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あなたの生のゲーム設計はどうなっているか

テレビゲームやスマホゲームなどのいわゆるゲームが、物足りなさがあるものの面白い。その理由は、そのルールが明確だからだ。

ゴールがラスボスを倒すことで、そこまでの道筋が単純すぎないが、一定程度見渡せているから、経験値をためて前進していく。どんなゲームも基本はこういう構図だ。

人生を楽しんでいる人の多くは人生をゲーム化している。ゲームにおける報酬や経験値を貯める方法をリアルの世界で一定の明確な形で確保している。例えば、報酬は、家族や友人と旅行に行ったり、美味しいものを食べたりする。経験値は、仕事で、スキルアップや上司を出世させるなど、ある程度明確にわかること。

こういう風に限定することで、ゲーム設計があきらかになり次々に行動できて、前に進める。一方で、退屈している人の多くはこのような限定を行わずに四方八方に発散した行動をしがち。やりたいこと探しをしている人などはこのパターンだろう。

ある人が大人になることとは「自分の有限性を自覚すること」といった。つまり、子供とはどんな存在にもされていない未規定なもので、ポジションが定まっていない。一方で大人は自分の社会の中での位置づけ、周囲の人間関係における役割やキャラクターなどがある程度形になった存在だという。

年齢的には大人であっても、この定義でいえばいつまでも子供の人は多い。

誰でも自分の世界の主役は自分なので、自分が凄い存在になりたいと思うのは原理的だ。でも、それは他者も同じだから折り合いをつけないといけない。

そういうのを自覚して、自分の生におけるゲーム設計を意識できたら大人といえるかもしれない。

ホリエモンみたいにやんちゃで、子供のような大人と言われがちな人も、今述べた観点でいうと、大人だと思う。

自分の生はどういう設計か、考えてみるとなにか見えてくるかもしれない。

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