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出来事に意味づけするのはいつも自分。いらない意味を解放して楽に生きよう。

ある日の朝、起きる前に夢の中(?)でこうメッセージを受け取った。

「お金がないから私はダメだ」とか「仕事がうまくいかないから私は能力がない」とか「恋人(結婚)ができないから私は魅力がない」とか「SNSとかでフォロー外されたから私のこと好きじゃないんだ」とか、人はいろいろと出来事をあなたそのものの存在を勝手に結びつけるけど、出来事とあなた自身の関連性って何もないんじゃない?
起きる出来事は常に中立でその出来事そのものには何の意味もないんだよ。意味をつけるのはあなたの勝手な意識だし、あなた自身はただ生きて体験して感じて考えているだけで神様から見たらそれだけで役に立っているんだ。
起きる出来事と自分を関連づけて、自分を非難して傷つけて、勝手に犠牲者にならないほうが人生は楽だし、あなたはただ存在しているだけで価値があるんだよ。

朝方、夢と現実の境目(夢80%:現実20%くらいのまどろみ)の中で、そんな夢とも言えないような夢の中で誰かが私にそう告げた。それにしてもいったい夢の中の人は誰だったんだろう?

私たちは自分の身の回りに起きる出来事に反応して生きている。だからこそ〇〇〇〇さえこうなれば△△△△できるようになる、と思ってしまう。
ステキな彼氏(彼女)さえできれば幸せになれる、10億円あれば幸せになれる、とか。周りの出来事に反応しながら、良い悪いを決めている。
しかし起こる出来事はすべて自分の意識の反映でしかないし、良いも悪いもなく常に中立な出来事が起きている。確かにそれを受け取る自分の意識が勝手に意味をつけているだけのことなのだ。

わかりやすいのでコロナを例に取る。コロナという疫病が世界で流行している。発端がどこであれ、疑いようのない事実として世界に蔓延し、それぞれの国がそれぞれの措置を取り、それにともなって個々人も対応している。
コロナが蔓延したということに特に意味はない。物事に意味づけするのは、実は個々人や社会の置かれた状況でしかないのだ。個人の都合、社会の都合によって、起きた状況に勝手な定義=意味づけをするだけなのだ。

起きる出来事はすべてニュートラルにできている。個人レベルの話で言えば、彼氏/彼女ができないとか、お金がないとか、上の写真のカラスを見るとどういうふうに感じるとか、状況やモノそれ自体にはまったく意味はない。ただその状況がそこにある、そのモノがそこにある/いる、というだけである。
しかしそれを個人の心を通して見てみると、その出来事には必ず意味=学びがあるのだ。それは内側で自分が信じていることの反映である、という意味があるのだ。

彼氏/彼女ができない、お金がない、という状況が起きる心の内側には、その問題が解決してしまったら不都合になってしまう理由があるのかも知れない。満たされない想いが満たされないという状況を、愛されないという想いが愛されない状況を、不十分だという意識が不十分という状況を生み出しているのかも知れない。
カラスを見て不吉だと思うか、かわいいと思うか、好きだと思うか、嫌いだと思うかは、過去に自分が見聞きしてきたことや感情をなぞっているだけに過ぎないのだ。
起こる出来事はすべてそれ自体は中立で意味がないことなのだが、それを感じ取る人間の心にとっては、すべてがその人の信念=定義の反映であり、それを知る上では意味があることなのだ。

意味のないものに「自分が」意味づけしている。意味のないものを自分の心が意味あるものとして生み出している。何のために? それはすべて「真の自分自身(真我)を知るため」である。

もしかしたら、起きる出来事はすべて最初から計画されているのかも知れない。何もかも忘れて産まれてきているが、もしかしたら人生の地図には事細かく、起きることを設計しているのかも知れない。
もしそうだとしたら、あなたはどうやって今を生きるだろう?
私は自分の身をもってそれを実験してみよう、という気持ちになった。
起こることに対してあまり反応せずに、まるで他人事のように客観的に眺めてみるということだ。好都合だと思えることも不都合だと思えることも、両方ともだ。それは執着しないということにも繋がるし、ハワイのホオポノポノにも通じるものだ。

そう決めてから、無駄な力が抜けた。無駄な心配をしなくなった。無駄な期待もしなくなった。嬉しいな、困ったな、という感情(反応)は湧き起こるが、その感情にハマることなく流してしまう。するとおもしろいことに、残る感情はすべて「おもしろい」に変換されるのだ。
これはワクワクしている感覚に近いのではないかと思っている。起こる出来事を客観的に眺められるようになると、次はどんなことが起きるんだろう、とワクワクした気持ちになってくるのだ。好都合なことも、不都合なこともすべて体験でしかない。おもしろいなぁ、と客観視できる状況じゃない現状だけど、今はとても人生を客観視することがおもしろいのだ。

起こる出来事には何も意味はないが、起こる出来事すべてに自分の意識は必ず勝手に意味づけをする。だとしたら、いったい自分はどう人生を創造していきたいのか。どういう自分自身でありたいのか。私が信じるものを変えることができるのは私だけである。誰が何と言おうと。
自分の人生を再定義するタイミング、今の自分が気に入らないのであれば、定義し直した自分を生きられるボーナスタイムが今というタイミングだと思う。風の時代にふさわしい軽い私を生きよう。
今までがどうであろうと今現在がどうであろうと、今この瞬間の私自身の世界を生きられるのは私しかない。それを変えられるのも私しかいない。私はわたしの意識の世界しか生きることができないのだ。
周りの出来事を勝手に意味づけして解釈しているのは私自身なのに、それに右往左往したり一喜一憂したりと、自作自演の人生に振り回されている。
本当におもしろいよね、人間って。

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