見出し画像

Shujaat Husain Khan, Katayoun Goudarzi / This Pale(2021、インド/イラン)

インド古典音楽への誘い度 ★★★★☆

モンゴルトルコと来たので今日はインド音楽を聴きたいと思う(厳密にはそれぞれロシア≒トゥヴァ共和国とデンマークなのだが)。そういう意味では今日も純粋なインドではなくインド+イラン(ペルシア)。今日も最初にLatinaの解説を貼っておく。

インドの古典的伝説である作曲家・シタール奏者シュジャート・フサイン・カーンと、イラン系アメリカ人のシンガー、カタユン・グーダルジ、イランのネイ奏者シャホ・アンダリビ、インドのタブラ奏者シャリク・ムスタファの4人によるコラボ作品。10月に初ランクインして以来、ずっとランクインし続けている。
 シュジャートとカタユンは、2008年頃より何度かコラボレーションしこれまでに6枚の作品をリリースしているので、相性はピッタリ。シュジャートのシタールの演奏スタイルは人間の声を模倣したもので「gayaki ang」と呼ばれている。そのシタールの音色と、ペルシャの詩に深く影響されたというカタユンの素晴らしい声が美しく融合されている。また、ネイの音色も低音で囁いているかのように聞こえ、そこにタブラのビートが重なり、素晴らしい音のコラボレーションとなっている。
 この作品では、13世紀のペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人であったルーミーの詩、特に愛についての詩に、今回新たな命を吹き込み、古い物語を多文化で新鮮に表現している。インドとペルシャの文化の融合が素晴らしく、とても美しい作品。

https://e-magazine.latina.co.jp/n/n540b96c6fd44#mTcEj

もともと北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)はイスラム、ペルシアの影響とインド音楽がまじりあってできたものだからこの二つは共通する部分が多い。インド古典音楽については各曲の解説に書いていったので興味のある方は読み進めていただきたい。アルバム全体の印象としては「聴きやすいインド古典音楽」という印象で、クオリティも高く入門編に良いと思う。インド古典音楽、特に器楽やインプロビゼーション中心のヒンドゥスターニー音楽の魅力は「リラックスして聴いているうちに気が付いたらめちゃくちゃ盛り上がっていて高揚している」という感覚、リラックスしながら高揚する、という不思議な感覚だと思っていて、それを存分に味わえる。「歴史に残る名演」みたいなものはもっとほかにもあるが、そうしたものは緊張感やスリルが強めで、リラックス度合に欠けることもある。リラックスと高揚のバランスの良さ、聞きやすさという意味では(最近の録音ということもあるし)おススメ。あと、どの曲も10分程度に抑えられており、平均的な長さなのでテンポが良い。同じ調子で聴けるし、それぞれの曲の個性もある。バラエティ(曲が訴えてくる情感)が豊かなのでBGMとして聞いていても程よいだろう。集中力を高めたいときにも良いかもしれない。まぁ、10分単位で弛緩(ゆったりしたテンポ)と緊張(細かい分割)が交互に続くので、そういうペースが合うかどうかというのはあるけれど。インド古典音楽未経験の方はぜひ聞いてみていただきたい。サイケデリックロックの音楽形式としての源流はインド古典音楽だと思うし、もしかしたらモードジャズの源流の一つなんじゃないかと個人的には思っている(ジャズについてはあまり知らないので今後もっと調べないと分からない)。

【以下メモ:時系列で言うとどうなんだろう、60年代後半からインド音楽が広く西欧社会に紹介された。著名なのはラヴィ・シャンカールのモンタレーポップへの出演(1967)だろうが、あれはすでに一定の盛り上がりがあったからそうなったわけで端緒は何だったのだろう、そもそもイギリスにはインド音楽は一定数入っていたのだろうか。大英帝国の一員だったわけだから音楽的交流、文化紹介はあったのだろう。インド音楽が盛り上がる前に先にサイケはあったのかな。インド音楽の影響を受けてもともとあったサイケが変化したのか、インド音楽に影響を受けて発生したのかは理解が曖昧だ。ジャズで言えば単一コードでのモーダルな旋法を中心とした奏法(ジャズで言えばコルトレーンとか)には影響を与えた気がするが、こちらもどちらが先かは不明。こうしたモーダルな単一コードによる演奏は広く中央アジアに通底する気がするし、アフリカにも類似の音楽はあるのかもしれない。この辺りは今後の疑問】

1. Wild ★★★★☆

伝統的なヒンドゥスターニー音楽。Shujaat Husain Khanは西ベンガル州出身で北インド(ヒンドゥスターニー)古典派。7世代にわたる音楽一家なので代々シタール奏者の家に生まれた。今年61歳なのでベテラン。インドはカースト制度でこうした「家業」が伝承される傾向にある。だいたい伝統楽器の奏者は世襲。今代の当主というところ。父親のUstad Vilayat Khanも有名な奏者だったそう。そこに解説の通り、イラン色も感じる歌唱が乗る。イランのネイ奏者も参加しているそうだがこの曲ではそこまで存在感はない。ネイとは下記のような楽器。

葦笛 ネイ

インド音楽にもバーンスリーという楽器があるが、それに近い役割を果たすのだろう。この曲ではもしかしたら入っていないのかも(たぶん、ソロが出てきていたのだろうが文章を書いているうちに聞き逃してしまった可能性が高いが)。シタールのドローン音とソロ(下の弦を掻き鳴らしてベースとなる均一のコードを鳴らしながら高音でソロを弾くのがシタールの奏法)とタブラ、インド古典音楽をベースとしながらその上でインプロビゼーション的にボーカルが歌う。この曲はかなりヒンドゥスターニー音楽に寄っていてそこまでイラン、ペルシャ音楽色は感じない。ボーカルの節回しが少し違うような気がするけれど僕の理解度だと事前情報がなければ完全にインドの音楽と思うかも。

2. One ★★★★★

こちらはネイのソロから。これだと音色がよく分かると思うが、フルートのような音。インドのバーンスリー奏者だとハリプラサド・チョウラシアという人が著名。それぞれ古典楽器で「この人が凄い」みたいな人がはっきりといる。伝統芸能だから日本で言う「團十郎」とか「海老蔵」みたいなものなのだろうか。いくつかの流派があるようで、このShujaat Husain Khanという人もそういう存在のようだ。比べるとタブラのShariq Mustafaはもっと若手の様子。まだ当主まで至らないがこちらも伝統一家の跡継ぎ、といったところだろう。Shujaat Husain Khanは7代目、Shariq Mustafaは5代目だそう。もう一人の主役、イラン人シンガーのKatayoun Goudarziは特に伝統色を前に打ち出してはいない。バイオグラフィがないので年齢不詳だが2006年からアルバムを出しているので今30代半ば~40代といったところか。さまざまなアーティストとコラボをしているようで日本の武石聡とも共演している様子。

インド古典音楽には独特の透明感、精神が透き通るような感覚がある。これはプレイヤーの力量によるもので、まさに「音によって高みに昇る」というか、宗教者の法悦を音楽に依って再現しているとも言える。音楽と宗教は古来不可分なので、どちらが先にあったのかは分からないが。同時によく聞けば壮絶なインタープレイであって、プレイヤー同士の対話、インプロビゼーションがあり、高度なジャズロックとも感じられるが、プレイヤー同士が火花を散らしているというよりはある調和の中で互いに、そして自己と対話してように感じる。また「予定調和」とも違う、なんというかもう少し大きな「自己を越えた調和」というか、楽器と音楽を通じて世界に溶け合いつつくっくりと描き出して見せるような感覚がある。リラックスBGMでもあり、鬼気迫るプレイでもある不思議な音像。ボーカルはけっこうリラックスしていて、そのあたりの落ち着いた雰囲気も良い。

3. Tender ★★★★☆

こちらはシタールのソロ、ドローン的な響きから。すっかり酩酊してくる。ストーナーやサイケも好きだけれど酩酊感だと北インド古典音楽に勝るものはないと思っている。サイケデリックロックの源流だからね。西洋音楽、ロックがモントレーポップでラヴィ・シャンカールに出会い衝撃を受けてインド音楽に傾倒していった。ジョージハリソンを筆頭とするビートルズであり、ジョンマクラフリンであり、それがルーツだからサイケとはロックからのインド音楽の再現、憧憬だと思っている。基本はシタールとタブラのサウンドで、ボーカルとネイはところどころでソロパートを出してくるイメージだな。そういえば雅楽では天地人というか、地がベース音、人が中間で天がソロ、みたいな、音の高さで世界を表現するみたいな概念があったと思うけれどインド古典音楽もそうなのかな。ラーガという「旋法」があって、要は「こういうテーマの時はこういう音程を使いましょう=音程・音階に意味がある」ということで、朝のラーガとか、音程から受ける印象や意味がある程度決まっている。マイナー調=悲し気、メジャー調=明るい、みたいなものだけれどそれがもっと音程、音階のレベルで決まっている、といったレベルの理解しかしていないのだが、なんとなくアンサンブルの基本として「タブラとシタールでベースを作り、その上に笛やボーカル」というスタイルなんだろうな。それぞれが天地人のように何かを表しているのかもしれない。

ボーカルにあまり違和感がない、そもそもインド的と感じるのはヒンドゥスターニー音楽(北インド古典音楽)自体、イスラムの北インド進出によって西アジアとインドの音楽が融合した性質を持っているからだな。とはいえこれ言語は何なのだろう。ヒンディー語ではなくペルシア語なんだろうな。その響きの違いは聞き比べると明確なんだろう。ヒンドゥスターニーの声楽を聴くのが久しぶりだから特異性を感じづらいだけかも。

4. Sweetest ★★★★★

こちらはネイのソロから。シタールとネイが交互に目立つ、という感じなのか。ネイのフレージングはイラン、ペルシア的でインド古典との差異を感じる。イラン古典音楽、それと融合したインドにしてもそうだけれど、音階の感覚が12音階ではない。36音階、72音階とより細かい。72は一応定義はされているようだがどこまで厳密なのか分からないけれど、少なくとも12ではない。日本語の母音は5つだが英語は15個、みたいな違いで、そこを意識して明確に使い分けているかでだいぶ違うのだろう。基本的には楽器によってオクターブの分割法は違うし、奏者の感覚も違う(のがむしろ自然)。各楽器のチューニングは西洋音階(平均律12音階)をベースに合わせるのが世界の主流なのだろうけれど、根本に流れている音階の感覚は違うのだろう。ボーカル、シタールはそのあたりの細かい音程変化が自在なのでこのアルバムからも12音階にとどまらない音階が多分に感じられる。全盛期のザキールフセインのような「火を噴くようなタブラ」とまではいかないが、このタブラ奏者も流石5代目とあってしっかりと世界観を持っている。基本、コード進行でいくとほぼワンコードなのだと思う(シタールの開放弦がドローン音としてなるので、オープンチューニングによるワンコードになるのだろう)が、メロディは次々と表情を変えていく。このワンコードで延々と展開する、という感覚は欧州音楽にはない概念だろう。「ハーモニー」の概念が根本から違うし、そもそも「メロディ、リズム、ハーモニー」といった分割をしていないんじゃないかと思う。

ふと思ったがヒンドゥスターニー音楽は旋法(ラーガ)が主体であり、コードという概念が希薄なのは、マイルスデイビスの「モード」にも近い発想なのだろうか。というか、発想の原点なのかもしれない。だからデイビスはジョンマクラフリンを重宝したのかな。

5. Still Here ★★★★☆

こちらはシタールのソロから。シタール、ネイそれぞれで交互に出てくる作りになっているようだ。だいたい音楽形式は同じで、最初はなんらかの楽器のソロ、そこからタブラが入ってきてだんだんと音が重なっていく、今のところタブラ、ボーカルから始まる曲は(このアルバムには)ない。で、非常にゆったりと展開していくが、気が付くとどんどんテンションが上がっていき、高揚していく。リラックスしたまま高揚していくという不思議な感覚。それはタブラとシタールのインタープレイ、超絶速弾きの応酬によるものが多い。そうした構造は共通しているが、曲ごとに訴えてくるものには差異がある。音によって描かれる情景が異なる。

この曲は途中からボーカルとネイだけになるパートがある。ここはイラン色が強い部分なのだろうが、ヒンドゥスターニー寄り、というか、全体としてイランとインドが不可分に結びついている、双方の音楽的共通言語で会話しようとしているのだろう。

余談だが、カルナティック音楽(南インド音楽)とヒンドゥスターニー音楽(北インド音楽)の差異を説明した良記事があった。細かい音程なども違うが、大きく言えばカルナティック音楽はかっちり作曲されており1曲5分程度、ヒンドゥスターニー音楽は即興演奏主体であり1曲5~15分程度。このアルバムの曲もそれぞれ長尺で各曲10分程度、ヒンドゥスターニー音楽としては長すぎず、短すぎず、といったところ。そこそこコンパクトにまとまっていると言えるレベルかもしれない。この曲はネイとボーカルが主役というか、前面に出ている感じがする。その二つの楽器の熱量が上がっていきクライマックスを迎える。

6. All I've Got ★★★★

お、こちらはネイからではなくシタールのソロから。シタールソロ→ネイソロと交互に出てきたパターンが崩れた。前の曲はスタートこそシタールだったが途中はかなりネイとボーカルが出てきたからだろう。

インド古典音楽は音と時間の概念があり、時間をどう音で分割するかを意識しているように思う。専門用語だと「アーラープ(aalaap)」とか「ターン(taan)」とかがあるようだがそれは付け焼刃で説明できるものではないので、1リスナーとしての感覚だとあるきまった時間、小節をどんどん分割していく、細かく分割していくことで時間の解像度を上げる、それによって精神が高揚したり時間感覚が鋭敏になる(同じ長さの時間をより細かく分割、認識できるようになる)という構造になっている気がしている。最初はかなりゆったりとした分割、心臓の鼓動より遅いというか、呼吸や歩行のテンポより遅いぐらいのスピードからスタートするが、途中からどんどん早くなっていき人体の日常速度を越えていく。その構造が高揚感、上昇感、法悦感をもたらすのだろう。日本の概念で言えば「起承転結」みたいなものかもしれない。基本的な音楽構造はいくつかあるのだけれど、たとえば「ヴァース ー (ブリッジ) ー コーラス ー 間奏 ー ヴァース(反復)」みたいな「ポップスの普遍的な曲構造」のように「起承転結」にあたるような構造があり、それは通底している。曲として成り立つためのお作法、と言ってもいいかも。

と、言っていたらこの曲は終始ゆったりとしたテンポで進んでいく、ストーナー感が強めの曲。起承転結で言えば起起起結または起承結ぐらいの感じで、お約束の高速化は出てこない。クールダウンするような曲。そういえばこういうパターンの曲もあるな。パターンもいくつもあるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?