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感じる心を育む。ALOHAで生きる。

自然の豊かさは地球上に生きるすべての存在が喜びのうちに共有するもの、それが愛=アロハの概念だ。古代、ハワイでの生活は自然との共存であり、人間の力でコントロールできない脅威の対象でもあり、同時に恵みをもたらしてくれるありがたい存在でもあった。古代ハワイアンの生活そのものは神々への祈りを中心に動いていたのだ。おのずと自然崇拝(アニミズム)の信仰となっていったのは自然な流れだったのだ。

自然崇拝はすべてのものの中に霊魂が宿っているという考え方で、古来、日本では「八百万の神」として、山、川、巨石、巨木、動物、植物などといった自然物、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取っていた。この感覚は今日でも「神道」の根本となるものだ。

自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。
古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、自然を崇敬するようになった。この自然に対する人々の気持ちが「神」とか「精霊」と呼ばれるようになったのだと思う。

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日本人は一般的に宗教を嫌う。
それはきっと唯一絶対の存在に日本人としてのDNAが無意識レベルで抵抗感を感じるからではないだろうか。

しかし宗教を嫌う日本人にも信仰心はある。
つまり神は至る所に存在するということを無意識に「感じる」からだと思うのだ。

古代のポリネシア人も同じだ。
ポリネシアでもっとも重要だと考えられていた崇拝の対象は、クー、タネ、ロンゴ、タンガロアと呼ばれる四大神だった。
少し表現が変わるがハワイの四大神の名前は、クー、カネ、ロノ、カナロアと呼ばれている。
四大神は「カヒキ」と呼ばれる場所からハワイへとやってきたと伝えられている。カヒキとは一般的に「異国の地」を意味するが、「タヒチ」を指すと言われている。古代のハワイにおいて「k」と「t」の発音が曖昧だったためだろう。

19世紀のはじめにカメハメハ大王がハワイ諸島を統一し、彼が逝去するまでは、四大神をはじめ、八百万の神々、精霊、祖先霊が信仰されていた。神々や精霊に祈りを捧げる聖地として「ヘイアウ」と呼ばれる神殿も建設されていた。

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しかし古代ハワイの信仰はヘイアウを舞台としたものだけではなく、もっと深く人々の生活に根ざしたものだったのだ。
一般の家屋にも「ポハク・オ・カネ(創造神カネの石)」と呼ばれる大きな石が据えられているのが普通だった。この石の周りには通常、ティーの木が植えられ、もっぱら男性の手で豊穣の祈りなどが捧げられていたと言う。

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そのほか、漁の神を祀るもの、航海カヌーの安全を祈るもの、道祖神のようなものなど、さまざまなかたちで祈りが捧げられていたのだ。
いずれもその中心にあったのは「ポハク(石)」であり、古代ハワイの人々が、マナ(霊力)が宿る場所として、いかに石を大切にしてきたかが伺えるのだ。

アニミズムとは考え方ではなく「感じるセンス」だ。
アニミズムとは「敏感過ぎる感受性の証」なのだと思う。
感受性が敏感な日本人、ハワイアン(ポリネシア人)。
日常生活で触れるものすべてのものに神が宿っている。そう思える感性こそが、神々とともに生きている、生かされている、という謙虚な心を育み、優しさや心配り、大きな意味での愛を育むものだと思うのだ。

本来の民族的な性質として「感謝する」気持ちが随所に芽生え、自然と調和し、人に対しても和の心を持つ穏やかさにも通じるのだと思うのである。
しかし最近は、その心も薄れてきたのではないかという出来事も多いように感じている。自然に触れること、日本人としての感性を取り戻すことがとても大事に思える。ハワイに学ぶことはまだまだたくさんあると感じている。

違うところを探すのではなく、同じところを楽しんでほしい
珍しさで写真を撮るのではなく、懐かしさでその景色を見てほしい
新しいことにだけ興味を持つのではなく、古いことにも耳を傾けてほしい

このメッセージは心に染みる。ぜひ一度見てもらいたい。
私もずっとずっと伝えたかったことだから。

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