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連載:メタル史 1982年⑤Scorpions / Blackout

ジャーマンメタルの祖、いや、クラウトロックから出てきた最大のバンドと言うべきか。ドイツのScorpions。世間一般にはハードロック、ヘヴィメタルバンドのイメージが強いですが、1972年デビューでヘヴィメタルブームよりははるか前から存在し、デビュー当時はサイケデリック、クラウトロックの色が強いバンドでした。ちなみに1972年のデビュー作「Lonsome Crow」はマイケルシェンカーのレコードデビュー作でもあります。この時マイケル弱冠17歳。中心人物のルドルフシェンカーはマイケルの兄であり、ルドルフがScorpionsの創設メンバーですね。ルドルフはマイケルの7歳年上。けっこう年が離れています。ボーカルのクラウスマイネとルドルフシェンカーは同い年。

↓サイケデリック時代、デビュー当時のScorpions。リードギターは17歳のマイケルシェンカー。髭面で髪がフサフサなクラウスマイネに「誰?」と衝撃を受けます。

この後マイケルは一緒にツアーを回ったUKの人気バンド、UFOに勧誘されて脱退。そしてマイケルシェンカーに代わって加入したのがウリ・ジョン・ロート。ロートを迎えて1974年にセカンドアルバム「Catch The Rainbow」をリリース、独特の抒情性あふれるギターメロディにより特異性と存在感を増し、音楽的にもだんだんとハードロックの要素が強まっていきます。この路線の最高傑作とされるのが1977年の「Taken By Force」。70年代ロックの名盤の数々(Pink Floydとの仕事が有名)を生み出したUKのデザイン集団ヒプノシスが手掛けたジャケットが印象的な作品です。

ただ、実はこの頃までScorpionsは商業的成功を収めていません。後の大ヒットによってある程度旧譜も知られるようになったけれど、この時点まで各国でチャートイン実績なし。独自のハードロックでこの分野のマニアからは注目されていたものの商業的な成功は収めていませんでした。そんな彼らの転機となったのが1979年の「Lovedrive」。ギターヒーローとなっていたマイケルシェンカーがUFOを脱退し一時的にScorpionsに帰還。その話題性もあってかドイツで11位、USでも55位というドイツだけにとどまらない世界的成功を収めます。

短期間でマイケルは再び脱退し、自らのバンド(MSG)の結成へ。残されたScorpionsはもともとウリジョンロート脱退後にオーディションで加入させていたマティアス・ヤプスを呼び戻し、UKハードロック色を強めた「Animal Magnetism」を1980年にリリース。前作と同程度の成功を収めます。これにより「一発のまぐれ当たり」ではなく、バンドとしての地力を見せたScorpions。ついで、UKで盛り上がっているHeavy Metal的な音像に接近した意欲作をリリースします。それが本作「Blackout」。

邦題は「蠍魔宮」ですね。もともとマニアックなバンドだったこともあり、邦題が「狂乱の蠍団」とか、B級映画みたいなものが多いです。担当者がノリと勢い(と愛情)で名付けた感じがする。Scorpionsは(来日公演するぐらいの人気はあったけれど)当初一般層までは売れなかったから、マニアがニヤリとする遊び心ある邦題をつけられまくっています。70年代は邦題ブーム。

邦題「蠍魔宮」、魔宮はどこから出てきたのか
ちなみに帯の文句は『まぎれもない蠍パワーが音崩(おとなだれ)と化して押し寄せてくる!』
筆が踊ってますね
ついでに前作「Animal Magnetism」の邦題は「電獣」でした

そんな上り調子だったバンドがリリースした本作は印象的なジャケット(ちなみにヒプノシスではなく、オーストリア系アイルランド人のゴットフリート・ヘルンヴァイン:Gottfried Helnweinによるもの。この人は後にRammsteinのジャケットも手掛けます)と共に全米でもヒット。過去作を大きく上回る実績を上げ、ビルボードでも10位まで上がる大ヒットとなります。これは当時のヘヴィメタルバンドとしては最高位に近い快挙。それがUKではなくドイツから出てきたというのも衝撃でした。基本的に英語が母語じゃないですからね。80年代の日本で言えばLoudnessIron MaidenJudas Priest以上にUSでヒットしたようなもの。英米以外のメタルバンドが米国で成功した先鞭をつけます。

このジャケット
実はルドルフシェンカーの拘束された顔写真

なお、このアルバムもけっこう難産で、レコーディング前にvocalのクラウスマイネは声帯を痛めてしまい手術しています。なのでデモテープ時点では別の人が仮歌を録音する必要があり、それを歌ったのがDokkenのDon Dokkenだったという裏話も。このレコーディング中はまだDokkenデビュー前(デビューが1983年)です。たまたま前に組んでいたバンドがドイツのレーベルと契約を得て、ドイツに行っている際にScorpionsのメンバーと仲良くなったという経緯らしい。運命のいたずらを感じます。その名残で、本作はDon Dokkenがバックコーラスとしてクレジットされています。

本作はフランスと西ドイツで録音され、プロデューサーはディーター・ディルクス。Scorpionsとの仕事で知られる彼ですが70年代からスタジオオーナーであり、70年代のクラウトロックの大御所たち(Ash Ra TempleとかTangerine DreamとかGuru Guruとか)の作品をレコーディングしています。いわばドイツのロック界を黎明期からスタジオ分野で支えてきた人。また、UKのNektor(あまり日本では知られていませんがドイツのハンブルグで結成されたUKのプログレッシブロックバンドで、Iron Maidenのスティーブハリスも大ファン)がディルクススタジオを使って録音したアルバムでヒットを飛ばしたことで国際的な知名度を持ったスタジオとなり、さまざまな著名アーティストが訪れるスタジオに成長することに。ディルクス帝国とも呼ばれる確固たる地位をドイツ音楽界で築くことになります。Scorpionsとの付き合いは1975年の「In Trance」から。ディルクスと組んだことでScorpionsは国際的成功への道を掴んだと言っても過言ではないでしょう。本作は6枚目のディルクスプロデュース作品です。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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