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「書く」についての考察

大前みどりさん「書く」をめぐるインタビューセッションに参加した。書くことにまつわる自分の中のエピソードを語ることが中心なのだけど、みどりさんという聴き手を通じて深まっていくことがとても興味深かった。

コロナをきっかけに始めたnoteが、6月の終わりから止まっている。理由ははっきりしていて、note以外の場所で書くことが増えたからだ。あと正直なところ、ちょっと飽きた、ということもあります。…なんだけど、みどりさんとの対話を通じて、「書く」ことが自分の「核」でもあるなぁと思い、noteを再開してみようかなぁと思えるようになった。

インタビューセッションの最後に、「書く時間」を頂いた。みどりさんとお話しするうちに自分の内側でほわほわとかたちになっていた言葉を、その時間を使って残すことができた。「やそりえ」を表現するのに、この文章はとてもいい。すごく気に入った。そんな言葉を残す機会をくださったみどりさんに感謝しつつ、ここにもアップしておく。

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「書くことは生きること」と最初に言ったのか、と、それほど書くことは私にとって大切なことなのかと、少し驚いた。
でも確かに、これまでずっと書くことと共に生きてきた、とも言える。

書いているとき、何を考えているだろう?
いつか読むことを前提に書いているのはたしか。
そして、読み手が読んだときに必要な気付きや励ましとなることを願っているふしがある。
想定している読み手は自分であることがほとんどだけれど、母・妹・親友・娘を想定することもある。
性別は女性で、自分と共通する部分のある…要は自分の延長線。
広い意味では、やはり自分に向けて書いている。

自分で書いたものを読むこと、そして読むことを前提にまた書くこと。
この繰り返しで自分について理解してきた。
自分の経験を反芻し、その集大成である今の自分を感じること。
書くことは、自分を確かめる手段だ。
変化してきた…そしてこれからも、今も、変化していく自分をとらまえるために、書く。
なぜ自分を探求するのか?
それは自分について探求できるのは自分しかいないから。
この世界に生きる自分という存在を認知し、解析し、手触り・肌ざわりを感じることができるのは自分だけなんだから、生きる限りするべき仕事だと思っている。

経験することは、というか、経験することこそ、自分を確かめる手段。
淡々とした毎日も、思いがけないネガティブな出来事も、喜びも、味わうために経験する。
そして、経験したことについて書く。
どんなふうに味わったのか、そこにはどんな自分が現れているのか、そしてそこで消化したものが何にどう繋がっていくのかを、自分と共有するために、書く。
書くことで、助けられているというのか。
書く・読む、の繰り返しで自分を確かめてきた結果、書かなくても自分を確かめる筋力がついてきた気もする。

経験の一つひとつは、それが自分の血肉だと思うととても愛おしい。
自分に「母性に溢れている」と感じる瞬間があるとすると、それは自分の経験に対するときだ。
自分の一部分として、「ありがとう」と思うし、どんなものよりも大切な宝だと感じる。
(娘は大切な存在だが、彼女に対する愛おしさは全く別の種類のもの。
 私という存在は、彼女が彼女自身を探求するための、材料のひとつだとわきまえている。)

書くことはメッセージすること、言葉を贈ること。
言葉は、わたしにとって他のどんなものより美しい贈り物。
だから日記を書くことは、自分にプレゼントをし続けているようなものかもしれない。
最近はnoteにそれが置き換わっていたが、書けていないことが気になっている。
たぶん、学生や研修で関わった新入社員へ言葉を綴るのにエネルギーを使っているからだ。
誰かに対して書くときは、とても集中する…全身全霊で書く。
自分で読み返すことはないから、今できる一番適切な表現でメッセージしたい。
でも、書ききった後は、すがすがしい。
何の思い入れもなく手放して、(例え読み返せる状況があっても)読み返さない。
それは、自分の言葉は単なる材料であり、その人にとって必要なら使われるだろうと思うからだ。
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セッションで語った内容は、みどりさんがまとめて下さっている。

インタビューで語ったものを、みどりさんがリライトして(順序や内容を整理して)まとめて下さった、このストーリーを読んだときの幸福感は忘れられない。自分で書いたもの以上に、何度も繰り返し読み直したいと思う、愛着を感じる文章。息苦しいくらい、私の価値観が詰まっていて。

中でも、気に入っているのはこの部分。

「書くことは(その人の)責任」という言葉の意図は、自分に対して誠実であれということ。自分の身体とともに、死なずにここまで生きてきたんだから、いろんな経験をしてきたはず。「(自分について)書くことがない」と言われると、そういう自分に対して失礼じゃないかと思う。

※本文に言葉を補いました

セッションで行うことは、書くことにまつわるエピソードを語り、みどりさんが聴き、書き留めてくれた文章を読んで対話し、また語る…その繰り返しなんだけれど、予想以上に「生きる上で何を大切にしているのか」を確かめられる、そんなセッションでした。

2020年、最も美しい時間のひとつ。

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