体認証ですら、
身体と記号の一致は保証できない。

ではどうすればいいのか?

瞬間移動

ここで一つの思考実験を考えてみよう。

仮に東京で、山本太郎の素粒子状態を全てコピーして、ニューヨークでその素粒子状態を全て再現できたとしよう。オリジナルの東京にいる山本は消去され、ニューヨークの山本だけを生き残らせることで瞬間移動が社会的に成り立つ。という思考実験。

もちろん、素粒子状態をコピペすることなどはできないが、もしできたらどうなるか?

そこには、素朴に、東京の山本が主観的で体験する「意識の流れ」をニューヨークの山本は引き継ぐものだと想定される。

そして、この思考実験であまり突っ込まれないが、東京の山本は普通に殺されている。どうやって消されるのかはわからないが、一瞬でも痛みを感じるだろうし、その個体山本は普通に他の人間の死と同様に死ぬことになる。

さて、本題は、
社会的な観点でいば、山本は何の問題もなく生き残る、ということ。(ニューヨークの山本が東京で消えた山本の全記憶や行動指針などあらゆる全てを引き継いでいれば、という前提があれば)

オリジナルは死んだが、社会的にはなぜ生き残るのか?
それは、山本が社会的に生きているかどうかというのは、その関係者に依存していることになる。

ニューヨークの山本は、その後、家族にあったり、実家に帰ったり、友達とあったりするし、仕事のために職場にもいく。そうやって山本を目にする人たちを交流をすること自体がその社会的な存在を保証するのである。
山本は東京のオリジナルではないが、周囲の人は素粒子状態コピペの物体に気づくわけがない。

スワンプマン問題

スワンプマン問題もこれと全く同じこと。

ある沼で、男Aが雷に打たれた途端に、同じ素粒子状態の男A'が生まれた。
オリジナルのAは死んだが、そのコピペのA'は生き続ける。
傍から見たら男Aが二人、沼のところに寝転がっている。

死んだAは沼に沈んでいくが、A'は社会で生き続ける。
オリジナルのAの人間関係、家族、職場の同僚、友達はみなA'と交流を続けているので、Aが死んだなどとは全く思っていない。

最終根拠は判断者の納得感

さて、以上の思考実験を考えれば本人確認の本質がわかる。

つまり、それは、最終的には、その生体(身体)と記号の結びつきを判断する主体(人間)の主観での納得感ということになる。

寄生獣で、ある男が寄生獣に取り憑かるとその母親は、外見は自分の子供なのにそれが実の息子ではないと一瞬で看破するシーンがある。この男は生物的、物理的には指紋、血管、音声、虹彩、網膜も息子だが、その目つきや振る舞いが全く違ったので、母親は息子ではないと判断した。

瞬間移動の思考実験では、オリジナルの身体は消滅したが、同じような外見で同じように振る舞えば、それを本人と周りの人が思い込むことを確認した。

多くの場面では、免許書を見せればそれで本人確認になる。それはその場で、その判断をしている人の世界では、そう確信しているということに過ぎない。そして、その確信を出ることはない。

つまり、身体と記号の一致を保証することはできず、その保証を「ある人」が主観的に確信する、ということでしかない。

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