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市場の<非意味的接続>の功利
千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』に、「市場とは<非意味的接続>の平面なのだ」という文があった。
これはつまり、資本主義が伝統的な「意味」のヒエラルキーを解体し、全てを使用価値から交換価値(金銭的価値)へと<非意味化>し、全てを接続した、ということ。
簡単に言えば、比べられるはずもないものが、1つの金という数字で測れるようになったということだ。
これについて、考えてみたい。
なんとなく、豊穣を切り捨て、一元化したことが悪いという印象を受けるが、私はどうでもないと思う。
逆に言うと、金さえあれば、良いものが得られるというフェアな社会を作ったともいえる。
私は教育のサービスを提供しているが、本当に様々な人に利用いただいている。自分としてはまだまだ満足いかないが、相対的には世界一良いものを提供しているつもりだ。こういうものに、全く知らない人がインターネットでその存在を知って、サービスを受けれるというのは素晴らしいことだ。
資本主義社会以前は、有力者の間でしか流通しない品物や役務提供が沢山あったであろう。
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