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こんばんは。Sagishiです。 唐突ですが、皆さんは詩歌において「やってはいけないこと」がなにか分かりますでしょうか、そうですね、技法の解説ですね。 詩歌のせかいにいると、その界隈では公然と知られているような技法でも、それを表ではだれも話していないということに、どこかでなんとなく気づきます。 だれかが「話してはだめ」と言っているというわけでもなく、なんなら大学などで詩歌の授業をうければ、ふつうに説明もされていると思うのですが、しかしオープンなブログとかでは書い
こんばんは。Sagishiです。 今回は、詩の邦訳の脚韻について書いていきます。 日本の詩歌の翻訳をみると、なかなか原詩通りにrhymeをしているものが少ないです。しかし、その希少なrhymeを取り入れている翻訳も、どことなくぎこちなさがあるようなものも多いです。 日本の詩歌文学においては、まだrhymeというものが浸透しておらず、技術的にどのように扱えば良いのか、どのようなrhymeをすれば良くなるのか、自然になるのかが、あまり周知されていないと思います。
こんばんは。Sagishiです。 いよいよ押韻詩の詩型に関する考察をしていきたいと思います。 1 詩行の音数 最初から残念なお知らせですが、現在のわたしは、現代日本語東京方言を使った詩歌で、詩の一行の音数を決めることは事実上不可能だと考えています。理由を以下に列挙します。 1-1 韻律単位の問題 現代日本語東京方言は、モーラリズムの言語ですが、話中では軽音節(1モーラ音節)と重音節(2モーラ音節)が任意のタイミングで出現します。 現代日本語東京方言の自然な日
剝がされてゆく窓の薄氷 開け放たれる赤子たち 戸惑うだけの鳴き声は渇望 無垢からあふれる花の味 洞窟を押し広げる夢は 捨て去られた過去を空想 なんども境界に手を触れた そのたびに眼裏に集光 届かない故郷のクレソンに 鼻を押し当て男と連れションし くだらない冗談を交わす あたかも前世の光景を幻視 しているだろうか、喉下の天使 やさしい手で瓢箪を触る
風に煽られ木の葉揺れ 身の振るさきなきこの行方 新雪の積る道の白 流れる時の言葉・夢 膨れる新芽の芯の先 開いて閉じては胸をつく ひそか陽炎 詩の灯り ゆっくりこころをほだしつつ 子供の声は記憶のあと 手のひら残る冷たさも 暑さもいつか消えるもの ようようメロディに乗せながら 静かな水辺に遊んでる 憧れのひとの背の広さ 白鳥(はくちょう)の羽か温める 心理のうちに秘める想い
給仕するために柱廊にいた 忘却した帽子を ひろいにホーフガルテンの 休止されない運搬に、 近づいて、休拍の呼吸を聽く 歩み、彼は厨房にぶどうを運ぶ 輝きの去る星座の海 こぼれた房が床にはね、 猫の眼が壁から覗く 愛を、 泡沫に消える、裾を赤く汚して 夜に衣 甘いむつみ 知るべくもない顔 「明日は濃い霧がたちこめた……」 「昨日は波が静かになりつつある」 灯台もない この だれも寄り付かない暗さに 充溢している 女官が小路を歩き カツンカ
まどろみを抱いた、鈴鹿山脈を 靴をはいて散歩する 雲は高く冠をして 子どもたちを見つめる (空気の高まりと、逡巡をいっしんに受け) 大垣をぬけると米原が近づく うたた寝の気流に川が流れる ゆっくりと腰をあげると 黄色い生命の花はかかる 苦しみから綿を遠ざけているだけでは 聖歌は迎えてはくれない 伊吹おろしを感ずると、 トンネルのさきに赤い光が見えた きっと、誰かが笑った朝の おぼろげな水脈だ
白き翼を陽に広げ 水をはじきて川にふる いづこより君は来たりやと 問へど束の間、北へゆく 青を仰ぎてよろめきぬ 絹絲の如く柔らかなる 翼のたわめき、温かなる 冬の陽射しに輝きて 卵を見しためしにあらず 君の言の葉もえ聞かで 何百何千、渡りゆく 雪降る季節のらうたさぞ 小夜ふけるころ夢見つつ 着水の音のまぼろしに 驚きて川辺見回すほどに 君のすがたをまたゆかし
こんばんは。Sagishiです。 今回も文学に関する思っていることをつらつら書いていこうと思います。 詩と歌詞ってどう違うのか。よくある疑問かと思います。 まぁわたしからすると全然ちがいますね。歌詞にはメロディや譜割りがあるというのもありますが、最大のちがいは詩には詩のロジックがあることです。 本当に色々な書き方があるので、まじめなひとは「詩は自由です」と答えると思いますが、わたしは自由ではないと思っています。詩には歴史的な積み重ねがあり、それなしで読解する
三十代半ばで、独身の派遣労働 同僚からも兄弟からも共感されない、俺は泡沫 富めるものがさらに富む街、贈賄と汚職の左遷報道 安酒と土手煮で、あがる口角 林立するビルのあいだ、たよる宛もなく 手にした傘を向ける、顔もしらない英雄に撃つ ブルーカラーがビルにはりついて汗をかく 作業員は、くらい部屋でそのときを練習しつつ 花を抱えてベビーカーを押す女性がいた いつしか忘れてしまった愛おしさ 俺たちはハード的に与えられた機能しか うまく扱えなくなったのか、価値観も立場も固定
蛇口から落ちる水に手を浸した 顔を洗い、口を漱ぎ、頭を空にする 「何時からだろう、わたしたちは 身の丈以上を求めた」エゴみたいだ くらべるだけのこころの醜さ「背伸びは嫌」 嘲笑や非難でたがいを遠のけて 正義を振りかざすことが知性なのか、相手を尊重せず 罵倒ばかりが並ぶ社会の手のひらには あなたは掬われていますか? 余計な一言をはき 自己弁護と雄弁なナルシシズム、語り継ぐ その生き方を幼子に誇れるのか?「わたしは嫌」 美しく、しずかな眼で、人の子となり
荒地 T.S.エリオット Ⅰ 死者の埋葬 四月は最も残酷な月だ、 死んだ土地からライラックを芽吹かせ、 記憶と欲望を掻きまぜ、 春雨で鈍重な根を震わせる。 冬は暖かくしてくれた、 忘れられた雪で大地は覆われて、 乾いた塊茎からささやかな生命を授かった。 夏は驚きがあった、シュタルンベルク湖を越えてきた 驟雨を浴びて。(私たちは吹き抜けに立ち止まった、 じきに日差しが出て、ホーフガルテンへ行って、 そしてコーヒーを飲んで、一時間ほど話した。) 私は
こんばんは。Sagishiです。
ひそかに去ろうとする声は 安息する暇もなく その爪を永遠に新鮮にする 爪は その、爪は 口蓋をたたいて彼を呼び 窓掛の後ろから 首飾をかける 時おり、頸を吹くものがある 水面の上に頣を出す男は やはり 妻を愛することができなかった