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ハワイの伝説の小人族『メネフネ』。

日本の神話にはスクナビコナ、アイヌ神話にはコロポックル、白雪姫に登場するドワーフ、『ロード・オブ・ザ・リング』で登場したホビットなど、世界には小人族の伝説が残されている。ハワイも類にもれず『メネフネ』という小人族の伝説が残されている。

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メネフネは普通の人の半分ほどの背の高さしかない小人族として、ハワイの様々な伝説に登場する。彼らはハワイ諸島全体に広がったが、神話や伝説にはカウアイ島が最も多く残っている。
彼らよりも後の時代にハワイ諸島にたどり着いたポリネシアの移住者が、メネフネたちをビッグアイランドからマウイ島、マウイ島からオアフ島へと、徐々に追い出していき、結局、大きな島としてはハワイ諸島の北西端に位置するカウアイ島にまで追い出され、この島に集まってしまったのではないかと考えられている。

さらに一部のメネフネは、彼らが住んでいた証拠として、石器や石像、多数の雛壇状の土地が発見されたことで、ハワイ諸島よりさらに北西に位置する小さな島、ネッカー島へも移っていった形跡も残されている。

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彼らは道路や用水路をはじめ、ダムやヘイアウ(日本の神社のような場所)などといった大きな建造物まで、わずか一晩で造り上げてしまう卓越した技術と知識を持つ、超人的な職人集団として数多くの伝説を残している。
彼らの特徴的な作業方法は、石を調達する場所から建設現場まで長い二列を作り、手渡しで石を運ぶというもの。事前に綿密な計画を練り、チームワークの良い集団でした。
彼ら性格はとてもシャイで、人目につくことを嫌うため、陽が沈んで暗くなってから仕事を開始し、朝に鶏が鳴きはじめると仕事を終わりにしてしまうが、ほとんどの建造物は一晩で完成してしまうのだ。
一晩で完了しない仕事は、たとえそれが途中であっても二度と手をつけることはなかったようだ。なので彼らが造った建造物の中には未完のまま、中途半端で終わっているものもいくつか残されている。

代表的な建造物としていくつか紹介する。

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こちらは、メネフネフィッシュポンド。ハワイ語でアレココと呼ばれる。
隣のフレイア川から水を引いて作ったと言われている養魚池だ。

アレココは、約1000年前、メネフネによって一晩で造られたと言う伝説が残っています。
カウアイ島のチーフのアレココは、2つの池を造るように要求しました。ひとつは彼のため、もうひとつは彼の妹ハハーハールアのためにです。メネフネは池を造るのに同意しましたが、ひとつだけ条件を出しました。それは仕事が終わるまで決して建設現場を見ないように、ということでした。
その夜、さっそくメネフネは仕事にかかりました。堤防を建設するためにワイメアのマカヴェリ採石場から25マイル(約40キロメートル)にも渡り、何千人ものメネフネが二列に並び、次々に堅い溶岩を手渡しで運んでいきました。ゴツゴツとした溶岩で、彼らの手は擦り傷だらけになり、誰もが手が血でにじんでいました。
アレココは現場を覗き見たいという衝動に耐えられず、彼らの忠告を破ってしまいます。すると、メネフネはすぐに仕事を中止して、血で赤く染まった手を川で洗い、立ち去ってしまいました。池の一部の壁だけ他の違い、後に増築されているのはそのためだといわれています。

拙書『癒しのパワースポット ハワイ・カウアイ島編』より記事を抜粋。

同じくカウアイ島にあるメネフネ用水路。ハワイ語でキーキー・ア・オラ。

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かつてカウアイ島がオラ王によって統治されていた時代のこと、普段は多雨で知られるカウアイ島に雨がまったく降らずに大干ばつが起こりました。ワイメア川の水位もどんどんと下がる一方で、このままではタロイモ畑が枯れ果てて収穫できなくなってしまうという非常事態に陥ったのです。
オラ王は、なんとかしなくては大変なことになると、部下たちを集めてワイメア川が流れる山の源泉から直接水を引くことができないだろうかと相談を持ちかけました。しかし部下たちも、そうすればいいことを知りながら、いったいどうすればそんなことができるのか検討もつきません。オラ王は夜も眠れず、食べ物も喉を通らないほど、心配する毎日でした。
ある日のこと、メネフネの王がオラ王を訪ねてやってきました。
オラ王はメネフネ族が超自然的で、神秘的なパワーを持っているということを良く知っており、羽のマントと、羽の王冠を身につけているメネフネの王に、なんとかワイメア川の源からタロイモ畑に水を引くことはできないだろうかと、平身低頭で水路作りを依頼してみたのです。
するとメネフネの王は2つの約束を守ってくれるのなら、タロイモ畑に水を引くための水路を造ってあげましょうといってくれたのです。
まずは、仕事をしている夜間は物音を立てないようにすること。次に、仕事をしたメネフネ全員に行き渡るように、たくさんの魚を用意することでした。
さっそくオラ王は、住民たちに、夜間、家から出ないように伝えることはもちろん、鶏が鳴かないように静かにさせ、犬にも口輪をつけて吠えないように命令しました。
オラ王は快くその約束を了解したものの、やはり心配でその夜は眠れませんでした。
明朝、人々と一緒に山の麓に出かけてみると、なんと、一晩の間に長い用水路が完成していたのです。これでもうタロイモ畑の水の心配をしなくて済む、と農民たちともども大喜びしました。
さっそくオラ王は約束通りたくさんの魚を用意するように人々に命じます。メネフネたちは、魚よりもエビ(オパエ)のほうが好きだということを知っていた王は、何百万匹ものエビを用意させました。
夜、オラ王はメネフネの功績をたたえて大宴会を催しました。あれだけ大量にあったエビもあと2匹を残すだけとなると、1匹をメネフネの王が、もう1匹をオラ王が取りました。そのとき、メネフネの王が、水路はオラ王のものであると宣言し、キーキー・ア・オラ(オラ王の用水路)という名前が付けられました。

拙書『癒しのパワースポット ハワイ・カウアイ島編』より記事を抜粋。

いまなおミステリアスな伝説ばかりが残り、真相は謎に包まれていますが、メネフネの正確な起源を巡ってはいくつかの興味深い話が残っている。

「メネフネ」という名前は、古代タヒチの人々がハワイへ移り住んできたときに、先住者であったマルケサスからの移民者に対して「メネフネ」名付けたのだという説がある。
身体が大きく、力が強かったタヒチの移民者が、力でねじ伏せて彼らの居住地をカウアイ島のワイメア渓谷へと追い込み、重たい石を運ぶなどの過酷な仕事ばかりをさせるなど、隷属的な扱いをしていたのではないかと言われているのだ。

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メネフネという言葉に似た「manahune(マナフネ)」は、タヒチ語では嘲笑的な意味合いを持つ「平民」(実質的には「奴隷」)という意味にも解釈できるため、彼らの名前はその言葉に由来しているのではないかと推測されているのだ。
マルケサス諸島からの移住者であったメネフネは、普通の人に比べてとりわけ身体が小さかったということではなく、当時の社会の中で彼らが身分の低い部族として扱われていたという状況を、小人神話になぞって訴えたかったのかもしれない。彼らが実際に存在していたということはみずからの手で造られた壁や石に彫られたペトログリフによって証明されると言われている。

ポリネシアの血筋を持つ彼らは、荒々しい海を渡って最初にハワイにやってきた誇り高い名誉ある民族であり、かつては5万人以上のメネフネがカウアイ島に住んでいたと伝えられている。
しかし次第に彼らは人目を避けるようになり、姿を消してしまったのだ。
1800年代前半の国勢調査では、カウアイ島の北部沿岸にあるワイニハという街に住んでいた65人が「メネフネ」として登録されていたことが確認されている。この時の国勢調査がメネフネの存在を公式に伝えている最後のものである。謎の多いハワイの小人族メネフネだが、ハワイでは今も愛され水のブランドにもなっている。

ハワイでは誰もが知っている有名な小人たち。先日の虹の話でも虹の色を集めたりとチャーミングな伝説もある。ハワイのメネフネ伝説はたくさんあるが、そのどれもがハワイの聖地との繋がりが深い聖なる存在なのである。

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