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どれだけ自分の好きや好奇心に従って生きられるか。

好きなことを見つけるのに大事なことは好奇心だ。無意識に心惹きつけられるもの。
世界が未知のものであふれかえっていた子どもの頃は、好奇心を刺激されるものでいっぱいだったはずだ。
それゆえに日々ワクワクして過ごしていたし、何かをじーっと見つめてみたり、同じことを何度も飽きることなく繰り返していたり、他の人が持っているものがたまらなく欲しくなってみたりしたものだ。
夢中とか没頭という言葉を体現しながら過ごしていたから今この瞬間を生きている。一日があっという間に過ぎてしまう割には、とても長い時間にも感じられる。時間を超越した時間を生きている感覚。そもそも時間なんて時計さえ見なければ意識することさえない。
幸せとか平和とか、ありとあらゆる望む感覚がギュッと詰め込まれた至福の時空間がそこにはある。

さて今現在のあなたはどうだろう?
人は成長し年を重ねていくと子どもの頃のような未知のものが少なくなってくる。知識や体験を積み重ねていくうちに、そして周りからさまざまな制限をかけられていくうちに、行動はルーティン化し、同じような感性感覚を持った人たちと交流し、新しいことをやることが億劫になっていき、自分の世界はある一定の枠の中にしかなくなってきてしまう。当然、心が震える刺激的なことも少なくなってしまう。
でもわたしにはその世界がとても楽しい、というのであれば特に問題はない。
自分の置かれている環境が、つまらない、我慢し続けている、ねばならない、キツい……など、どんよりした環境なのであれば、変えていったほうがいいよ、と思う。
でも、とか、だって、とかいろんな言い訳が飛んできそうだけど、あなたにとっても、家族にとっても、あなたの周りの人たちにとっても、あなたがその波動を出し続けていることはいい影響にはならない。

もしかしたら一時的にある期間孤独になるかもしれない。しかし自分らしく生きるのはそんなことよりもっと大事なことだ。
無理して人と付き合っていたり、無理矢理スケジュールを埋めようとして本気で行きたくもない予定を入れるのは本当の自分に近づくことを遅らせてしまう。
仕事も同じだ。給料がいいからという理由だけであまり好きではない仕事をやっているのなら、その波動は周りに伝わっている。同時に自分も四六時中その波動を感じ続け、自分の内側を無意識に害していることになる。
AIが生活の中に入ってきたこの時代、義務感ややらされてる感で仕事している人は、好きでやっている人には絶対に勝てない。
昔に比べて、気配やムードのような見えない空気感、人が無意識に発している感情など、人は敏感に感じ取れるようになってきている。
感覚が繊細な人はなおさらのことだが、そうじゃない普通の人でさえ、以前に比べて感じ取りやすくなっているのではないかと思うのだ。

自分の好きや好奇心に従って生きること。
それが自分を愛するということに繋がるし、自分らしく生きることに直結していく。
同時にその波動は周りにも伝わり影響し、自分にとって理想的な世界を構築し始める。
幸せとか豊かさとかの本質は、結局のところ、好きや好奇心の先にある感覚的なものだ。
年収がいくらとか、どんな家に住みどんな車に乗っているとか、マスコミが煽り立てそれが幸せとか豊かさのカタチだと妄想を押し付けられるような数値化できるものではないと感じる。

先の記事『わたしたちはどう生きるか。』にも書いたが、ひとりひとりが感じ見ている世界は本当に人それぞれ違う。

あなたもわたしも唯一無二の世界を独自の視点で展開している。人と共感してわかるなぁと感じる感覚さえも人のそれとは違うのだ。
そもそも違う世界を生きているし、世界の創造主は自分以外にはいないのに、誰に遠慮する必要があるのだろう?
他者との関わりは必須だが、恐れることなく誰と一緒にいるかは自分が選んでいい。離れならない関係の相手なら、居心地が悪くなくなるまで気持ちの距離を置いていい。
人が良く、優しい性質を持つ日本人ならではの感性を他人に支配されないように、自分の好きや好奇心に従って生きること。
本当に本当に、これからは大事になってくるはずだ。

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