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絵を描き始めたきっかけ(2)


前回、絵を海外から輸入してギャラリーなどに仕入れる、絵画専門の卸業者に就職した話をしました。

当時は、バブルでその小さな会社も相当儲けたようでしたが、私がアメリカに派遣された1992,3年ころ、日本のバブル経済も陰りが見え始め、支社があるサンフランシスコに派遣されて半年もした頃、大阪の本社に戻ってくるよう辞令がありました。

私は戻ると同時に会社を辞め、東京に出て、派遣の仕事で当時出始めだった携帯電話関連会社の外国人マネージャーの英語通訳兼秘書をしました。この分野に経験のない私でも一年で数百万円をためることができました。

ただ、東京で働きながらもずっと、もっと西洋美術の勉強をしてみたい、美術館の展示に携わってみたい、と思っていました。大阪の絵画専門業者にいたころ、毎日シャガールやルノワール、ミロの本物の版画作品などを目にしたからかもしれません。それに、絵画に携わる仕事に戻るなら、フランス語もちゃんと勉強しないといけない、というのは、たくさんのモダンアートの作品は、フランスに残っているからです。

というわけで、一年間携帯電話会社の通訳として働いて、十分なお金がたまったので、フランスに語学留学することにしました。フランス語がある程度できるようになったら、イギリスのサザビーズの学校で、絵や骨董の鑑定の勉強をしてもいいな、と思いつつ。

…というわけで、なかなか絵を描き始めるところにたどり着きませんね。(-_-;)

今から思うと、東京での通訳の仕事は、覚える事も多く、プレッシャーもありましたが、そのまま残っていたら、その道のプロになれていたかもしれません。派遣で始めたものの、会社の上司から正社員になるお話もいただいていて、願ったり叶ったりでした。私の英語のレベルも、そこまで高かったわけでもないのに、運よくスルっとチャンスに乗って働き始めたら、周りもそれなりに認めてくれて、上司もとてもいい方で、辞める理由がなかったのです。

今息子たちが就職する年齢になり、同じような境遇で、「やっぱり僕のやりたい事じゃないんだよね。留学するわ」なんて言い出したら、あんた、何甘い事言ってんの?自分の能力と立場をわきまえて、ありがたく仕事に励め、とせっかく得た仕事を手放すことを阻止しようとしたかもしれません。

でも、当時の私は、絵画輸入業者に勤めていた時から、これが私の仕事なのか?もっとやりたい事があるんじゃないか?という思いがずっと心の中にあり、同時に今決断しないと、将来年を取ってから後悔するかもしれない、という恐れがありました。今でいう自分探しというやつでしょうか。今でも東京の仕事を辞めたことが正しかったのかわかりません。でも、あの時会社に残ってプロの通訳になっていたら、私は今、台湾人の夫とプロバンスに暮らしていませんよね。

次回は、ついに、(笑)私が生涯絵を描く基盤となった出来事が出てきます。




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