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モヤッとする先にある大きな気づき。無意識の無価値観からくる不自由な世界。

自分の価値というものをずっと考えていた。
そのためにいろいろな知識を身につけ、さまざまな体験をして知恵を得てきた。その結果、最終的には人は存在するだけで十分に価値がある、というものすごくシンプルなところにたどり着いた。
いろいろ経験し、学び、そのことは腑に落としてしていたつもりだった。
しかし私の奥深いところでは、まだまだ自分に対する無価値感があったのだ、と知った。そのきっかけは柳本さんの記事。
折しも、「あること」が起こり凹んでいた矢先に出会った記事だった。
そしてそこに今の私へのメッセージのような言葉が並んでいた。

そっか、無価値観というのはこういうふうに意識に働きかけるのか、とハッとした。
私の無価値観を目の当たりにした「あること」は、音声SNSのClubhouseのルームで起きた。
いつものようにルームを立ち上げた。普段だったらぽつりぽつりと人が入ってきて、会話が始まる。しかしその日に限ってまったく誰も入ってこなかった。5分経過……いまだ誰も現れず。その時、私の心の中は自己否定感が芽生えていた。そんなに価値がないルームなのか、そんなに価値がない存在なのか、そんなことが頭をよぎる。
そして10分が経過した。待っていたって誰も来ない……これ以上耐えられなくなって静かにルームを終えた。

なんだそんなこと?と思うかも知れないが、まさに柳本さんの記事の通り、自分の力でなんとかしたい、影響力のある自分でいたい、という意識(無意識)があるために、誰も来ないという状況に『私は無価値だ』というレッテルを自分で貼り付け、凹んでいたのだ。
そしてパソコンを立ち上げ、なんとなくnoteを開き、柳本さんの記事に触れた。そこには私へのメッセージが綴られていた(ように感じた)。

あまりにタイムリーな出来事に思わず笑ってしまったが、少し自分の内側に意識を向けた。
今までの私はすべてこの自分自身に対する「無価値観」ゆえの行動だったのかも知れない、と感じたのだ。
知識を身につけるのも、体験を重ねるのも、すべてが自分の無価値観を埋めたいがゆえの行動だったのではないか、と思うようになったのだ。

人に貢献したい、人の役に立ちたい、成長したい。
そう思う気持ちの裏には自分自身に対する「無価値観」がぺったりと貼り付いていたんだ、と気がついた。
そして、人に役に立っていない自分、人の必要とされていない自分、なんの価値も提供していない自分を、内側ではひどく責めていたのだ。

人は存在するだけで価値がある。
そのことをすっかりと忘れていた。腑に落としてなんかいなかった。
しかしこの些細な出来事を通して、大きな気づきを得たと思う。
そして本当に、人は存在するだけで価値がある、という意識に、今一度、向き合うことができた。なんだかふっと、心が軽くなった。

このタイミングでこうした出来事が起きたのは、きっと運がいい。
自分を制限するその外側にある世界に、一歩近づいた気がする。
力抜いてリラックスしてもっと世界を楽しもう。今を生きよう。

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