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大槻香奈が描く「この状況下」の世界

「少女ポートレート」は大槻香奈の作品を代表するシリーズである。
しばらくの間封印されていたこのシリーズが、「この状況下」で復活した。

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大槻香奈 「密 2020」

本来であれば4月25日より、白白庵にて個展を開催する予定であったがその店舗休業により、新設の白白庵オンラインショップがその発表の場となった。
そこに描かれるテーマを考えれば、ある意味でこれが正しい発表の形式だったのかもしれない。他者との間に生じてしまった距離、身内だけが近づくことのできる距離。現実的に作品と接することのできない状況。そして購入した人間だけが近づくことのできる対象。

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大槻香奈「保 2020」

ここで描かれる「少女」とは未成熟な日本社会のメタファーであり、同時にそこで主体性を抱くことなく生きる個々人を写す鏡でもある。

震災直後にneutron tokyo(白白庵の前身)で開催した個展『乳白の街』では、自然現象による脅威と社会に発生した不条理を目の当たりにし、翌年の同会場での個展『みんなからのなか』では「蛹」的に捉えた日本社会を描き、そのシンボルの中心に「少女」を置くことでそのテーマ性を明確に世間へと知らしめた。
そしてその後、日本社会における中心性の不在を「器」的なものと捉え、モチーフは「少女」のみならず「家」「山」「日本人形」といった日本社会における祈りや思いの容れ物としてその表現形式を拡張し続けている。

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大槻香奈 「息 2020」

自らが描こうとする「器」、そしてその世界は少女だけではない様々なモチーフが織りなすコンテクストによって表現されうる。
所謂美術マーケットは大槻の代表作である「少女ポートレート」を求める声も多い。しかし大槻が描くべき世界は少女だけに縛られるものではない。

「器」の語源は「ウツハモノ」と言われ「ウツ(現、虚、空、移)+ハ(端)+モノ(物)」という概念で成り立つ。
現実から空虚へ、空虚から現実へ、その移ろう端にある物を「器」と呼んだのだ。中心も実体もなく、ただひたすら移ろいゆく存在としての器。
鈴木大拙が述べる禅の発展以前に備わっていた、その礎となった「日本的霊性」とはこの器的な概念と重なる。

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大槻香奈「感 2020」 

またロラン・バルトが「表微の帝国」にて指摘した中心性の不在とシンボルへの依存。中身ではなく包装や箱に重きを置く文化。
権力を持たないシンボルとしての天皇制は西洋的な父性の不在をバルトに強く印象付けたようだ。東京という都市が皇居という空虚な中心を持って成り立つ事もバルトにとっては示唆的であった。「空虚」を中心として成り立つ日本社会は父権的な強いリーダー性を持たない。そのような社会においては主体的な個人こそがカウンターバランスとして求められるが、そのような主体性すらも大多数の個人が抱けずにいる事がこの新型コロナウイルス禍によって顕になったのだ。

だからこそ、今回大槻香奈は「少女」に立ち戻らざるを得なかった。
このcovid-19による混乱で炙り出された社会と個人の未成熟さ、震災直後における日本との変わらなさ、さらには目に見える大きな災厄としての震災とは異なる目には見えないウイルスという脅威によって引き起こされるコミニュケーション不全を痛感することで、”悔しい思いを抱きながら”少女ポートレートを描いた。

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大槻香奈 「散 2020」

そして今回の少女たちは全員マスクを身につけている。
マスクの目的は自己防衛と同時に他者への感染を防ぐ、つまりは自身がキャリアーだった場合の攻撃力を下げる手段でもある。
この状況下でマスクは他者との距離を保ちつつ恐れを想起するシンボルであると同時に、他者と関わるための免罪符ともなり、または転売などの欲望を満たすための材料として、さらには恐れや動揺を促す扇動のツールとなり、そして何よりも生きるための「御守り」となった。

少女の視線の先にいる鑑賞者たる我々自身が、この少女である。
移ろいゆく存在としての少女が見つめる視線に映し出される我々の姿こそが、この作品に描かれている対象である。

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大槻香奈 「風 2020」

遠からず未来にいつか、この作品たちが主体性を得た我々に異なる意味を示す事ができる世界とならん事を。
まずは今、大槻香奈が描き出した「この状況下の世界」と向き合いましょう。



※「器」に関しては松岡正剛「花鳥風月の科学」にて類似の指摘がされている。焼物を生業とする家で伝え聞いた事から導いた自論との差異についてはまた別記事で考察する。

※ロラン・バルト「表微の帝国」と河合隼雄「中空構造 日本の深層」で指摘される中心性の不在については「大槻香奈作品が描く日本社会」を読み解く上で重要なヒントを示す。必読。

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