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ハワイ、レムリア、縄文。いまこそ取り戻さなくてはいけない神聖なものとは?

久しぶりにハワイのことを綴ってみたい。
というのも、ハワイに関するふとした閃きみたいなものを受け取ったからだ。
フラやロミロミほか、ハワイの文化に携わるようになると、太平洋にぽつんとある小島ゆえのユニークな文化や哲学、地理的特性、歴史的な成り立ちなど、さまざまなことを学びたいという欲求が生じてくる。
その地を訪れた多くの人を虜にしてしまう圧倒的な自然の美しさや言葉にできないような感覚に魅了されるからだろう。
多くの人を魅了するがゆえ、ハワイのあらゆるものはコマーシャライズされている。代表的なものはフラ。ハワイ独自の文化であるフラは世界的に知られ、コマーシャライズされている。
ホノルルマラソンもそのひとつだろうし、良い悪いは別にして、ほかの国にはないだろうが、ハワイスペシャリスト検定などという資格試験まである。もはやハワイを知っている(いったい何を「知っている」というのかはわからないけど)ということはひとつのステイタスのようである。

私もかつてハワイの島々の聖地を訪れ、そこの謂れや漂っているエネルギーなどを伝える本を長い取材を経た体験をベースにして書いた経験がある。
そして類に漏れずハワイを知った気になった愚か者のひとりでもある。
いま私たちが知り得るハワイの文化は、イギリスの海軍士官、海洋探検家であるジェームス・クック(通称キャプテン・クック)が西洋人として初めて来島して以降、ハワイが西洋諸国に知られるようになり、キリスト教の布教活動を理由に西洋人が入ってくるようになり、それまで文字を持たなかった民族に文字がもたらされ明文化されて伝えられたものである。
その明文化して伝えられた左脳型(思考優先)の文化や哲学を、私たちは学んでいる。
それが決して悪いことではないし、ハワイを深く知るうえではとても大切だし必要なことだと思っている。
がしかし、昔からなんとなくその思考的学びが心に引っかかる感じがしていたのも本音だ。
「本当のハワイ」「リアルハワイ」などという言葉でたくさんの人たちが「本当の」ハワイというものを伝えようとしている。

冒頭で伝えた「ふとした閃き」というのは、本当のハワイなど誰も伝えることはできないということであり、本当のハワイなどという言葉である種限定的に定義されてしまうものなどないということだ。

ハワイの言い伝えや神話はひとつに限定することを嫌う。嫌うという言葉は正確ではないが、さまざまな解釈がありさまざまな説があって、日本人的思考からすると「どの説が本当なのか」と問いたくなるが、ハワイアン的解釈からすると、「どれもが真実」という日本人的感覚からすると矛盾が生まれる。
文字がない文化だったことから、さまざまに言い伝えられ、さまざまな解釈が生まれ、そのどれもが真実として伝えられたのだ。
私はそのことをあまり深くは考えずに、まぁそういうもんだよね、と受け流してきた。
しかし、ふと最近の世の中の流れをよくよく見てみた時に、「本当のハワイ」という今まで見えていなかったものが浮かんできた気がするのだ。それこそが、閃いたこと、なのだ。

心の奥深くで感じること。

ただ感じるではなく、ハイヤーセルフと繋がること、自然のメッセージを受け取れる鋭い感性を甦らせること。
それこそが「本当のハワイ」であり、ハワイ文化の本質であり、ハワイの真の哲学なのだと思うのだ。
決して言葉などでは伝えられないもの。それが「本当のハワイ」の姿ではないだろうか。
私たちがハワイに行った時の感覚を正確に伝えることなどできない。それは個々人が個々人の感性でハワイが持つ独特の空気感をとらえ、そのなんとも言葉にはできないものを個々人の心に満たしているのだ。
それを古代ハワイアンは当たり前にやっていたのだ。西洋人が入ってくるまで文字がなかったというのもそれ故のことだと思う。
つまり左脳感覚ではなく右脳感覚こそがハワイだからだ。
それはおそらくレムリアとか縄文というものにも通じるものなのではないだろうか?
左脳型の物質文明、物質主義が極まり終焉を迎えようとしている今、右脳型の精神(魂)文明、精神(魂)主義が目を醒まして世界全体を変容させようとしている(と感じる)。
混沌として今までのような唯一の限定された真実などなくなってしまっている今こそ、ハワイがずっと伝えていた人間にとってとても大切なことを甦らせる必要があるのだ。
しかし思考を働かせることが当たり前に癖になってしまい、心で感じて見えないものと繋がる感覚を見失って久しい私たちは、遥か遠い昔に当たり前に持っていた人としてのあり方を取り戻せるのだろうか?
もはや世界全体が崩壊して(この世の終わりが訪れて)リセットされなくてはいけない極限まできているようにも感じられるが、それを避けて物質精神ともにバランスよく豊かでありながら世界が永続していくことを願うばかりだ。
本当のハワイを伝えるなんて、なんて傲慢だったんだろう。ハワイの哲学、文化を伝えるなんてそんなこと誰にもできるはずがない。
言葉で伝えられるような表面的で深みのないことなどに真実はなく、真実は誰も言葉で表現できない個々人の心の中に宿る神聖なものなのだと、今の私は感じている。

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