タイの雑誌を作りたくなった理由 Gダイアリーを辞めて6年が経ち
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noteで僕が運営しているメンバーシップ「Crazy about Thailand」。
「タイが好き」「タイに移住したい」といった方々へ向けサークル内
限定記事や限定ライブ、SNSで出していないタイのあれこれを発信しています。
1人でも仲間を増やしてもらいたいとの想いで立ち上げました。
現在、約70名の方が参加しています。
https://note.com/yasuharu_nishio/membership
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2週間ほど前から音声メディアVoicyで配信を始め、いまのところ毎日配信を続けている西尾です。
がんばってます。
今日ここで執筆するテーマは、以前Voicyでもちょろっとお話ししたことなんですが「タイの雑誌を作りたくなった理由 」です。
お話ししたVoicyの番組はこちら。
Gダイアリーが熱かった時代
僕はよく「職業はYouTuberですか?」と聞かれることがあるのですが、YouTubeで生計を立てているわけではなく、TRIPULLという旅行会社を運営し日々の糧を得ております。
かといって昔から旅行業に携わっていたわけではなく、以前は雑誌編集者でした。
前職ではバンコクで発刊していたGダイアリーという雑誌を作っていたのは既出の記事で述べた通りです。
タイ好きの方ならご存知の方もいると思いますが、Gダイアリーが創刊したのは1999年。
「タイ発アジアGOGOマガジン」やら「テロからエロまで」なんていう謳い文句を掲げ、旅からナイトライフ、硬派から軟派な記事を、真面目な作家さんから変態ライターさんたちが執筆していた変わりモノの雑誌です。
ネットもさほど普及していなければ競合する雑誌もなく、そのうえ異端児のような存在感を見せていったことで、タイやアジアを愛する者たちのバイブルのような雑誌になっていきました。
雑誌業界がまだ熱を持っていた時代です。
2016年で折れた雑誌への想い
僕がGダイアリーに携わり始めたのが2011年。
「新天地でGダイアリーを作れるぞー!」なんて当初は意気込んでいたのですが、上司である編集長と本当にソリが合わず、それが原因で一度退職いたしました。
その後、編集長とオーナーが揉めたことが原因で、編集長は解雇処分。
オーナーから
「●●●さんは解雇したので戻ってきてくれ」
と連絡を受けGダイアリーに復職し、編集長に就いたのが2013年です。
「編集長になったから、これで俺が面白いと思うことができるぞー」
と鼻息荒くなった当時の西尾康晴。
しかし、そんなことを叶えられるような時代ではなくなっていました。
広告収入の減少です。
雑誌の収益を支えている大黒柱は「広告」です。
2013年あたりからタイ関連の広告は雑誌離れが進み、ネットやSNSへ移行。
他の雑誌と同じように、Gダイアリーの広告収益も下がっていくことになります。
このような状況に追い込まれていくことで、自分が「面白い」と思える企画にガツンと突っ込んでいくことができなくなっていきました。
広告を得るための「提灯記事」を優先していくためです。
「提灯記事」なんて作りたくないけど、会社はどんどん火の車になっていくし、とにかく広告収益をなんとかしなければならない。
2015年あたりから本当に会社がやばくなってきて、給料が満額支給されなくなってきた。
月によっては2万バーツしかもらえないもんだから、貯金もどんどん尽き、いよいよ僕のケツにも火がついてきた。
ブラック企業の見本のような会社経営っぷりでしたが、それでも面白い雑誌を作っていけば、いつか広告収入も販売数も上がっていくんじゃないか。
見えているのか見えていないのか分からない希望の星を見上げ、僕はGダイアリーを発刊し続けてきました。
ところが、その気持ちは2016年で折れることになります。
やっぱり雑誌が作りたい
1999年に創刊したGダイアリーは、通巻2014号の2016年9月15日発売号で休刊。
僕の強い意志を会社に伝え、17年の歴史に幕を下ろすことにしました。
「もう二度と出版業界には戻らない」
2017年1月で退社した僕はそう心に決め、まったく未経験の旅行業へ進むことにし、同じ年の4月に会社を起業しました。
今から振り返ると、未知なる業種でよく起業したなぁと当時の無謀っぷりに感心するばかりですが、結果オーライ。
何も見えないだたっ広い海を航海し続け、今もなんとか生きております。
出版業には携わらない、と決めていたのですが、とある会社さんから年間誌のフリーペーパー制作の依頼を数年前からいただき、なんだかんだ冊子の発刊には関わらせてもらっています。
あくまでもお手伝いの域ではありますが、今年で4冊目の制作を終えました。
今回制作しながら強く思ったのが、「やっぱり雑誌を作るのは楽しい」。
Gダイアリーの後期、経営のことなんてまったく分かっていないながら収益を上げようと、経費が少ないながら面白い記事を作ろうと、がむしゃらにもがいていた。
あの頃を振り返って分かるのは、僕はGダイアリーの経営者でもないし、経営経験もないし、ましてや会社は僕のものではないし、出来ることはたかだか知れている。
でもいまなら、自分が作りたい雑誌を、きちんとした収益構造を構築して世に出せるんじゃないだろうか。
そう思うようになってきました。
雑誌が作りたくなったんです。
自分が「読みたい!」と思う雑誌を。
小さいながら自分の会社を6年経営してきた。
旅行者がいないコロナの2年間を乗り越えた。
クラウドファンディングを3度成功させた。
2016年に心が折れてしまった西尾康晴に、これだけ成長したんだから今度こそちゃんと出せるぞ、というところを見せたい。
そして、自分が「面白い」と思う雑誌を、高いクオリティーでタイ好きの方々に届けたい。
どういった企画にしていくか。
雑誌の方向性は。
制作費はどうする。
どうやって認知してもらう。
どこでどのように販売していくのか。
乗り越えなければならないいくつもの課題と対峙しながら、日本から取り寄せた何冊もの雑誌を読み漁り、どういった雑誌にするかを日夜考えています。
来年50歳になりますが、まだまだ挑戦したいです。
少しずつ進めていきますので、応援よろしくお願いします。
まだ発刊が決まっているわけではありませんが、「その雑誌に関わりたい!」という雑誌編集者、ライター、フォトグラファー、デザイナーの方々がおられましたら、メールにてご連絡ください!
nishio@tripull.asia
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