見出し画像

わたしたちはどう生きるか。

すさのわさんの記事に心の奥が敏感に反応しました。

『余白が必要です』というタイトルは、わたしが常日頃思っていることで、タイトルだけでも惹き込まれるのですが、何より内容がなんだか似たようなことを感じているのだなと、ただうなづくばかりでした。

いまだかつて体験したことのないパラダイムシフトの渦中で、わたし自身も含めて、感度のいい人たちは彷徨い歩いている。
今までとこれからを何か変えていかないといけない感覚を心の奥で感じながら、自分の世界を再構築させようとして葛藤している。
まるで昔書いた自分という名前の小説を読み返し、なんか時代にそぐわないなと感じて加筆修正している感覚。

価値を回さないと、生きていけない。だから価値の回っているところに飛び込んで行く。
そして、その先に人間関係が待っている。

『余白が必要です』より

すさのわさんのこの文章、まさにわたしが葛藤していることの本質なのかなと感じた。
本当にそうなのか?本当にそんな無機質な世界に生きなければいけないのか?という想いが拭いされずに、なんだかなぁ…と感じていた。

集団の中で生きていかなくてはいけないという人間本来の生存本能があるからこそ、どこに行こうと見られていて数値化される現代社会に心揺さぶられてしまう。
外の世界に合わせようと必死になって、本当の自分からはかけ離れた自分を演じてそれを自分だと錯覚させたまま、なんだかわからない見えないプレッシャーの中に生き続ける。
まるで動物園の檻の中の動物のようだなと感じてしまう。

おそらくこれから大事なのは、自分を外の世界に合わせるのではなく、自分を自分の内の世界に合わせて生きていくこと。
周りの目という幻想を捨てて、もっと本質的な自分と繋がりを強くしていくこと。
だから余白が必要になってくるし、今まで以上に本質的な自分を知っていく必要がある。
世界の中にいるわたしのように感じるけど、自分の意識が自分の世界として投影されているという感覚をもっと確固たるものにしていく。
意識そのものを反転させていくという、自分が世の中を見る意識そのものを変えていくことが必要だろう。

もちろん今までの世界に留まる人もいるだろう。それはそれで構わない。他人がとやかく言う必要はまったくない。
一方でシフトチェンジしていく人たちも増えていくに違いない。
そういう意味で二極化していき、同じ地球というフィールドの中で、まったく違う世界線を生きる人々ができてくるのだと感じる。

自分が本当に心躍るもの、無意識に惹かれるもの、時間を忘れて子どものように夢中になれるものは何なのか。
余白の中に自分を感じる(観じる)時間がとても大事なタイミングです。

きっと世界はどんどん進化(何を基準にして進化と呼ぶかは人それぞれですが…わたし的には退化かも?)していくことでしょう。
現実とバーチャルの区別がつきにくくなってくるでしょうし、現実が嘘になり嘘が現実になることさえあるかも知れません。
今までは隠されていたことも明るみになっていくこともどんどん増えてくるはずです。
外の世界はものすごい数のカメラの目に晒されてナントカ保護法とかなんて意味がなくなるような監視管理されていくかも知れません。
そんな時代の流れに自由を感じるのも、不自由を感じるのも、すべて自分の世界を見る目に依存されていきます。
まさにカオスな世の中でいったい何を信用すればいいのか、周りに合わせて生きてきた人にはものすごく生きづらい世の中が訪れる気配がします。

本当に繋がるべきものは何なのか。
本当に自分が望むものは何なのか。

世界というのは自分の意識がとらえたもので、誰にとっても唯一無二の世界なのだと、自分を解放し、淀みのないありのままの自分を感じることが大切だと感じています。

最近のジブリ作品『君たちはどう生きるか』という今の時代において大きな問いかけに答えを出すのは自分しかできません。
あの映画を観た人が何をどう感じるかは本当に人それぞれですし、同じものを観ていても感じる感覚、感想は全然違うはずです。
答えも方向性も何を伝えたかったのかもわからないような、人それぞれの感性感覚に委ねられる作品が、これからの時代を象徴しているのではないでしょうか。
『君たちはどう生きるか』という問いかけに、『わたしはどう生きるか』を考えさせられる今を生きています。

もし気に入っていただけたましたらサポートお願い致します。クリエイターとしてさらに上を目指して頑張ります!感謝!!