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社会人5年間の「旅路」

最近、藤井風が、新譜を出した。正直、僕は彼のことを、流行りの音楽で、若者に人気のアーティストくらいに考えていたのだけれど、悔しいことに、このアルバムが、よかった。特に、最後の曲の「旅路」なんて、近年稀にみる名曲だ。MV見たら、歳下とは思えない、色気のある男で、さらに悔しさが増した。「旅路」を聞いていると、学生の頃の出会い別れの多い、3月を思い出してしまう。

あーあ
僕らはまだ先の長い旅の中で
誰かを愛したり 忘れたり
色々あるけど
あーあ
いつの間にかこの日さえも懐かしんで
全てを笑うだろう
全てを愛すだろう

藤井風のせいで、いつになく、おセンチな気持ちになってしまって、あー、そういえば、社会人になって5年経過したなー、なんてことを思い出して、1人で、これまでの5年間を密かに振り返ったりしていた。

ちょうど、5年前の僕はと言えば、ちょっと尖ってて、自分は何にでもなれるし、何でもやればできると思っていた。新卒で入った会社は、やれ給料が低いだの、福利厚生がないだのという不満を言う人が多くて、そんな不満言っていないで、志高く働いてくれよ!と心の中で思っていた。
今、思い返すと、そんなに気を張らないで、力を抜こうよと思うんだけれど、人生の大半は仕事に充てる訳だし、仕事ができないのは、ダサいと考えていた。嫌な若者である。
でも、転職して、上京してきて、自分より仕事ができる人がいる中で仕事をして、自分は井の中の蛙状態だったのだと思い知った。何も成果を出すことのできない自分に、不安や焦りを感じて、働くのが嫌になってしまっていた。それが、ついこの間までの自分である。

近頃の僕はというと、少しおバカな考え方をしてしまうのだが、何千、何億年とある地球の活動の中で見たら、自分の人生100年で残せるものなんて、ほんのちっぽけジャンと思うようになった。であれば、仕事で何かを残すことに、こだわるのは、馬鹿馬鹿しい。自分が楽しいと思える仕事をして、同僚の人と雑談を楽しんだり、一緒に悩んだり、そういう時間を、今は大切にしたいと思っている。もちろん、今でも仕事で落ち込むし、働きたくないと毎日のように思っている。でも、たまに働いていてよかったなと報われる時がある。以前、自分が描いていた、大きなことを成し遂げるということではない。それは、誰かのちょっとした役に立ったとか、誰かと一緒に目的を達成したみたいな些細なものである。でも、その小さな報われる瞬間を求めて働くのも、良いのかもしれないと思う。
バリバリ働いている人や、使命を背負って働いている人には、笑われてしまうかもしれない。でも、これは、5年間の社会人生活で、辿り着いた自分なりの「働く」ということなのだ。そして、この「働く」という価値観は、これからも変わり続けていくと思う。どんな価値観であれ、自分はそれを尊重したい。これからも、辛い仕事を、嫌だ嫌だと言いながらも、ときに楽しんでいこうと思うのだ。

なんか言っていることが「旅路」に引っ張られている気がする。悔しい。


ムムム。