見出し画像

「授乳」を読んだよ

もうすぐ夏が終わってしまいそうだ。部屋の窓を開けると秋の始まる匂いがする。今年の夏は全然夏らしいことは出来なかったし、友達とも遊べなかったな。飲みにも行けない。寂しい。

お盆休みで暇だったので、少しの間実家に帰った。実家には浪人の時までしか過ごしていないので、久しぶりに帰るとその時から時間が止まっているような気がする。特に自分の部屋は、過去の時間の軸で生きている私が今も生活していて、現在の自分が友達として部屋にお邪魔しているような気になる。本棚を見たら以前好きだった本があったので何年かぶりに読んでみることにした。

村田沙耶香の「授乳」

この本は3つの短編があって、その中で「御伽の部屋」という短編が好き。主人公のゆきと要二の関係性の描写が独特で、閉鎖的な2人の世界が苦しくなってくる。

ゆきの自我がだんだんと暴走して、最初は自覚できていた違和感が、気付かないうちに自分が管理できる範囲の外に出ていって、歯止めが効かなくなっていく感じがわかならくもない。私だっていつかああやって自分で自分のことがわからなくなるときがくるかもしれないと少しおもう。

初めてこの本を読んだ時は高校生で、その時にはまだ恋をそんなにしたことがなかったから、この小説のこの文が好きだった。

そうしているとこの人はきっとあたしの神さまなんだとわかる。しかもあたしをえこひいきしてくれる神様だということが。自分が何か大きくて暖かいものにえこひいきされることに、ずっと憧れていたことを知る。

えこひいきなんて言葉、小学生の頃にしか使っていなかったし、いつもえこひいきしてもらっている友人を羨んでいる側の人間だったので、高校生の私にはこの言葉の組み合わせが特別に思えた。

今でも好きな人ができた時にこの文章が頭に浮かぶ。

村田沙耶香さんは2018年に「コンビニ人間」で芥川賞を受賞されているのでそっちのほうが印象深いかもしれない。私は作家さんの名前を覚えるのが得意ではないので、コンビニ人間を読んだ時に同じ人が書いていることに気付かなかった。知ってからこの本を読んでみると、主人公の女の子の世界の捉え方というかそのフィルターの歪みがコンビニ人間の女の子と似てる。もっと村田さんの本を読んでみたいなと思った。

でも自分の心が健やかな時でないと、小説の内容にぐんと引っ張られていってしまいそうだ。それくらい自分と遠くない話のような感じがする。色でいうとねずみいろ。あでゅ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?