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仕事観

9社を渡り歩いて

9社も渡り歩いていると、よく様々な会社のスタイルに合わせてやっていけるね的な声をいただく。いや、むしろ合わせていけないからこそ、そんなにたくさん渡り歩いているのだという声をいただくこともある。
だが、私自身は所属した会社や組織に合わせようと思ったことは一度もない。かといって頑なに自分のスタイルを貫こうと思ったこともない。
ただ以下の2点を愚直に守ってきたつもりでいる。

1.コアとなるスキルは常に磨く。
2.絶対譲れないポイントを2つまで持つ。

コアとなるスキルは常に磨く

私のコアとなるスキルは申し訳ないが割愛する。仕事の詳細を開示するのは自身の職業倫理に反するからである。
ただ、スキルに関しては常に冷静に見るようにしている。その上で不足分を補う、もしくは幅を広げる、得意分野を深堀りするを意識して磨くようにしている。今のところ、不足分補強が2割、幅を広げるが5割、深掘りが3割くらいだろうか?割合はもちろん固定でなく変動する。
もう一つ意識しているのが、自身のスキルを悲観的に見ることである。スキル自体が既にレジェンド化していないか?単なるアカデミックなのものに過ぎないのではないかといった観点で自己チェックを常にしている。

絶対譲れないポイントを2つまで持つ

どちらかというと重要度が高いのはこちらである。仕事上、死守すべき基準を持つこと、多すぎず少なすぎずである。自身が覚えきれないほどの基準を定めてしまっては私自身が窮屈である。といって、何もなければ付和雷同的な言動になってしまう。なので覚えやすく、至極当然的内容で、自身の倫理観にも照らし合わせて譲れないポイントとなると以下の2つになる。

1.ルール厳守
2.秘密厳守

これ以外は「絶対こうでなくては!」といった拘りはない。しかし、逆にこの2点は一切例外を認めることもない。

ルール厳守が譲れないのは?

過去の経験上、最も頭を悩ませたのが、「今のルールが正しいか?」という議論と「ルールを厳守する」という前提が混同されるケースである。
とある会社で管理職に従事していたころ、家庭の事情で転勤を希望したメンバーがいた。希望するのは全く構わない。ただその希望が通るかどうかは別問題である。実際のところ、経営会議等で当該メンバーの転勤希望を議題に挙げたのだが、受け入れを表明してくれた部門は皆無だった。
優秀なメンバーと思っていたし、人材不足だったから、受け入れ部門はすぐに見つかると思っていた。しかし何かと周囲と軋轢を起こす言動が地理的に離れた部門にも伝わっていって、人格面で敬遠されていた。
さすがに人格面で敬遠された件は本人には伝えることができなかったが、希望時期に転勤させるのは無理と伝えたところ、大泣きされた。陰ではわからないが、仕事上、面と向かった場で、泣かれたのは初めてのケースであった。泣かれたところで、転勤や異動願いを確実に果たさなければならないというルールはどこにもないので、どうしようもないのだが、「そもそもルールがおかしい。」「戦力外通告をされたようなものだ。」と突き上げをくらった。
これは後に分かったことだが、当時の担当役員が本人に希望が通るようなことをほのめかしていたようである。結局、この役員が働きかけたことにより、半ば強引に受け入れ先が決まった。受け入れ先には非常に気の毒なことをしたと思うと同時に、ルールにないことを泣きついてでも我を通した当該メンバーに激怒した。

秘密厳守が譲れないのは?

それから、しばらくしてのことである。当時の職場で担っていた業務は限りなくマイナスに陥った状況を±0に戻す仕事が主流であった。
その中には中途入社して間もないメンバーもいた。部門が変われば、前向きな業務もたくさんある。非常に優秀なメンバーであったし、今後の状況を考えると、一時期でも部門をチェンジすることは当該メンバーにとってHappyではないかと思った。
しかし、先の転勤騒動もあり、メンバーの異動には非常に神経質になっていたのも事実。本人と面談し、意向を伝えたところ二つ返事で引き受けてくれた。最適なタイミングで異動できるよう、受け入れ部門と調整をと思っていた矢先である。

「〇〇さん、異動ですか?」
いくつかのメールが舞い込んできた。まだ正式決定ではなく、メンバーに周知できる状況ではない。なのにどこからその情報がこんなにも早く漏れたのか?私は疑心暗鬼になりながら、「誰から聞いたのか?」とのみ返信した。すると「誰からも聞いてないが、本人がブログで書いている。」と即レスがきた。ご丁寧に当該ブログのリンクつきで。
目を通すと、私との面談とは裏腹に異動に不安感をにじませる内容であった。本音と建て前は別物なので、内容の是非は別として、未確定の異動打診をブログで堂々と公開する無神経さに激怒した。

激怒したその後は?

私が本当に激怒した場合は、言葉にならず、当人を責めることは一切しない、というかできなかった。既に信用していないから、本人たちと接点を持つことさえ避けようとする自分がいた。私がまずしたことは関わりを完全に断つことであった。
うち一人は、当時mixiが流行っており友達リストに入っていたが削除した。それに対するメッセージが来たので「理由があるけど、今更聞いても互いに不快になるだけだろうし、今後関わることもないでしょ?」と返したらあっさり引きさがった。恐らく理由には心当たりがあったのでは?と踏んでいる。
もう一人との接点もほとんどない。数年前に当時の会社の周年記念イベントで顔を合わせたが、当たり障りのない会話をいくつか交わしただけに留めた。多分、今後も顔を合わせる機会はないだろうし、万一、顔を合わせても同じような対応になるだろう。

上記から既に15年近く経つ。それでも未だに譲れないポイントとなっているので、自身の仕事観のベースとなる大きな出来事だったといえる。そういった意味では、あまり拘りのなかった自身が基準なり尺度なりを持ち、継続しているのだから、当該メンバーには感謝しなければならないかもしれない。


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