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77.HR/HM黄金期(83'-90')を振り返る10曲:イギリス編

昨日のアメリカ編に続いてイギリス編です。83年~90年の「メタル黄金時代」にイギリスのアーティストはどんな曲を出していたのか。UKの場合、新しいバンドももちろん出てきていますし、70年代以前から活躍していたハードロックバンドがリバイバルしたのも特徴(アメリカでもAerosmithは大復活を遂げました)。なお、83’-90’というのは「ビルボードチャートの分析」から出てきたアリーナロックの黄金期なので、イギリスのチャートやシーンは少し違う可能性もあります(たとえばカントリー系はUSのみでヒットすることが多いし、ロック系はUKだけでヒットするバンドも多い)。ただ、米英のチャートは互いに影響を与えているので、大きなトレンドは同じでしょう。米英で社会的背景は大きく違いますが、それは後程。

それでは83年~90年、イギリスのメタルを見ていきましょう。



1.Iron Maiden / The Trooper (1983)

N.W.O.B.H.M.(New Wave Of British Heavy Metal)の旗手、アイアンメイデンの1983年作にして代表曲の一つ。ブルース・ディッキンソン(Vo)加入後2枚目のアルバムにしてニコ・マクブレイン(Dr)加入後初のアルバム。現在につながるラインナップがそろいます。ブルースも曲作りに参加。Trooper Beerというビール(イギリスのクラフトビールメーカー、ロビンソン・ブルワリーが醸造)でもお馴染み。傷ついた兵士が大英帝国の旗をかざすビジュアルが印象的です。アルバムジャケットよりこちらのバージョンのエディ(アイアンメイデンのキャラクター)の方が知名度があるかも。

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70年代後半のUKはパンク、ハードコアの只中。Sex PistolsThe ClashThe Damned等パンクバンドがデビューし、次いでDischargeChaos UKDisorderといったより過激なハードコアバンドがデビューしていく。初期衝動をぶつけたような荒々しいサウンドがロンドンから生まれていきます。その中で旧時代の遺物とされたハードロック、ヘヴィメタルに新たな命を吹き込んだ、メタルの様式美を持ちながらパンク・ハードコアのリスナーもねじ伏せるパワーを持ったバンド、それがアイアンメイデンでした。そんな彼らも本作が4作目、本格的に全米進出し、世界制覇を目論む時代です。

収録アルバム 「Piece of Mind

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2.Ozzy Osbourne / Bark at the Moon (1983)

こちらもメタルの立役者というかゴッドファーザー。70年代から活躍するBlack SabbathのオリジナルボーカリストOzzy Osbourne。アメリカに一番適応したUKのアーティストかもしれません。ソロ活動で最初のパートナーとなった伝説のギタリストRandy Rhodsを飛行機事故で喪うという悲劇の後、2代目ギタリストJake E Leeを迎えての3rdアルバムからのタイトルトラック。いろいろなエピソードを持ち「MADMAN」のあだ名で呼ばれています。2ndソロアルバムのタイトルも「Diary of a Madman」。ちなみにMotörheadLemmyとは親交が深く互いに尊敬しあう友人だった様子。インタビューで「メタルのゴッドファーザーと呼ばれることをどう思うか?」と聞かれたとき、「メタルを始めたのはMotörheadだろ」と返答していました。

収録アルバム 「Bark at the Moon

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3.Queen / Hammer to Fall (1984)

70年代ハードロックブームの立役者にして、現在もトップバンドに君臨し続けるQueen。この頃、1985年のライブエイド直前までバンドは空中分解状態に置かれていたわけですが、本曲が収録された「The Works」は各人のソロを持ち寄った色合いを持ちながらもアルバムとしての統一感もある不思議な魅力を持った作品です。遺影のようにも見えるジャケットは、ライブエイドがなければ「最終作」になるかもしれなかった作品の象徴か。ドラムのロジャー・テイラー作の本曲は世界的な大ヒットを記録。このアルバムからヒットした「Radio Gaga」はLady Gagaの名前の由来ともなりました。バグルスの「Video Killed the Radio Star:ビデオ・スターの悲劇(1980)」に近い、TVによってラジオが衰退した時代にラジオを懐かしがるテーマ。バグルスもイギリスのバンドですが、この当時のイギリスは(今もそうですが)大英帝国の終焉と縮小の時代。厳密に言えばこの年に英中共同声明が出され、(実質的に最後の植民地であった)香港返還が決まる。古き良きもの、去り行く時代への郷愁は英国人はより強いものがあるのでしょう。

収録アルバム 「The Works

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4.Motörhead / Killed by Death (1984)

不屈の男、Lemmy Kilmister(Vo,B)率いるMotörhead。2015年に70歳で亡くなってしまいましたが、レミーはクィーンのメンバーより少し年上で(一番年上のフレディより2歳年上、ブライアンメイより3歳年上)、デビューも2年早い。Queenの1stは1974リリースですが、レミーのデビューはHawkwindに参加した72年。いわばUKロックの同じ時代を生きたアーティストですが、MotörheadはN.W.O.B.H.M.でブレイクしました。ライブアルバム「No Sleep 'til Hammersmith(1981)」がUKチャートで1位を獲得。新時代の幕開けを告げます。「Bone To Lose, Live To Win(負け犬として生まれ、勝つ為に生きる)」のスローガンと共に駆け抜けたパンクスからもメタルからも愛された伝説的なバンドです。1984年のベストアルバム「No Remorse」に収録された新曲のシングル。このアルバムはベストアルバムながらMotörheadの(スタジオ盤では)代表作とされ、各種メタル名盤ランキングなどの常連。

収録アルバム 「No Remorse

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5.Deep Purple / Knocking at Your Back Door (1984)

70年代のハードロックムーブメントの立役者の一つ、Deep PurpleRainbowで活動していたRitchie Blackmore(Gt)、GillanBlack Sabbathで活動していたIan Gillan(Vo)、Whitesnakeやソロで活動していたJon Lord(key)ら黄金期のメンバーが再結集してリリースしたアルバム。メンバーそれぞれが積んだキャリアが反映され、70年代とは異なった新鮮な音像を生み出しています。離散集合を繰り返し、長期間のキャリアによって多数のアルバムがあるためなかなか全体像が分かりづらいバンドですが、メンバー同士のモチベーションや時代とかみ合ったときのパフォーマンスは素晴らしくロック・ミュージックの演奏水準を次の次元に押し上げたバンドの一つ。ロックとクラシックの融合をいち早く果たしたバンドでもあります。デビュー当時は「アート・ロック」と呼ばれていました。

収録アルバム 「Perfect Strangers

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6.Gary Moore / Out In The Field (1985)

Gary MoorePhil Lynott、二人のアイルランドの英雄がコラボしたシングル。1983年にThin Lizzyを解散させた盟友Phil Lynottとの共作で、全英5位。日本での人気も高く、本作の次のアルバム「Wild Frontier(1987)」はメタル専門誌Burrn!で歴代最高点数「99点」を記録するなど、大きな支持を得ます。羽生結弦選手が2012-2014年のショート・プログラム(SP)でGary Mooreの「Parisienne Walkways:パリの散歩道(1978)」を使用したことも話題になりました。ケルト(アイルランドのルーツ)的な「泣きのメロディ」が日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。

収録アルバム 「Run For Cover

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7.Def Leppard / Love Bites (1987)

N.W.O.B.H.Mのムーブメントから出てきたIron Maidenと双璧をなすバンド、Def Leppard。この曲はビルボードトップ100で1位を取りました。UKのハードロックバンドが1位を取るのはQueen以来だったんじゃないでしょうか。1984年にドラマーのリック・アレンが交通事故で片腕を失い、片腕で叩けるドラムセットと演奏技術を身に着けるのを待って再始動、制作したアルバム「Hysteria」はアリーナロック全盛期、80年代HR/HM黄金期を代表する1枚となりました。この当時はレコーディングの完璧主義でも知られ、ギターサウンドを弦1本1本バラバラに録音する曲もある(その方が空間的な広がりが得られる)など、緻密な作り込みがされたアルバムでもあります。この曲はどこか10cc的な響きもあって、ポップさの中にも英国らしいひねりと職人芸があって好きな曲。

収録アルバム 「Hysteria

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8.Whitesnake / Still of the Night (1987)

Deep Purple組で最高の商業的成功を収めたのはDavid Coverdale率いるWhitesnakeかもしれません。このシングルが入ったアルバム「Whitesnake(1987)」もHR/HM黄金期を代表する1枚で、全米だけで800万枚の売上。カヴァーデイルの持ち味を活かしたブルージーなシャウトと元Thin Lizzyの(当時は)若きギターヒーローJohn Sykesのギタープレイがせめぎ合うスリリングな曲。そしてUKメタル・アーティストのアメリカでのセールスのピークも1987年だったのかもしれません。

収録アルバム 「Whitesnake

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9.Judas Priest / Painkiller (1990)

Judas Priestが現代ヘヴィ・メタルの類型に大きな影響を与えたバンドであることに異論を唱える人はいないでしょう。70年代から活躍しており、ハードロックからヘヴィメタルへの過渡期を最前線で生き抜いてきた、切り開いてきたバンドです。もともとミドルテンポを主体としたパワーメタルバンドですが、このアルバムではUSのスラッシュメタルに対するオリジネイターからの回答とも呼べる当時としては激烈なサウンドを聞かせています。疾走パターンからテンポチェンジし、何度も曲構成が切り替わるところも実にスラッシュ的。90年という年は80年代メタルの総括の年だったのかもしれません。USではMegadethが、UKではJudas Priestがそれぞれ異常な完成度を誇る作品をリリースします。ただ、先鋭化しすぎて大衆性を失いつつあったのも事実。このアルバムはメタルの名盤としてのメタラーの評価とは裏腹にセールス的には爆発的なヒットはしていません(全米売上50万枚程度)。とはいえ、現代メタルにつながる王道の1枚。

収録アルバム 「Painkiller

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10.Thunder / Love Walked In (1990)

UKの10曲、最後はThunder。90年代、イギリスのHR/HM系アーティストはアメリカでのセールスを失い、英国および欧州を主戦場にしていきます。Thunderは90年にデビューし、この曲はイギリスチャートでは21位まで上昇。91年以降アメリカでは急激にメロディアスなハードロックが衰退していきますが(2000年代以降に復権)、イギリスではメロディアスなロックが息づき続け、OASISらブリットポップに繋がっていきます。また、HR/HM界隈ではBeatles Meets Metalliaと称されたThe Wildheartsなどが生まれていき、独自のシーンを作っていきます。90年代、メロディアスなハードロックはほとんどがUK、そして欧州から生まれました。

収録アルバム 「Backstreet Symphony

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以上、UKメタルの83年~90年でした。USメタルは83年~90年に商業的な黄金期を迎えましたが、UKメタルはまた違った動きがあったように思います。もちろん、USに進出し、世界的成功を収めた時代という意味では同時期(USの市場に左右される)ですが、91年以降もUK国内ではメロディアスなロックは死に絶えなかったんですよね。それがブリットポップに繋がっていく。なので、UKメタルにとって83年~90年が「黄金期」とはいいがたい。今回、年代で区切って選んでみて改めて気が付きましたが、むしろ70年代後半~80年代前半にUKからHR/HMの名盤は多く出ていて、80年代中盤はそれらのUKの先駆者に影響を受けたUSのバンドがどんどんと成功していった、その影響で一部リバイバルヒットした、という構図にも見えます。Iron MaidenDef Leppardは80年代デビュー組ですが、他はアメリカで商業的成功を収めたUKのアーティストはほとんどが70年代組、つまり、80年代のUSメタル黄金期を形作ったバンドたちに「影響を与えたアーティスト」が再評価され、アメリカでもヒットしたように思います。

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ただ、91年以降のUSでのハードロック、メタルシーンの急激な縮小はUKのアーティストにも多大な影響を与えます。特に、米国での成功をつかんでいたトップバンドに影響が出た。同時代的にIron MaidenJudas Priestからは看板ボーカルが脱退、Ozzy Osbourneはツアーからの引退を表明。これらは当時は音楽性の問題等と言われましたが、急激に縮小していく市場の中で従来の活動規模が維持できなくなったゆえの葛藤もあったのでしょう。実際、Judas Priestを抜けたロブ・ハルフォードIron Maidenを抜けたブルース・ディッキンソン、両名ともUSの新しいトレンドに沿ったようなアルバムを出しています(その結果は芳しくなく、結果として2000年以降、元のバンド・音楽性に再結集して今も活躍しています)。

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また、これは時代の変化とは関係ありませんがこの当時最も成功した英国のバンドであったQueenフレディ・マーキュリーが91年に死去します。これも英国ロックのアメリカ進出の一つのピリオド、時代の終わりを象徴する出来事だったようにも思います。

83年~90年という時代の社会背景を見ていくと、英国はずっと縮小の時代だった。植民地の独立による大英帝国の解体は続いていましたが、1984年に英中共同声明が出て香港返還が決まります。91年に冷戦崩壊しましたが、その影響を直接的には英国は受けなかったのではないか。その前から「大英帝国の解体」という大変動が継続していたわけです。むしろ、90年のサッチャー退陣の方がインパクトは大きかったかもしれません。そしてECからEUへと至る欧州統合の中で英国は戸惑っていく。なので、実は英国の音楽シーンは「アメリカで成功していたバンド」を除けば、91年の変化の影響はそこまで受けなかったように思います。そして90年代はイギリス独自のシーンが発展していき、HR/HMとは呼べませんがブリットポップと呼ばれる「メロディアスなロック」の一群がムーブメントとなっていく。

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アメリカの音楽賞で著名なのはグラミー賞ですが、やはりUSのアーティストが主体。UKから主要4部門を受賞したアーティストはビートルズ(及びメンバー)、エリック・クラプトン、U2、フィル・コリンズ、スティング、エド・シーラン、アデル等、限られています。UKの音楽賞としてはブリット・アワードがありましたが、90年代はUSの市場変化によりUKからUSへのロックバンドの輸出が減少していった(UKにもヒップホップはあるが世界的スターは出ていない)時代に、ブリットアワードとは別に、1992年にイギリス国内のバンドを発掘する「マーキュリープライズ」が新設され、UK音楽シーンはUSの音楽シーンとは違う発展を遂げます。

別側面から考えてみるとイギリスにとって「音楽(も含めたコンテンツ)産業」は数少ない成長分野。ロックはイギリスの重要な輸出品です。イギリスの音楽産業の成長や輸出額の推移と、US音楽シーンのトレンドの変化の相関関係などもそのうち調べてみたいですね。90年代は音楽業界全体が成長期だったのでUKの音楽産業も成長していたようですが、90年代、ロック冬の時代をUK音楽業界はどうやって生き延びたのか。国内や欧州向けにシフトしたのか、あるいはHR/HM以外の音楽、よりポップな音楽は変わらずUSで売れ続けていたのか、気になります。ブリット・ポップの方がむしろUSでも売れていたんですかね(オアシスの「モーニング・グローリー」は全米4位)。

おっと、メタルの話からだいぶ離れてきたので今回はこの辺りで。それでは良いミュージックライフを。

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