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”二元性一原論を体現せよ”読書note61「ロボット工学と仏教」森政弘、上出寛子

ロボット工学、ひいては科学のこれからに関して、仏教の考え方を取り入れることが必要という二人の対話集(メールのやりとり)。進歩とか成長とか、理性とかが、限界を迎えている現代において、仏教の教えや考え方の中に、解決や新しい方向が見えるということが、二人のやり取りを通じて強く感じられる。世界的に珍しい一神教ではない仏教ならではの、世界の見方がこれからの時代に必要と感じさせてくれる。本の中の気になった言葉をピックアップする。

「異なったものの間に、同じものを観る」

意識世界は空にして、無意識世界を満たしておくことが大切です。アイデアのひらめきは無意識世界から出るのですが、意識世界のものが、折角のひらめき出しを邪魔するのです。

「『只』が字眼」(字眼とは一番肝心なものを表す字)

自分自身と、自分の行いが、まるで一体になるくらい、「只」ひたすらに没頭するのが大切。自分は善いことをしているなどという気持ちはもちろんのこと、義務感・使命感さえも超え、目標達成のために頑張るぞ!という気持ちも捨てよ。

「啐啄同時」

導くには、「機」(ここぞという絶好のタイミング)をとらえる必要がある。卵がかえる時、雛が殻の中で啼くのを「啐」と、そしてその瞬間、親鳥が外から殻を突き破ることを「啄」と言う。啄のタイミングが早すぎると雛は死にます。

「二見(にけん)に堕す」

この世界の心理は、正反対の二つ(陰と陽)が協力し、融合して巧く動いていることなのに、その一方を嫌った態度のこと。ちょうどブレーキなしでアクセルだけで車を走らせるのに例えられる。

「三性(さんしょう)の理」

物事には、善―悪の両面だけではなく、善、無記、悪という3つの性があるという。

「無記」の人間に対する現れ方の内、人間が好むものを善、また嫌うものを悪と名付けているに過ぎない。適例は、メスとドスであろう。両社は同じ刃物だが、ふつうメスは人を救うための物であり、ドスは殺害するための物とされている。無記の存在が、人の心次第で、善にも悪にもなる。

「理解と理会」

仏教では二つに分かれて対立することを嫌う。「理解」の「解」は、分解する意味を持つ。仏教教理では、発見するというような意味合いから、「会」を使って「理会」という言葉を使う。

「相手の身になってみる」

仏教でも、この考えを大事にするらしい。Put yourself into the other person's shoes. (他人の靴を履いてみなさい。)と通じる。

「ミル」とは

見―――ミルこと一般。
視―――問題意識を持ってミル。「ミレどもミエず、キケどもキコエず。」
看―――目の上に手をかざしてミル。つぶさにミル。
観―――ミエないものまでミル。心をミル。
覩―――確かにミツケタという見方。
覚―――観て真理を得る。悟る。
覧―――ひと通り目を通す。
瞻―――仰ぎミル。
瞰―――ミおろす。

「ミレどもミエず、キケどもキコエず。」から、Simon&Garfunkelの「サウンド・オブ・サイレンス」の中の、「People talking without speaking, People hearing without listening. People writing songs that voices never share.」という歌詞を思い出した。

「念→忘→解」(悟りやアイデアがひらめる瞬間への道)

これは、まさに「アイデアのつくり方(J.W.ヤング)」と通じる。

アイデアつくり方

「二元性一原論」

この本の「只」に当たる言葉。

仏教思想の根本。「陰・陽」という正反対の二つ(二元)が融合し協力してすべてが調和し、滞りなく動いてくるのが、この宇宙の本質(原)だとする。

ちなみに、森政弘氏は、ロボット工学において「不気味の谷の理論」を提唱した人物である。

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