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古代ハワイの衣装タパとアロハシャツの歴史。

古代ハワイアンは、1778年のキャプテン・クックの来島によって初めて西洋諸国との接触を持った。それまで彼らが身にまとう衣装は「タパ」と呼ばれる樹皮を叩いて伸ばし、木の樹液や実を染料とし、木の表面を削って彫刻したデザインでプリントした布地を使用していた。これはハワイだけでなくポリネシア全域で同じものだったようである。
下の動画は1分足らずのタパメイキングの様子を伝えている。

男性は、ふんどしのようなデザインの「マロ」と呼ばれる衣装を身に着け、女性は腰に巻く「パウ」と呼ばれるものを使用していた。

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タパは衣類としてだけではなく、敷物や掛け布団としても利用されるとても重宝する布地だった。さまざまな染色が施され、芸術的要素も兼ね備えていたのだ。
黄色の染料は勝利を、赤は勇気を、白は神聖さを表すという説もある。
カパは見た目だけでなく、肌触りや耐久性においても極めて優れている。

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18世紀後半、西洋人が訪れて以来、半裸の女性たちに着衣の習慣を身に着けさせるため、アメリカ本土からやってきた宣教師の妻たちはハワイアンの女性たちに裁縫を教えた。
この時「ホロ(縫う)」と「クー(とまる)」を繰り返し唱えていたため、作られたドレスを「ホロク」と呼ぶようになった。
このホロクは、後の「ムームー」の原型になっている。

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現在、ハワイの衣装と言えば「アロハシャツ」だろう。
19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、日本人が夢を求めてハワイに移住してきた。彼らのほとんどは貧しい日本の暮らしから新天地での夢を抱いて海を渡り、サトウキビ畑の労働者として働いていた。
当時、農園で働く労働者たちが着ていた服は1000マイルシャツ(Thousand-miles shirt)と呼ばれるシャツだった。酷使に耐えられるこのシャツはズボンの上に出して着ていた。1000マイルシャツは最初に中国人が着はじめ、次にハワイアンや日系移民も着るようになったものだ。
日本人にとって馴染み深い「絣(かすり)」に風合いが似ていたものが「パラカ」と呼ばれるシャツで、多くの日本人移民はこのシャツを愛用していた。このパラカシャツこそ、アロハシャツの原型となるものなのである。

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日本人移民者たちは、日本から持参した着物をとても大切に着まわしていましたが、擦り切れて着物としても使えなくなった時、それを有効活用するために使える部分を子供用のパラカ風シャツに仕立て直して子供たちに着せていたと言われている。
物を大切に扱う「もったいない」という意識から生まれたシャツは、着物独特の色や柄が現地の人たちに、新鮮でエキゾチック、そしてオシャレに映ったのだ。
1900年代初めに着物地のシャツを見た現地の人たちがそれをマネして市販の着物や浴衣からシャツを作って着るようになったと言われている。
初期のシャツには和柄が多く、初期のシャツを育てたお店のひとつに『ムサシヤ・ショーテン』がある。この店は早い時期から和柄のシャツを仕立て、1935年に「アロハシャツ」という言葉を初めて新聞広告で使ったと言われている。
1904年に最初の官約移民のひとりとしてハワイにやってきた東京出身の宮本長太郎によって創業された仕立て屋で、日本の反物を使ってシャツを作る店として人気を博したのだ。
その後、1915年に創業者の長太郎が他界すると、日本で暮らしていた長男の孝一朗が店を継ぎ、店名を『ムサシヤ・ショーテン』(日本語名は『武蔵屋呉服店』)と改めた。
父の後を継いだ孝一朗は大々的な新聞広告によって着物地のシャツを広めることに成功し、当時ホノルルでもっとも有名なシャツの仕立て屋となったのだ。ムサシヤ・ショーテンのアロハシャツは今でもビンテージとしてマニアの間で人気になっているものだ。

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1936年、「アロハ」は洋品店「キング・スミス」の経営者エラリー・チャンによって商標登録され、中国からの移民者の彼が最初に売り出したアロハシャツはムサシヤ・ショーテンが仕立てた和柄のシャツだったのだ。

アロハシャツのブームの絶頂期は第二次世界大戦後の約15年間だと言われている。当時、衣料素材として発明されたレーヨンが綿や絹に代わって登場したことにより、アロハシャツのデザインにも大きな変革をもたらした。
当時の日本からは、着物の染色技術を使った繊細な柄が数多く海外に輸出されていた。特に戦災を受けなかった京都の染色業は戦後の繊維製品の輸出を支えていたのである。京都には着物だけでなく、布団地や風呂敷などを作る友禅の業者が数多く存在していたため、これらの業者が高品質な製品を作って輸出していたことがアロハシャツ発展の大きな要因になったのである。

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その後のアロハシャツの発展の背景には、ハワイが観光地として世界的に有名になったことが大きく関わっている。1927年、マトソン海運がサンフランシスコ~ホノルル間の客船を就航させると、アメリカ本土から多くの観光客がハワイに降り立った。
また戦時中のハワイは米軍の兵士たちで賑わい、戦後は航空路の発達もあったため、観光客が大挙して押し寄せ、土産物としてアロハシャツの需要は一気に増えたのである。
やがてアメリカ本土でもハワイブームが起こるようになると、ハワイのメーカーだけでなく、アメリカ本土のスポーツウェアメーカーなどもこぞってアロハシャツを作るようになった。

ハワイの古代の衣装からアロハシャツの歴史までを振り返ったが、服には必ずその土地との深い歴史があるのだ。
ハワイの衣装には島に移り住んできた人たちとの深い関わりと歴史がある。
衣を身にまとうということは文化と歴史を背負っているんだなと感じた。
私たち日本人とアロハシャツにも深いご縁を感じる。夏になると日本でもアロハシャツを着る人が増えてきた。
ハワイで買ったアロハを来て海辺を散歩するだけで、少しハワイのエネルギーを身にまとった感じがするから不思議なものである。

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