僕が介護業界で転職を繰り返した理由 #1(虐待と拘束)
はじめに
僕は6年前に介護業界に身を置くようになってから、同じ介護業界内で何度も転職をしている。
2017年の春から、とある有料老人ホームに就職。
その後退職して、2019年の秋に特別養護老人ホーム、2020年の秋にデイサービス…と職を転々としている。
そして、そのデイサービスを今月辞めて、来月4月から新しい訪問事業所でホームヘルパーとして働く予定だ。
6年間で4社転職をしているのは、僕の周りの介護職員でもなかなか見かけない頻度の転職ぶり。正直、転職活動は面倒くさいと思っているが、そうせざるを得なかった事情がある…。
今回はそのことを書こうと思う。
有料老人ホームを退職した理由
まず最初の有料老人ホームだが、在籍期間中に、8ヶ月間うつ病で休職をしている。理由は慣れない不規則なシフトや夜勤に加えて、人間関係だったように思う。詳しくは以前noteに書いているので、興味があったら見ていただきたい。
その後、なんとか復職を果たし、夜勤も問題なくこなしていたわけだが、ふと疑問に感じた。「こんなに要介護度の低い利用者しかいない職場で、スキルを身に着けるのはあまりに時間が掛かるのではないか?」ということだった。
介護の現場で働いたことのない人には、もしかしたらピンと来ないかも知れないが、その施設の利用者の平均要介護度は、確か2以下だった。当時1.5~1.8ぐらいだったように記憶している。ほとんどの利用者が自立だ。自分で食事も入浴も排せつもできる。
中には数人、介護度4や5の人もいるが、入居者80人ぐらいの中で2~3人だった。
だから、ごく稀に介護度の高い人のケアに入ると大変苦戦をした。ケアを受る利用者様にも、僕の手際の悪さにより苦痛を与えてしまったかも知れず、大変申し訳なく感じた。
丁寧に教えてくれる人がいればいいのだが、未経験からオープニングスタッフとして入社してしまったため、他の職員も余裕がない。
休職して復職後、オープンしたての頃と比べて、施設の職員らにも多少の余裕があった。
しかし“もっとスキルアップをして介護度の高い方のケアも難なく行えるようになりたい”という気持ちが日増しに強くなっていった。
そこで僕は2年半(といっても、うち8ヶ月間は休職していたが…)務めた有料老人ホームを退職し、転職をしようと決意する。
嬉しいことに僕が担当をしていた入居者の方から残念がるお言葉をいただけた。社交辞令かな?とも思った。が、退職後の元職場の同僚たちとの飲み会で「未だに残念がっておられる」と言ってもらえたので、きっと社交辞令ではなかったようだ。
「不器用ながらも自分なりに一生懸命丁寧に仕事をして良かった」と感じた。と、同時に担当していた入居者様にご迷惑をお掛けしたという気持ちもあり、少し申し訳ない心境にもなった。
有料から特養への転職活動で面接に落ちた話
転職活動はこの時、人生で二度目だったが、なかなか慣れないもので、どこの施設が良いのか?大変迷った。
有料老人ホームに在籍しながらの転職活動。僕は「次に働くのは、特養にしようと」と考えていた。
特養と略される特別養護老人ホームは、要介護度3以上の人しか入所することができない。つまり前の有料老人ホームとは異なり、介護度の高い人しかいないわけだ。特養に転職し、介護度の高い方もケアできるようになりたいと思ったのが理由だった。
近所に自転車で通えそうな条件の良い特養を見つけ、早速面接を受ける。8月の残暑厳しい時期だった。夏物のスーツとはいえ、残暑厳しい時期に、ネクタイをきっちりと締めて、上着を来て移動するのはまるでサウナにいるようだった。吹き出す汗を拭いながら、志望の特養に到着。面接担当の管理者の方の男性の顔は今でも覚えている。
「暑かったでしょう。どうぞ上着を脱いでください。今、冷たいお茶をお持ちしますね。」
ここまで話しやすく優しい面接官というのは、後にも先にもこの人が初めてだった。
一通り施設の見学もさせてもらえた。
「ここに就職したい!」と思ったが、残念ながら面接に落ちてしまう。
彼は理由についても丁寧に説明をしてくれた。
「他に面接を受け来られた方がいて、介護福祉士の資格を持っている上、明日からでも働けると仰るんです。残念ですがその方を採用しようと思いますので、またご縁があれば…。申し訳ないです。」
僕はその当時、初任者研修を修了していたが、それは基礎中の基礎を勉強した証。
それに対して介護福祉士は、ある程度介護業界で経験があり、きちんと勉強したことをした人であろう証拠である。
それは仕方ない…。僕はやむなくその職場での就職を諦めた。
二件目の特養の面接
面接に落ちてしまったのは仕方がない。次を探そう。
僕は家から少し離れた別の特養の面接を受けることにする。
面接日当日。また残暑厳しい中、ネクタイを締めあげ、不本意ながらきちんと上着まできて面接に望む。当たり前だが時間に余裕を持って、10分前に面接を行う施設へ到着。受付の女性に「しばらくこちらでお待ちください」と応接室に通される。応接室とはいえど、荷物が沢山おいてあり、雑然としていた。冷房は効きが悪く、汗が止まることはなかった。
約束の時間になっても担当者は現れない。
2、30分遅れて、面接担当者である施設長が現れた。バタバタとした様子で、息を切らして現れた。僕の頬に汗が伝う。彼の頬にも同じく汗が伝う。ひとまず互いに挨拶を済ませ、面接担当の施設長が僕の履歴書に目を通す。
何分か経ってから施設長も暑さに気づいたのだろう。
「この部屋暑いですね。」
そう言って、冷房の温度を下げるが一向に涼しくならない。後で聞いた話によると、どうもエアコンが故障していたらしい…。
お茶を出されることもなく、かと言って自分の鞄からペットボトルを取り出して、一人だけお茶を飲むのもはばかられる。脱水症状を起こしそうになりながら、一通り面接を済ませた後、ここでも同じく施設の見学をさせてもらう。
面接に落ちた特養は、職員らが皆とてもにこやかだった。エレベーターなどで顔を合わせると「こんにちは」と挨拶をしてくれる。
今思えばこの施設はそれがなく、たまに挨拶をしてくれる人がいても棒読みで「とりあえず挨拶しておこうか。」という雰囲気だった。
今思えばなぜこの施設にしたんだろうと思う。
しかも施設長が常に落ち着かない様子で、今思えば尋常ではない忙しさ、人手不足感が伺えた。
やめておけば良かったのに、条件の良さに惹かれてこの職場に就職することになる。
後に後悔することになるとは知らずに…。
入職した特養でのOJTでの嫌な予感
入職してしばらくの間、OJTを受けることになる。
知っている人がほとんどかも知れないが、OJTとはOn the Job Trainingの略で、一般的に先輩職員の後ろを付いて回り、業務内容などを覚える研修のことをいう。
どういうわけか、僕のOJTを行ってくれたのは、施設長だった。
施設長が直々にOJTをしてくれるなんて、よっぽど人手が足りないのだろう。経験値の低い僕でもそのことはなんとなく感じていた。
OJTの中で施設長は、利用者をベッドから車椅子へ移乗する。
その際に、なんとしくじって利用者のふくらはぎが車椅子のフットサポートかどこかにあたり、1cmぐらいの剥離を作ってしまう。
本来であれば、事故報告書という書類を書くべき場面かと思うのだが、行ったのが施設長だからなのか、とくに事故報告書を書く気配はなかった。
なんだか嫌な予感がするのは、それだけでなく、看護師が異様に介護士に対して高圧的だった。「何回言ったら分かるの?」などと大声で怒鳴ることしばしばだった。
「えらいところに就職してしまった…」
見学のとき感じた印象を素直に受け止め、ここには就職するべきでなかったと今は思う。
特養でのハラスメント?
OJTが終わり、ひとり立ちをするまで、多分一週間か10日ぐらいだったと思う。特に排泄介助(おむつ交換)で、手際の悪さを度々指摘される。
決まった時間におむつで排せつされる方(配属されたフロアでは、9割程がおむつ)のおむつ交換を一斉に行う。おむつ交換は時間との勝負だ。これが遅れれば、その後の食事のタイミングがずれ込み、食事介助がずれ込み、その後シフトに入る人の業務に支障が出る。
先に述べたように、僕は元々平均介護度の低い利用者がほとんどの施設にいたた。おむつ交換は経験があったが、そこまで手際良くできるはずもない。
ましてや僕が前の施設でおむつ交換をしていた際のおむつは紙おむつだった。
ここでは紙おむつは、ご家族様から特段希望がない場合、布おむつ。なので結構勝手が違うように感じていた。布おむつは紙おむつとは違って、多少力任せにずらすなどしても破けない。ただし、無理に鼠径部(そけいぶ)に沿わせようとしたら、紙おむつと違い利用者の皮膚に擦過傷(擦り傷)などができてしまう可能性がある。だから早く済ませたい半面丁寧に行うようにしていた。僕としては入所者様の身体に傷がつくぐらいなら、おむつが破けてしまった方がマシだと考えてしまうので、断然紙おむつの方がやり易かった。
おむつ交換に苦戦しながら、入職から1か月か2ヶ月かが過ぎた。
多少慣れたものの、まだ先輩職員らのような手際の良さには到底追いついていなかった。(今思えば当たり前な気もするが…)
とある先輩職員から「あなたはおむつ交換が遅くて困る。スケジュールがずれ込んでしまうからもっと早くやって」と言われるようになった。
そこから彼女の熱心な指導が始まる。僕がおむつ交換をしているのを後ろでじっと見てアドバイスをしてくれるようになった。ここまでは僕も「教えてもらえてありがたい」と思っていたのだが、熱心さが少しずつ度を越してくる。
「あなたのおむつ交換はとても丁寧。それは良いけど、今覚えて欲しいのは“早さ”なんです。時間が掛かるとされている人も負担でしょう。丁寧さは一旦すべて忘れてください」
「時間が掛かるとおむつ交換をされている側にも負担が掛かるのはよく分かるけど、丁寧さを一旦全て忘れるというのは…?」
と思いつつ、言われたとおりやってみる。
何日か経ってしばらくした後も、彼女は僕とシフトが重なる際は必ずおむつ交換のとき、僕の後ろに立って、その様子を観察していた。とても熱心だ。
「だいぶ早く換えれるようになりましたね。でももっと早くやってもらわないと」と、少し褒めつつも焦燥感を覚えている様子だった。
そして何日か経ち彼女は、ある提案をしてきた。
「まだ本気で早くしようと思っていないように感じる。だからタイムを取りますね。」
そう言って、スマホのタイマー機能を使って、決められた時間内に何人おむつ交換ができるかカウントするようになった。
「今日は合格」
「今日は不合格」
そんな彼女の評価が始まったのだが…
正直言って、その日のおむつの状況によって掛かる時間はまちまちだし、その評価基準はどうなんだろうと感じるようになった。
結局彼女の“おむつ交換タイムトライアル”は1か月続き、限界が来て上長に相談。
“おむつ交換タイムトライアル”教育は幕を下ろした…。
今思えばある種のハラスメントのような気がするのだが…
この職場では“コンプライアンス”という言葉はあれど、あまり認識されていないように感じた。
虐待
僕が仕事にもある程度なれ、入職から半年程度が過ぎた頃のこと。おむつ交換もある程度手際よくこなせるようになったし、タイムトライアルの彼女から檄を飛ばされることも少なくなっていった。先輩の人たちともある程度打ち解けて来た。
その頃、僕は年下先輩の広田君(仮名)と一緒のシフトに入る機会がたまたま多くなっていった。シフトの都合上、休みと勤務の周期が度々重なる。
ある日、広田君と入浴介助の仕事を二人一組で行うことになった。ある女性のストレッチャー浴を行うことになった。ちなみにストレッチャー浴とは下記のようなものだ。
まずはストレッチャーに寝ていただき、全身を洗う。その後ストレッチャーが動いて湯舟に入ることができる。
女性は認知症により、コミュニケーションが一切取れない。こいちらから「今からお風呂に入りましょう」などの声掛けをする。が、“今風呂場に居る”ということも認識できていないかも知れない。
そういう女性の利用者であっても、僕は男性なので、男性相手に介助を行うよりも少し気を遣う。しかし広田君にはそんな様子がなく、むしろ楽しんでいるように見えた。悪い意味で…。
ご自身で身体を洗うことが一切できないので、介護職が全身を洗うことになる。もちろん乳房や陰部も洗う。きちんと洗わないことで垢が溜まって皮膚トラブルやその他病気になることがあるので当然だ。
広田君は女性で認知症の利用者のストレッチャー浴を行う際、決まって卑猥なことを言う。とくに陰部を洗うときなどに。冗談のつもりなのだろう…。最初は僕も無意識に先輩の広田君に合わせるためか、なぜかうすら笑っていた。最悪だ。
でも「これは性的な虐待なのでは?」と思うようになり、広田君に注意をした。先輩だけど。
広田君はその後、僕の前でそのような素振りは見せなくなったけど、僕以外の男性職員と業務が重なるときどうしているかは知らない。
広田君は比較的熱心な職員だったが、入浴介助の時、このようなしょうもない冗談をやらかす。広田君も悪いのは確かだが、この施設全体に物言わぬ利用者をモノ扱いする風潮があるように感じられた。
入浴介助での性的虐待の他、認知症により繰り返し同じことを言う利用者に対しても職員の当たりはキツイ。「さっきも言ったでしょうが!」や「言うことを聞きなさい!」など、利用者を聞き分けの悪い子どもをしかりつける母親のように言い聞かせようとする場面を何度も見てきた。結果、わけが分からず泣いてしまう認知症の利用者もいた。
拘束
そんな虐待や利用者の尊厳を踏みにじるような現場を見たりしているとどんどん心が荒んでいく。
そんなとき、身体拘束が行われていることに気が付いた。
とある認知症利用者のスウェットパンツがいつも前後逆さまに履かされていた。「なぜだろう?」と疑問を感じながら、排せつ介助や入浴介助の際、毎回きちんと履き直していただいていた。
するととある先輩介護士にこんなことを言われた。
「わざと逆に履いてもらっているの。ちゃんと履かせないで。」
「どうしてですか?」
「あの人、たまに弄便(ろうべん)するでしょ?だから逆向きに履いてもらって、スウェットの紐はきつめに結ぶの。知らなかった?次からきちんとやってくださいね。」
※ちなみに弄便とは下記のような意味。
たしかにベッドで寝ている間など目を離した際に弄便をされると大変だ。便が寝具やベッド柵、壁に塗りたくられることがある。それを目撃した日には、この世の終わりのような気になる…。
だから下半身を直接手で触れないようにそのようにするのだろう。
ただこれは身体拘束にあたり、介護士が行ってはいけない行為だ。
法律で下記のように定められている。
また、厚労省によると、拘束の具体例は下記のようなものだ。
つまり、虐待は最悪の場合、犯罪とみなされる。
また、利用者の行動の自由を妨げるものだ。
スウェットパンツを前後逆さまに履かされている彼女の場合、確かに弄便は防げて介護士の負担軽減や彼女自身の衛生面への確保ができるかも知れない。しかし、たとえば「太ももが少しかゆいな」と思っても触ることが一切できない。もし自分が彼女の立場なら不快だろう。
様々な考え方があるので、一概には言えないが、僕は弄便を防ぐのであれば、こまめに職員が居室を覗きに行くとか他の方法を考えるべきだと思う。
それでも弄便をしてしまった場合、それを処理するのはもちろん我々介護職の仕事だろう。
スウェットパンツ以外にも拘束の事例があったことに気づく。
壁際にベッドを設置している認知症利用者がいたのだが、壁側と反対側の頭側にベッド柵がされている。そして、足元に車椅子が置いてある。
「これだと拘束になってしまうから」と車椅子を別の場所に置き直す。が、しばらくするとまた元の位置に戻されているのだ。だから僕は「不思議だな」と思いつつも、再び車椅子の位置を変える。そんなことが度々あった中で、また別の先輩職員が「最近、車椅子を足元に置いてないのはあなた?」と僕に問いかける。「そうですよ。なんでですか?」と僕が聞く。
彼女は興奮気味に「あのね、あの人勝手に立ち上がると転倒するでしょ?だから車椅子を置いているの」と答え、僕は呆気に取られた。
確かにしっかり立てない認知症の利用者がひとりで立ち歩くのは危険だろうが、それならご家族様に相談して、ベッドの足元にベッドマットセンサー(パッドにかかる圧を検知して、 利用者がベッドから起き上がったことを知らせてくれるもの)を置くか、どうしても危険ならベッド柵をしてベッドから降りれないようにするのが筋だろう。
しかし、施設はご家族様に相談するのに手間が掛かるので、とりあえず車椅子を置いていたのだ。
あとは車椅子から勝手に立ち上がれないように車椅子テーブルをつけ始めたり、とにかく拘束に関する事例が散見されるようになっていった。恐らく人手不足なので、いかに手間を掛けずに業務を行うか?職員本位のケアに傾いて行ったのだと思う。
虐待や拘束の現場を見て僕が取った行動
虐待に関して僕の考えは先程書いたとおりだが、拘束については先輩全員が行っており、僕ひとりが行わないと、罵詈雑言を浴びせられる。先輩職員に比べ経験値の低い僕は従うしかないと思い、拘束とは知りつつ加担するようになる。
でもどうしても納得ができなかった。
だから僕は市に通報を行った。
最初、市の窓口に電話をしたとき、僕は通報をするつもりはなかった。通報するか迷っていたが、上記に書いたような事例が虐待にあたるのかどうか?通報するとして、その窓口はここで合っているのか?通報した場合、通報者の名前は施設に伝わるのか?などを問い合わせたかったのだ。
だが市の窓口の担当者は、親身に話を聞いてくれた。通報したとしても、通報した人の名前などは施設側には知らされないとのこと。
気が付けば、市に拘束や虐待の件を通報するに至った。
程なくして施設には抜き打ちの監査が入った。
施設にとっては運が悪く、スウェットパンツの件、ベッド脇の車椅子の件、車椅子テーブルの件等々、すべての事案が確認され、施設は改善を求められた。
そして後日すぐに施設長も含めたフロア会議が開かれた。
ほとんどの先輩たちは
「チクったのは誰だ?」
「文句があるなら直接言ってくれば良いのに」
などと通報があったことに対して不服な様子だった。
虐待や拘束のあった件について、黙認していた施設長だけが前向きで、
「これを機に施設を改善していきたいけど、どうしたら良いか?」と皆に問う。しかし否定的な意見ばかりで、建設的な議論は果たされなかったように思う。
僕は相槌をついたり、通報について知らないふりをし、驚いて見せたりと役者に徹した。
そして退職
フロア会議での話し合う先輩たちの様子を見て、僕は辞めたいと思った。彼らと仕事をすることで、今後の自分の介護感や利用者を大切にしたい気持ちが歪められてしまう気がしたからだ。
腐ったミカンという言葉がある。これは同じ箱の中で腐ったミカンが一つあると、周りのミカンまで腐り始めてしまう…という意味だと解釈している。
僕は腐ったミカンと同じ箱にいることで、自分まで腐ったミカンにはなりたくなかったのだ。
監査が入って職場が落ち着かない状態の中、僕はウイルス性髄膜炎という病気になり入院することになる。文字どおり髄膜に何らかの原因でウイルスが入り込み炎症を起こすという病気だ。
ちなみに僕の症状はというと次のようなものだった。
39度を超える発熱
常に頭全体に響くような感じのひどい頭痛
食欲不振
嘔吐
首のこわばり
通常の光がとても眩しく感じられ、明るいところでまともに目を開けられない
意識障害
痙攣
文字にして並べるとそのつらさが少しは分かっていただけるかと思う。入院中は、歩行が危険と病院に判断され寝たきりだった。
尿器を渡されたが抵抗があることを伝えると、ナースが介抱してくれなんとかトイレに…という状態だった。現役介護職がまさか介助されることになるとは思ってみなかったが、介助される側の気持ちを改めて考える良いきっかけだったかも知れない。
入院を機に僕は親族への連絡が必要となり、いろいろあったうちのろくでもない父親と約10年ぶりに再会する。
父は僕の入院している病室に来て、会っていない10年の間に介護事業所を設立したと話す。自分も介護に従事していることを話し、なぜ父が介護業界を志すようになったのかを聞く。困った人を助けたい一心でこの業界に転身を試みたという。
そして僕に「お前には本当に悪いことをした」と謝罪した。
僕はろくでもない自分勝手な父が本当に心を入れ替えたのか知りたいと思った。
ちょうど今の職場をどう辞めるか考えていたところだ。
父も「うちの会社に来れば良い」と言う。
そして僕は特養を辞め、父の会社が運営する事業所で働くことになる。
だが今月その職場も退職する。
それにはそれ相応の理由があるのだが…
長くなったのでそれはまた後日書こうと思う。
最後に
長文にも関わらず最後まで読んでいただきありがとうございました。
後日談もまた長くなると思うので、また日を置いて書きたいと思います。
ご興味があれば、また読んでやってください。
最後までありがとうございました。
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