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病み系のYummy系、照らす闇系

koyomiはYummy系。

美味しいは正義だと思っています。本当の意味で美味しいこと、それが私達の進む道。

koyomiはお客様の健康習慣に末長くお供するために、カラダが喜ぶ美味しさを追求しています。腸内の100兆の細菌たちが歓喜する本物の食事。良薬カラダに旨し。例えば、紫式部には様々な素材を使いますが、主役のビーツは全体の半分以上を占めます。ビーツの栄養価をしっかり体感頂けるよう、濃い口になっています。カラダ漲る本物のジュースです。カレーやスープも同様で、主要の野菜の栄養価をたっぷりとチャージして頂くことを第一義としています。


最高に美味しい野菜をたっぷり使い、素材の味を最大限味わっていただけるように心を込めて、クラフトワークで作っています。主役となる野菜が「破格な量」入っている、というのはkoyomiの個性ですが、味付けは毎日でも食べたいと思って頂けるように、オーソドックスな味付けとしています。

私は過去、今から思うと大変な浪費を通じて、東京中、そして海外のいくつかの都市を含めてたくさんの美味しい食事を食べ歩いてきました。一番の楽しみとして、美味しいものが食べられるのであればお金はいとわないという浪費ぶりでした。ミシュランからストリートフードまで貪欲に食を追いかけ続けました。私が最初に覚えた言葉は、ママでもパパでもなく、「もっと」です。

色々な場所で、色々な食文化に触れた経験は、いくつもの引き出しになっていて、koyomiで必要な時に閃きとなって私達を助けてくれます。
音楽の1オクターブは8つの音階しか無いのに、それの組み合わせで無限の創造性を生みます。koyomiには1オクターブを優に超える数の旬素材が常にあり、巨大な冷凍庫には沢山のフルーツなどの素材も眠っている。展開は無限なので、アイディアが枯渇する心配はありません。私達はパートナー農家の名人の技を信頼しているので、パートナー農家が作っている作物は基本なんでも関心を寄せます。私達はkoyomiのコンセプトといくつかの決まりごとを通じて、やるべきことを決めていて、必ず良い発想が生まれるということを知っているので、経験がない素材にもオープンな気持ちで検討できます。常に新商品のことを考えていますし、自分達でも驚くペースで新商品を生み出せています。刹那的に短い期間だけ販売される特別商品もあれば、定番になるものもある。どれもキャラクターのある商品達で、結局失敗はありません。


koyomiはYummy系。でもそれだけじゃない。もう一つのkoyomiの個性、それは「病み系」であること。

病み系のYummy系

です。

私は心にモンスターが居ることを知っていますし、とてつもなくグロテスクな地獄を自分自身で作れることも自覚しています。自覚はしても、そのモンスターに引き摺り回され、エネルギーが枯渇することもあります。ヨガとオーガニック野菜が、言葉通りの拠り所です。お店としても、病中の方でも安心して飲んで頂けるジュースを作っているのは、同じ病み系の人の救いになって欲しいから。

事業を興すキッカケとなったのが、精神を病んだからなので、病について、とか病からどう立ち直ったのかなど、色々な場で話す機会が増える。気付けば、病み系のお客様が自然と集まる様になりました。お客様のことを勝手に病み系というのも随分と失礼な話しだけれど、一目ですぐに分かったりもする。考えて見れば、病んでいない人なんていない。自分の病んでいることをカジュアルに受け入れると、人は少し明るくなる気がする。病んでいる人にとって、居心地がよくて、元気になれるお店にしよう、という覚悟が出来てからは、お店の運営、商品を企画する際に、やるべきことと、やらないことが明確に分けられる様にもなって、スッキリしました。


私は長年マーケティングを専門的に実践してきました。顧客を細分化してターゲットを定めるセグメンテーションや、時にはペルソナ(想定される一人の人格)の分析などは呼吸と同じレベルに常日頃常日頃の所作でした。でも考えてみると、ターゲティングする顧客層やペルソナはその商品を買って如何に満足度を高めているか、キラキラの状態を思い浮かべており、想定する顧客層は「ポジティブ」な世界を想定していた。その人の様になりたい、と共感を呼びたいという想いでマーケティングを考えていました。フェイクな世界を思い描いていたのです。

自分ではない誰かに好かれることをイメージすること。ターゲティングした顧客層から、出来るだけ多くのLIKEを貰おうとする行為。それが従来のマーケティングの考え方だと思います。

でもそれこそが、フェイクだ。

だからもうフェイクはやめることにしました。ただただ、自分らしくリアルを貫く。自分が相手の気持ちを図るなど、出来るはずもないことを私は何年も行なってきた訳です。自分自身にとってのリアルを追求していけば、老若男女、何かしらの病みを抱える現代の全ての人に語りかけることになる。これはセグメンテーションの「自分→お客様」への操作的な思考と真逆の方向性であることに気付きます。

人目を気にして出来るだけ多くのLIKEを貰える様に立ち居振るまうのはフェイクな自分です。フェイクな自分ばかり演じていると、魂のリアルと合わなくなり、苦しくなる。

だから、どうしようかな、という選択肢ではなく、天が私達に求めているものがあるとすれば、「自分らしくリアルであること」しか無いんだと思い、覚悟を決めた。


自分らしくあることはリアルであること。リアルであればあるほど、Love と Hateの両極になっていく。凄く好きな人と、全く関心を持たれない人。

koyomiで学んだことの一つ。リアルの先には多くのLIKEはなくても、少数のLOVEが現れてきます。

そしてその少数のLOVEの持ち主は、セグメンテーションでは括れない、老若男女、病、疾患、障害あるなしなど様々。「欲」は種類や性質に分けやすく、セグメンテーションしやすい。しかし、「愛」はセグメンテーションできない。

koyomiはお客様のココロとカラダに本気で寄り添うために、そしてお客様が自分らしさを取り戻せる様に、そのお手伝いとして、人間として根源的な「本物の食事」を心を込めてお出ししている。

過去の私がそうであった様に、世の中のマーケターは今日もキラキラした世界を見ている様な気がする。一般的な商品やサービスは、キラキラした「想像の世界の人達」を向いている。でもそんな世界は存在しない。存在するのは現代の人間のリアルに病んだ心。私達は病み系として、ココロやカラダに居心地の悪さを感じている人や、自分の中で何かを変えたい人、と真正面から向き合いたい。病んでいない人なんていない、ということからすると、世の中の見え方が全く変わった。リアルは無限。今までよりもっともっと広い世界が広がっているのです。

koyomiは病み系のYummy系。私達は闇系を照らす希望の光になりたい。

私自身とんでもない負の想念を持っていたりするし、koyomiの様に純性の高い事業を行う私の深い部分には、同じくらいの闇を持ち合わせているからこそだとも思う。でも、もう闇だけにはハマらない。鬱病を治すのは抗うつ剤でも睡眠導入剤でもない。新しい世界観に希望を見つけ出すしかない。私はkoyomiを生み出すことで自分自身の人生に希望を得ました。だから、koyomiを通じて元気になって頂くお客様と接すると共感に満ちた喜びを得ることが出来ます。

闇を追求した先には光がある。だから、私達は病んでいる人々の希望の光になりたいと思っています。

少し目線を変えて、日本には素晴らしい食文化があります。しかし、現代の日本における「食」は嘘ばかりの真っ暗闇。闇だらけなのです。

余談ですが、リアルを貫くと循環が生まれます。リアルであるということは、お客様にも農家にも自分自身にも、パートナーにも、家族にも、スタッフや関係者にも、表裏なく、同じことを言える。リアルにはコインの裏表の様な性質はない。そして、循環しているものには、「表裏がない」ということ。

誰にも同じことを言える、というのは精神衛生上、この上ない環境です。だから、リアルになることは自分自身への最大の癒しになる。

物事の流れ、商いの流れをオーガニックの原則に則って考えた際に、世界の見え方は大きく変わる。

koyomiはこれからも病み系のYummy系として闇系を照らして参りたいと思います。



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