【日記⑤】新しいモノに順応するしかないのか 電子チケット・紙チケットから思う ~10月15日~
先日、ありがたいことに当選したドラフト会議のチケットが手元に届きました。
手元に届いたと言っても、実在する紙のチケットではなく、スマホに電子チケットが表示されました。
私はスマホの操作が苦手で、今まで電子チケットを避けてきましたが、今回は電子チケットしか選択肢がなく、紙のチケットを断念しました。
電子チケットが悪いわけではありませんが、どこか悲しいと感じるのは時代遅れでしょうか。
紙のチケットの味
紙のチケットは手元にモノとして残り、思い出をいつまでも振り返ることができます。
大きさ、柄はほとんど変わりませんが、財布に入れたままでやや変形した紙のチケットを見ると、思い出が頭の中を駆け巡ります。
プロ野球であれば対戦カードが記入され、日付と照らし合わせることで試合内容を思い出すこともできます。
電子チケットでも試合を振り返ることはできますが、紙がよれたり文字が薄くなるなど、紙のチケットが醸し出す味はでません。
電子チケットの良さも分かるが・・
正直、紙のチケットを振り返る機会が多いかといえば嘘になりますが、味のついた紙のチケットは思い出の1つとして捨てられない品となっています。
環境面を考えれば電子チケットの方がいいことは分かっているのですが、味を求めると紙のチケットが勝ります。
時代が進んで電子チケットが当たり前になってきた中、紙のチケットにこだわっていた私にとって、今回の電子チケット1択しかないというのは、非常に厳しいものがありました。
共存の道を探りたい
今回、電子チケットという新たな道を強制的に進むことで、新しい良さが発見できるかもしれません。
電子チケットの良さに魅了されれば今後も電子チケットを使いたいと思いますが、紙のチケットにある味を捨てたくない気持ちも強くあります。
1つ1つのチケットを見て、頭の中に思い出を巡らせ、懐かしさに浸る。
時代遅れかもしれませんが、この光景を失いたくない思いがあります。
環境に配慮しなければいけないことも分かるのですが、紙のチケットが消えていくと、心に大きな喪失感が生まれます。
新しいモノは便利でいいと思いますが、古いモノを完全に排除してしまうのは悲しいし、寂しいです。適度に共存する道があるといいのですが。
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