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自分を生きること。あなたは誰かに認められるために生まれてきた訳じゃない。

この人は凄いなぁ、って思う人がいる。
だからと言ってその人のようになろうとはまったく思わない。
この人みたいに凄くはなれない、と相手を上げて自分を下げているということではない。ただ自分であれ、と思い直すきっかけを与えてくれるのだ。
この人は凄いなぁ、と私が思うのは、自分の本質を知り素直にその本質を生きていると感じる時だ。周りがどうであろうと、自分が自分であり続けている、自分自身と一致している、と他者を見て感じる時にその人の凄さを私は感じるのだ。

メンターや目標とする人がいる。それはそれでいいと思う。
しかし人間は神ではない。その人の言うことを鵜呑みにするようなことはしなくていいと思っている。
その人はその人の人生の中で、自分が自分の本質を生きるために気づいたことを、ただ人にも良かれと思ってシェアしているだけだと感じている。
土の時代から風の時代へ移行する。三角形のピラミッド型の組織ではなくなる。誰かひとりをカリスマ的に崇める縦社会から、ユニークな人と人との繋がりですべての個性を尊重する横社会への転換期にきている。
ただフラットに物事を見る目を、自分にとっての真実かどうかを見極める目を、私は持ち続けようと思っている。それが自分の人生の成功において回り道だとしても、失敗やミスを重ねながら生きていくことを選択していきたいと思うのだ。

誰もが本当の自分になること、自我(エゴ)ではなく真我(本質)と一致して生きることを目標に誰もが生きている。
誰か信頼する人の言ったことを試してみるのは確かに必要なことだが、それが自分にとっては楽しくないこと、ワクワクしないことだとしたら、それは自分にとっての真実ではないのだと思う。
メンターや目標とする人、また自分が憧れる人がいるのであれば、その人の生き方、考え方のどの部分に自分が共感するのかを追求してみるといい。
そこに真我(本質)を生きるためのヒントが隠されている。

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「自分は愛されていない」「自分は足りない」というふたつの意識が、実は本当の自分(真我)を生きることができない根本的な原因だと言う。
しかしこの世に生まれた時点で、あなたは100%愛されているし、100%足りているのだ。全体を作るあなたというかけがえのない存在なのである。

もし人生に迷いが生じたならば、自分自身というこの世で唯一無二の尊い存在を受け入れることから始めて見ること。「私は既に愛されているし、十分に足りている」という大前提の立脚点の意識を自分自身に植えつけること。
誰が何と言おうと、今既に存在しているということが、尊く神聖で愛され価値があるという証なのだということを自分に再インストールし直すことだ。


誰かの言うことを鵜呑みにするのではなく、自分の心に問うてみる。周りはいろいろと言うけれど、この人はこう言うけれど、自分はどうしたいのか?と。この人の生き方、考え方は素晴らしいと思うけど、いったいどこが素晴らしいと感じるのだろうか? と。
共感できる、憧れる、ということは自分にもその要素があるということだ。心地よく感じられるその共感ポイントを見つけて自分にもインストールすればいい。
自分にとっての真実を生きるとはそういうことだ。決して誰かに全面的に迎合することではなく、エッセンスだけを抽出していくことだ。
誰かの声に自分の真実を消されてはいけない。自分など大したことないなどと否定してはいけない。自分をあきらめてはいけない。

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再度言うが、あなたは今既にこの世に存在している時点で、尊く神聖で愛され価値がある人間なのだ。世界はあなたなしでは成立しない。あなたを通じて繋がれる人がいる全体を作るパズルのピースのひとつなのだから。

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