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語学におけるイノベーション 〜“話せる、聞ける”テクネー側面の測定方法〜 #東ロボくん #ACTFL #OPI #英語 #中国語

茂木健一郎さんが偏差値教育についてマジギレしていて久しい。

このマジギレの要諦は、

正解がある問いに答えられても価値は低い、

ということ。

たしかに、

入試問題は正解が一義的に決まるから、そのために何をすればいいかが導かれて、対策が可能だ。

しかし、

現実世界、社会は言語化できない人の心が中心にその相互作用のカオスで動いている。

正解があるというのは、つまり言語化でほぼ実態を捉えられることである。

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さて、

私は語学教育に一つのイノベーションを起こしたいと思っている。

これまで語学業界において、

勉強しても、知識偏重になり実際には話したり聞いたりすることができない、

という問題があった。

これは、私達がデフォルトで知っている英語教育の弊害だ。

英語教育は歴史的に、欧米の知識を取り入れる目的で行われていたから読み書き中心だった。

なので、そういう意味では確かに読み書きができる人材の教育という観点では成功したかもしれない。

しかし、

現代においては、翻訳のコストも減り、

話す、聞くのコミュニケーションがより求められている。

これを一定の体系として教えるのは難しい。

なぜなら、

話す聞くというメカニズムは謎が多いから。

脳科学の研究でも言語について、それがどのように獲得されるのかよくわかっていない。

なので、以前の読み書き中心の教育をベースに少し手を加えられたような教育が中途半端な形で普及している。

私は“話せる、聞ける”ということの指標化に取りくんでいる。

つまり、客観的に測定可能であることを保ちつつ、“話せる、聞ける”に直結するような目標設定である。

これは通訳者や語学の達人、第二言語習得研究の書籍、論文を通じて導き出した。それは、自分が主催している語学のコーチングで実践している。

たしかに、これはデメリットもある。

明確な指標が出来てしまうと、その本来の意義を理解しないで対策ができてしまうからだ。

しかし、それは程度問題だ。

一定レベルまでは、そういうわかりやすいものを使って成長していったほうが圧倒的に効率的だ。

冒頭の茂木さんの批判の通り、答えのある中での学習は価値が低いが、目的をしっかりと考え抜いた上で最適な(言語化できる)目標設定ができたなら、それをベースにまずはレベルアップしていくのがいいと思う。

この指標の意義は、

エピステーメー(知識)ではなく、テクネー(技術)を一定の見える化した、

というところにある。

東ロボくんプロジェクトで新井紀子さんが取りくんでいる意味を読み取るという取り組みも、テクネーを測定するという意味で同じだ。

今後、知識は陳腐化するが、テクネーが重要になる。

語学に限らず、

テクネーを研究しそれを見える化できれば、

知識偏重ではなく、

しっかりとした実力のある各分野のエキスパートがどんどん生まれてくるのではないか。

偏差値的な教育はよくないが、「目的」を鑑み、それに直結した良い目標設定が体系的にできることの恩恵はでかい。

特に、日本人はそういうわかりやすい指標が好きだから。

それを逆に活かしてしまえばいい。

偏差値教育は、答えのある高度経済成長時代にはよかった。

もし今の時代は、創造力、ブロジェクトマネジメント力などが必要なのだとしたら、それをできるだけ具体的に落とし込めばいい。

もちろん、それにより弊害もあるが、全体として前に進むことは間違いない。


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