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建築に込められた想い。時代をこえて受け止めたい

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建築には、それらを作った人の思いが詰まっている。そんな思いを感じることができればと、建築を見に足を運びます。
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#長崎

祈りの空間もめぐった長崎の旅

長崎の旅の途中で島原を訪れた。島原城の天守閣には キリシタン史料館。中には、キリスト教弾圧の時代の 資料や潜伏キリシタンの歴史などが展示されていた。 空に向かい祈る天草四郎。あらためて島原の乱を知り、 その後の潜伏キリシタンの歴史にふれた。島原の旅 は長崎に広がる祈りの地をめぐる始まりにもなった。 島原から始まった長崎の祈り地をめぐる旅 高台の上に建つ教会は佐世保の街のシンボルに キリスト教の布教の始まりの場所、平戸へ 自転車で平戸に建つさまざまな教会をめぐる旅 そ

長崎への旅では建物もたどって

屋根と重なる稜線。窓に切り取られた海。壁面に 影は落ち、空間は光に包まれる。様々なつながり が全体を作り出し、部分は全体の中で際立つ。 建物もたどった長崎への旅も振り返ってみる。 長崎の旅を名残り惜しみながらも、いろんな視点 で楽しんでいる。旅の楽しみとは実際に訪れて、 その場所の空気、光と影、風、空間を体感すること。 旅で感じたものを振り返り、知る楽しみもある。 旅の記録を綴っては、もう一度旅を楽しんでいる。 壱岐から始めた長崎の旅。そこにあった建築家の思い ランチに

降り出した雨の中でも、教会をめぐる旅を続けよう

頭ヶ島集落を後にする頃、なんとか持ちこたえていた 天気も崩れ、雨足が強くなってきた。カバンからレイン ウェアを取り出し次の目的地を目指す。雨に打たれて の15kmの道程に途中挫けそうにもなるが、最後の長崎 の旅。この雨の道中もきっとよい思い出となるはずだ。 上五島の点在する祈りの風景をめぐる旅 五島に点在する教会を巡る旅。その数は50にも上り、 一度の旅で訪れることができる場所は限られている。 無理ないルートを設定するつもりが、いざ自転車で島 を走り出すと雨が降っていても

五島列島を自転車でめぐって

旧鯛ノ浦教会を後にして、降ったり止んだりの雨の中、 次の目的地へと向け進む。この島での最終の目的地は、 福江島へのフェリーが出ている島の南端の奈良尾港。 時計を気にしながらも、予定していたルートを進む。 この旅は五島に点在する教会をめぐる旅。そしてまた 鉄川与助が手掛けた教会建築をたどるものでもある。 多くの教会を手掛けた鉄川与助 青方港から始めた五島の旅は 五島列島を自転車でめぐる旅。博多港からフェリーで 青方港へ。島での最終の目的地は奈良尾港。15時15分 のフェリ

長崎の旧居留地に広がる庭園といえば

長崎の旧居留地に広がる庭園といえばグラバー園。 1858年に江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、 イギリス、フランスの五カ国と修好通商条約を結び、 長崎に居留地が作られた。商人のトーマス・グラバー を始め、居留地時代から残る外国人の住宅と長崎市内 に点在した洋館が集まるグラバー園。ここは9棟の 洋館が建つ、当時の雰囲気を感じることのできる所。 有田でみた旧田代家西洋館よりシンプルなデザインだ 日本の玄関口でもあった長崎の地には、異国の文化が 流れている。1870年に造成

頭ヶ島の集落にある天主堂へ

海沿いの道から山道へと入る。ペダルを漕ぐ足に力を 入れ坂道を上る。頭ヶ島の入口で一気に下り、島に 入ってからまた急な上り。そして集落へとまた下る。 ようやく島の東端にある頭ヶ島天主堂へやってきた。 動画でも頭ヶ島集落の歴史を学び 頭ヶ島天主堂を再び味わおう そして花の御堂と呼ばれる内部の意匠も 頭ヶ島天守堂は、2018年7月に世界文化遺産に長崎と 天草地方の潜伏キリシタン関連遺産に登録された所。 構成資産としては、以下の12カ所に分布している。 宣教師不在とキリシタ

グラバー邸から旅の終わりへ

長崎を旅して、辿り着いたグラバー園。立ち並ぶ洋館、 時を重ねる教会、異国情緒、そして広がる海の風景。 そこは長崎らしさにあふれる場所だ。透きとおる空、 花の風景、光が輝く海。長崎の旅ももうすぐ終わる。 名残おしさを感じつつも、日本最古の洋館を楽しもう。 九州の旅を続けてきた。広がる空、緑を豊かな山並み、 光輝く海、個性的な街の風景。一人でしかできない 無茶な旅は計画的に、時に無計画に。目的を持ちつつも いきあたりばったりで。九州の旅ももうすぐ終わる。 今回も記憶に残る旅。あ

長崎でつながる祈りの地

軍艦島ミュージアムのすぐ側の坂を上れば白い外壁の 天主堂の姿が見えてくる。1864年に建設され、1879年 に改築されて今の姿となった大浦天主堂。この建物の 正式名称は日本二十六聖殉教者聖堂といい、西坂で 殉教した二十六聖人のために建てられた教会である。 日本二十六聖人に捧げられた天主堂でもある 拝観順路のページで大浦天守堂の詳細も 大浦天主堂は信徒発見の奇跡の舞台に 大浦天主堂の成立がよくわかる動画も 大浦天主堂は1933年に日本で初めて、西洋建築として 国宝に指

昔も今も長崎は海の玄関口

ナガサキピースミュージアムの横のアプローチの先に 見える出入口は長崎港松が枝国際ターミナルのもの。 大型国際クルーズ船の対応ができる港として2010年 にオープンした。軍艦島へと向かったフェリーからも 地面と一体となる丘のような姿を望むことができた。 長崎は、昔も今も海の玄関口の役割をはたしている。 世界へとつながる長崎の港の風景と建物を楽しもう。 西海への旅で佐世保にある国際ターミナルにも訪れた 長崎は昔も今も世界につながる海の玄関口 今年に入って、ようやく大型客船の

長崎の日帰りの旅を締めくくろう

長崎での一日。日も暮れつつあるので、一旦この旅も 終わりに。いろんな風景に出会い感じるものがあった。 長崎の過去、未来に思いをはせ、長いようであっという 間の旅の時間。さあ長崎の日帰りの旅をしめくくろう。 建物にある多角形。中でも八角形にひかれている 旅先にある図書館も目的地のひとつだ 本日オープンのアミュプラザ長崎。イベントの動画も 長崎を歩きでめぐる旅。また県庁舎まで戻ってきた 自動販売機で買った長崎かんぼこをかじりつつ、歩き 疲れた体にビールが染みる。夕焼けに

光に包まれた空間を通って展示室へ

長崎原爆資料館に到着した。エントランスを抜けると 光に包まれた空間が広がる。スロープは展示室へ誘う。 広島と長崎の地には、特別な感情を持たざるをえない。 それが80年程前のことだとしても。その事実を少し しか知りえていないが、知っておかなくてはと思う。 長崎の街を一変させた強烈な爆弾は 小倉から目標をかえて長崎の上空へ スロープを降りながら天井を見上げる。その空間には 光が満ちている。壁にはさまざまな形をした開口部。 一瞬で遮断された日常。本当はあるべきだった未来。 な

姿を変えても記憶を語り継ぐ天主堂

長崎。1550年、フランシスコ・サビエルが平戸を訪問 して西洋文化の玄関口へ。キリスト教の文化が花開く も16世紀末には一転、禁教と弾圧の時代へと向かう。 沈黙の250年を経て、1865年に再会を果たした宣教師 と潜伏キリシタン。1873年にキリスト教は解禁され、 1925年に30年の歳月を経て、赤煉瓦造の浦上天主堂 が完成した。鐘楼には大小のフランス製アンゼラスの 鐘が吊るされ、当時は東洋一の天主堂であったという。 そして、その20年後の1945年8月9日。原子爆弾は