産地で続く九谷の物語 -3つの不思議-
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産地で続く九谷の物語 -3つの不思議-

九谷焼の産地に身を置くようになってまだ一年。脈々と続く歴史の中で日々先輩方から教わりながら、現代作家さんと共に九谷焼を一人でも多くの方へ届ける仕事をしています。

あまりにも身近にあると価値が薄れてしまうということはきっと往々にしてあるもの。たとえば千葉県柏市出身の私も、およそ15年以上に渡って東京ディズニーランドに足を運んでいません(笑)

同じように九谷焼の産地でも、(おそらく自宅の食器棚には九谷焼が並んでいるものの)産地で暮らす人々でも実は意外と九谷焼の歴史を知らないということがもしかしたらあるんじゃないかなと、この一年の感覚として思っています。

もちろん産地のいまをご紹介するのも大事ですが、その前に、九谷の歴史の3つの不思議について今日は触れていきたいと思います。

九谷焼の発祥の歴史については諸説あります。これから書くことはあくまでもその中の一説のご紹介とお考えください。

① なぜ古九谷はおよそ50年で閉ざされたのか

時は江戸時代初期の1655年ごろに遡ります。加賀・大聖寺藩の初代藩主・前田利治が、領内の旧九谷村(現在の石川県加賀市山中温泉の奥地)の金山で陶石が発見されたことに着目します。

その金山で錬金の役を務めていた後の陶工・後藤才次郎に命じて、当時から窯業の盛んだった有田で製陶を学ばせ、技術を持ち帰って旧九谷村に窯を築いたのが始まりと言われています。

旧九谷村は九百九十九の谷があることから名付けられた地名。たまたまそこの金山で陶石が発見されたことで、製陶を学ぶことになり、そして窯が築かれ、九谷焼は生まれることになります。

この時期に製陶されたものを「古九谷」と呼び、九谷焼の歴史の始まりと言われていますが、1700年代の初頭、旧九谷村に築かれた窯はおよそ50年の歴史を持って、閉窯することとなります。

当時の時代背景もあって文献が残っていないため、どのような経緯で閉窯することになったのかは諸説あります。詳しいことは記載しませんが、閉窯後も家内製造で細々と窯業を営む人はいたのではないかと、産地では実しやかに言われています。

② 器一面に描かれる「古九谷」が生まれた背景

およそ50年のあいだ、旧九谷村で作り続けられた「古九谷」の特徴は、器一面に描かれる色絵でした。上の映像にあるように、器びっしりに描かれる色絵が古九谷の特徴の一つとして知られています。

ここで一つの疑問が浮かびます。どうして古九谷は器びっしりに色絵が描かれていたのか?

こちらについても諸説ありますが、一説によると当時の器の素地は白磁で知られる有田と比べると見映えがわるく、その素地を隠すためにびっしり色絵が描かれたのではないか。と言われています。

③ 小松・若杉窯で”再興九谷”の時代が始まった理由

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古九谷誕生からおよそ100年後。加賀藩は殖産振興のために金沢・卯辰山に春日山窯を開き、磁器の生産を始めます。

その春日山窯の陶工・本多貞吉が、江戸後期の文化8年(1811年)に能美郡花坂村(現小松市花坂町)で良質の「花坂陶石」を発見。

能美郡若杉村(現小松市若杉町)で家業の瓦製造を行なっていた若杉窯の十村・林八兵衛が、春日山窯に留まっていた本多貞吉を招いたことで、若杉に本格的な磁器の窯を築かれ、磁器生産が始まったといわれています。

ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ、本多定吉は春日山窯を離れ、若杉窯で本格的な磁器の生産を始めたのか?

一説によると春日山窯は、開窯後2ヶ月も経たないうちに金沢城が大火に見舞われ、緊縮財政下での磁器生産を強いられていたそうです。

春日山窯を開くために招聘された京都の陶工・青木木米は2年も経たないうちに京都へ帰るなど、窯に残った陶工たちの手によって続いてはいたものの、厳しい状況を迎えていました。

つまり陶工・本多定吉は、若杉窯の十村・林八兵衛に引き抜かれるような形で、若杉窯に招かれて本格的な磁器生産を始めたのではないか、と一説では言われています。

【まとめ】脈々と産地で続く歴史と、九谷の物語

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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。冒頭でご紹介した通り、私は九谷焼の産地に身を置くようになってまだ一年も経っていません。

諸先輩方に日々色々なことを教わりながら、九谷焼について感じている一つの魅力があります。それは九谷焼の歴史の中で脈々と続く物語性です。

私は九谷焼はとてもロマンティックで、奥深く、そして幅広い創造性の中で生まれている焼き物であると感じています。

ロマンス (romance) は、本来は「ローマ的」という意味。 中世ヨーロッパでは、正式な古典文化を意味する「ラテン」に対し「民衆のもの(俗ラテン的という意味で)」という意味合いがあり、そこから以下のような意味が派生した。 空想的で大衆向けの小説、物語。

ちょっと語感はイマイチかもですが(苦笑)、その物語性とロマンが一般にも認知されると、いつの日か「ロマンス九谷」と呼ばれることも出てくるのではないだろうか・・・と一人で勝手に思っています笑

ぜひ九谷焼の産地に足をお運びいただき、「ロマンス九谷」の奥深さを感じてもらえると嬉しいです。もっと詳しく九谷焼の歴史に触れたい方は、能美市にありますこちらの施設へどうぞ。


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緒方康浩

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九谷餐会のひと|九谷焼と石川グルメの新米水先案内人|#セラボクタニ|元リビタ|カレーとあんこをこよなく愛する平成の幕開け世代🍛🍡