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実存勝負とコスパ糞野郎

社会学者の宮台真司さんが、昔の朝ナマは「実存勝負」で見る価値あったが、今の朝ナマは「いかに賢くみられるかの勝負」になっていて一秒も見る気がしない、と言っていた。

グローバル資本主義が浸透した現代、

如何に賢そくみえるかに生きているかの争いになっている。

いかに少ない労力で、大きな成果を得るか、で評価される。

そして、その「成果」とは往々にして売上や利益である。より個人の生について言えば、年収や社会的地位などになるだろう。

つまり、権力や財力を得るためのコスパ勝負ということだ。

では、

実存勝負とは何か?

かっこよく言えば、生き様を重視する価値観だ。

おれはこう考えて、こう生きている、というようなところを最も重要だと考える。

他者による評価など気にしないで、自分が価値の根拠に自信を持ってその価値にリアリティを持つ生き方といえる。

知の巨人・立花隆さんが世の中には無数の価値基準を持ったゲームの集合体だと言った。無数のゲームには社会的な序列がある。その中でもグローバル資本主義においては、権力ゲーム、財力ゲームが2大ゲームで最も信者が多い。その他のゲーム信者は、自己のゲームの正当性や、2大ゲームの空虚さを説くようになる。

この枠組で考えると、自分が信じるゲームの正当性を主張する生き方といえるかもしれない。

もともと与えられている2大ゲームは、私たちが参加を選んだわけではなく、歴史的にそうなっているだけなのだ。それに従えない人も出てきてあたりまえだ。

そういうときに、その2大ゲームに固執したり、その他の可能性を考えない思考停止するか、自分がより納得のできる価値基準を探すか、どちらが人間的かは明らかだろう。

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