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バースデー イズ ハッピー?


 冬が好きなのは、冬生まれのせいかもあるかもなと思ってた。
 そんなの、ただの二択なんだけどさ。


 6歳の誕生日を迎えた自分がホームビデオの中で泣いている。
 ケーキを前にハッピーバースデーを歌ってもらってるとき、ろうそくの火に照らされながら手の甲で涙をぬぐった。それを見た母親が「ちょっと待って!」と歌を止めて「どうしたの?」と聞いてきた。
「‥‥泣きたくなっちゃって」
 そう言うと、母親は「泣きたくなっちゃったの?」とうれしそうに繰りかえした。さらに「うれしかったの?」と尋ねて僕が頷くと、愛おしそうに笑った。
「そういうときに涙が出るのはね、お兄さんやお姉さんになってきた証拠なんだよ」
 歌を仕切り直して僕が火を吹き消したあと、母親がそう教えてくれた。
 本当の涙かよとは小中学生のときにビデオを見返した時点で思ってた。でも、ある程度のあざとさがあったとしても、そこまでの器用さはなかったと思う。
 だから、本当にうれしくて泣いたのかもしれない。
 うれし涙を流した息子に母親が興味を持っているあいだ、早々に思春期を迎えていた姉は少し不満げで、2つ下の妹は「次はね! 私がピンクと水色のろうそくを消すんだよ!」と一人喋りをしていた。


 そのときよりずっとお兄さんになると、僕は誕生日が苦手になった。
 人の誕生日をよく覚えてるほうで、読んだ小説や映画の内容はほとんどを忘れてしまうのに、もう連絡をしなくなった人の誕生日でさえ「あっ」と思い出す。
 ましてや自分の誕生日なんて忘れられるはずがなくて、その数日前からそわそわしてしまうところがあった。
 誰かに「誕生日おめでとう」と言うと、ときどき「あ、そっか誕生日だった」と返されることがあって、それが無性に羨ましかった。
 こっちは誕生日をものすごく意識しているくせに誕生日だとアピールすることもできず、でも自分ほどは周りの人が誕生日なんて覚えてないから、結果何もない誕生日になる。アホみたいに落ちこむ。
 ずっとその繰りかえしだった。
 落ちこむくらいなら「誕生日だからご飯行かない?」と言えばいいし、それができないなら気にしなければいいと思う。
 だけど、それがどうしてもできない。


 0時になる瞬間が誕生日は一番そわそわする。
 だからその時間にあえて風呂に入ったり、いっそ0時の前から寝たりしてみたこともあった。そして朝になって、明らかに目覚ましを止める以上の熱意で携帯電話を探して、いつもと変わりがないことを確認して、朝ごはんを食べる。
 そんなことばかりだった。


 たまたま0時をまたぐ飲み会みたいなのと誕生日が重なったことが2度あった。
 僕としては内緒で予定が入ってるのが一番うれしかった。
 その2回とも、23時59分になったことを確認してから、テンションを上げて「あと1分で明日なんだけど、明日俺の誕生日なんだ!」と言ってみた。
「え! マジで? 本当に!? 超めでたいじゃん! カウントダウンしよう!!」
 となるはずだったけど、みんな驚いてきょとんとしてしまって、俺だけハイテンションのまま0時を迎えるということがわかった。
 この作戦はあまり良くない。


 家族仲が不安定だったくせに、そういうときだけはちゃんとメールしたりしてくるのも嫌だった。家族で仲がいいということに慣れてき始めたのは最近のことだ。
 記念ごとには必ずご飯に行こうと誘ってくる父親をかわすために、ある年はケンタッキーで大量のチキンを買って部屋でひたすら食ったこともあった。ひどい胃もたれだった。
 母親とは離婚以降一生会わないつもりだったのに、毎年送られてくるゆうパックをどうすればいいかわからなかった。誰もお祝いしてくれないのに、どうして一番嫌いな人だけお祝いしてくるんだろう。
 結局母親とまた話せるようになるまで開けられなかった。捨てることもできないまま。
 数年分のプレゼントの中身は、中学の頃に吹いていたサックスの置き物、聞いたことのあるブランドの香水、クオカード、そして小さい手紙。このたまらない気持ち。
 素直になれなかった自分にもそうだけど、素直にさせなかったくせに何してんだよという気持ちもあった。でも僕は、父親がご飯に誘わなくなろうが、母親が何も送らなくなろうが、結局不満なんだ。


 メール文化の頃、高校生の頃は誕生日に長文メールを送り合うのも流行った。
 いつも、登場人物に僕を含むへんてこな物語を送ってくれていた友達が、ある年のメールの最後に「追伸:俺は誕生日はお祝いされる日じゃなくて、生んでくれた親に感謝する日だと思ってるよーん☆」と書いてくれたことがあった。
 直接的な相談をしたことがなくても、漏れ出る母親への不満に気づいた彼の、精一杯の気遣いと注意だった。
 すぐにはできなかったけど、また母親と笑って話せるようになったときに、やっとこれができるなって思った。


 予定を入れるのが苦手だということには大学に入った頃に気づいた。
 その頃は別れた恋人のことばかり考えてたから。いつ返信が来て、いつ会うことになるかわからないから、どんな予定も入れたくなかった。
 と、マジで考えてた。誰にも言わなかったけど。
 これよりもっとすごい予定が入ったらどうしようと思ってしまうのが今でもある傾向だから、元々持っていた性質なのかその恋人が起因するのかはわからない。
 だから遊びの誘いは突然であればあるほどうれしかった。突然なら、他の、もっとすごい連絡が来る可能性もほぼ0だろうから。
 そうして常に、もう叶わないものを優先順位の上位に置いた。
 

 何もない誕生日が苦手なら積極的に予定を入れればいいのにそれができないのは、アピールするのが恥ずかしいという理由以外に、「あなたじゃない」という気持ちがあるということだ。
 最悪。そんなやつお祝いされるはずがないのに。
 みたいな自己分析を載せて「ちゃんとわかってんじゃん」と思われようとしてるところも最悪。
 でもこれが本当のことで、その事実が一番最悪。


 20歳の誕生日は二浪中で、代々木駅前の交差点で見た満月だけがうれしかった。
 30歳の誕生日は、糸井重里が余計なことを言うから信じられないほど落ち込んだ。
 22歳で読んだ海馬というという対談本の中で「30歳の誕生日に何をしているかでその人の人生が決まる」と言っていたのが忘れられなかった。「30歳の誕生日は、その日何かをしようと思えばできるし、社会的なポジションもあるから選べない要素もあって、その折衷案がなんか一生に似てるんです」
 30歳になる少し前にバイトもやめてしまって、やめてから初めて、同じ環境の人がいないと致命的なコミュニケーション不足に陥ることを知った。こんなにおしゃべりなのにそのせいでカラッカラで、しかも何者でもない。通常の誕生日ダメージに加えて余計に相当なダメージを喰らった。
 翌日、その前の年によく会ってた女性に連絡を取ると「明日だと思ってた!」と驚いてたけど、あれは嘘だったと思う。手に入らないものを優先順位の上位に固定して傷つけたから。


 さすがにもう誕生日に落ちこむことはわかってきた。
 だから去年の誕生日はあらかじめ遠くに住む知り合いに「恥ずかしいんだけど、電話してきてくれない?」とお願いしておいた。
 そしたら前日の夜に着信が鳴って、「明日忙しそうで時間取れなそうだから今日電話しちゃった。ごめんなー」と言ってくれた。
 こんなにうれしいことはなかった。だって前日の時点でもうそわそわしなくてよくなるんだから。


 それにしても、今後もずっと苦手なままなのかなあ。
 恋人や家族ができたら違うのかもしれないけど、寂しさを紛らす理由でいいのかしらと思わないこともない。
 今年の誕生日はどうなるかな。
 そう、まだなんだけどね。
 うん。12月だけど。


 ふう。
 いこっか。


 わたくし安原健太の誕生日は12月5日ですウォルトと同じですだいたい11月25日くらいからそわそわし始めるかなえーっと今日の日付が12月4日なので明日ですねもう明日、もうすぐで、俺の誕生日なの!
 あーこれダメなパターン!どうしよう!!笑




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