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健康で文化的な最低限度の生活のための近況報告

このような状況下、がもうどのくらい続いているのか分からなくなってきました。「当たり前の日常」だった2020年の初頭が遥か昔のような感覚で、そしてあらゆる活動を自粛せざるを得ないこの状況が新たな当たり前になりつつあります。散々各所で言われている事ですが、covid-19以前の世界に戻る事は二度となく、ウイルスを前提とした距離感の中で我々は生き続けなければならない、と言う事が日々リアルな実感として強まっています。

白白庵の店舗を休業してこれで三週間。まだたったの三週間なのにとてつもなく長い日々。先日の記事に記したようにECサイト立ち上げの準備を急ピッチで進めています。
どうしても店でやらなければならない仕事もあるので必要最低限に抑えながらの出社。ひたすら撮影。数千枚のデータが早く皆様の目に入って、実物が届けられるように。

来客も無いので、店で仕事をする時にはでっかい音で好きな音楽を流しながら作業しています。撮影する作品に合わせて自分用のBGMを選ぶのはささやかな楽しみでもあります。
昨日と今日は特にそれがバッチリとキマッてしまい、素晴らしい作品の持つ空気と音に埋もれて、まさに至福と言える時がありました。
侘び寂びの向こう側がちょっとだけ見えた気がします。
「崇高」と言う概念を内的に垣間見たような感じです。
要するに素晴らしい瞬間だったと言うことです。
これこそが「文化」そして芸術の素晴らしさ、そしてそれらに美や喜びを見出す事ができる人間存在の素晴らしさであると思える瞬間がそこにあったのです。

この自粛期間を過ごして確信を得たのは、我々を人間たらしめるのは文化という事です。めちゃくちゃシンプルな話で、僕らのような文化的な仕事をしている人間からしたら当然の事なのですが、改めて強く感じます。
日本国憲法にだって、「最低限度の生活」には健康と共に「文化的な」が含まれています。

活動自粛、すなわち社会による相互監視の中で我々は動物的に管理された生活を営む事になりました。生命の安全は何よりも優先されるべきである事は自明としても、そのために最低限の活動を余儀なくされ、あらゆるパブリックな文化活動がその場を奪われ、生命維持のための活動のみが許される日々は社会とウイルスによる人間の家畜化、とも言えます。

もちろん「全ての」文化活動が奪われたわけではありませんが、自宅で個々人が楽しむ事ができる内容に限られます。(きっとその分野で新たなクリエイティブが生じるのは楽しみではあります。)
文化を発信する場だけでなく、文化を生み出す人々やそれにまつわる周囲の活動が連鎖的に制限されているため、このまま自宅で楽しむための文化ですら供給が間に合わなくなるのでは無いかと危機感を覚えます。

ともあれ同時に「健康」でなければならないですし、最低限度の生活を営むために現代社会に於いては先立つものも必要で(それが先立つ必然性についても改めて考えさせられる状況ではあります)、命あっての事ですが。

人間として生きている実感を、その喜びを感じるための「文化」が少しでも早く、多くの人が取り戻せますように。
そして今作っている白白庵のECサイトが少しでもその助けとなりますように。

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