インプットよりアウトプット


知識、ノウハウ取得は何のため


不定期で読書会に参加している。参加しているうちに運営側メンバーになった。運営側に携わると、課題図書を理解し以下に分かりやすく限られた時間で参加者に伝えるがポイントとなる。インプットとアウトプットの繰り返しで、より理解が促進される。今後とも継続したいルーティンだ。
SNSで見ていると、やたら様々な記事リンクをシェアしている投稿を見かける。恐らく自身の考えにフィットするからこそのリンクシェアだと思うが、
残念ながらアウトプットが皆無のため、どういったノウハウを展開してくれるのか不透明に映る。

アウトプットを重視する理由

4,5年前に遡る。ある人から営業を受けた。自身の抱える人的リソースを反映できる機会がないか?という売り込みであった。正に当時、自身が携わっていた領域であったので紹介した。SNSでもつながっていたが、相当のインプットの上、ノウハウや指針を確立しているように見えた。かつ抱えている人的リソースも10年来の知人、私の上司であった時期もあり安心しきっていた。それがそもそもの間違いの元であった。確かに豊富な知識、ノウハウは
あるものの、アウトプットが皆無なのである。既存のアウトプットを見て難癖をつけるだけ、代替案が出るわけでもなく、改善に着手するわけでもない。
要は気持ちは未だに私の上司なのである。「既に知識、ノウハウがあることは理解している。しかしこのクライアントではこういったやり方をしている
ので、まずは現状を理解して欲しい。改善点も多々あると思うので、そこは具体的にアクションを取ってほしい。」と再三伝えたが、対応は変わらなかった。
当然、本人の上である人間(要は私に売り込みをかけた人間である)にも是正を求めたが「まずは事実確認をします。」の一点張り、クライアントは次第に苛立ち、3か月で外されることになった。
その過程で気づいたことがある。要は私に売り込みをかけた人間もその配下も評論家としては、そこそこのパフォーマンスを示せるのだと。現状の事実を把握し、吸収したインプットでそれらしい提言はできるのだが、それから次の具体的なアクションを以って、クライアントに働きかけることはできないというより、経験すら有していないから分からないのである。
しかし、クライアントが評価するのはプロセスでなくアウトプット、そこが最後まで分からなかった悲劇といえる。

説得力がなく孤立化加速


アウトプットの出来云々の以前の話として、四方八方からのレビューを避けてか、抽象化した意見表明から逸脱しない人間が少なからずいる。それがその人の個性なり性格なりで片づけるのであればそれもありだと思う。しかし、そういう人間に限って、他人への不用意な突っ込みをしたがる。
自身のアウトプットがプアだけに、突っ込み自体が何の説得性もないので基本的には放置である。(SNS経由の場合であればブロックするなり友達から削除することもある。)まれにメッセージ経由で色々示されることもある。要は1対1であれば議論も可能なのである。しかし、不特定多数の中でそれなりの説得性を帯びた意見表明ができないのであれば、それは単なるひとり言である。

結局、アウトプットが全てを左右

言語系と非言語系、機能系と非機能系、定量的と定性的。。。より可視化、具体化、数値化したものが説得性が伴い、そうでないものは放置される。。。
悲しいかな、そうなってしまう。至極当然の話で、肉親に近い関係でもない限り、人格やらプロセスやら能力、ノウハウといった「どうとでも説明でき、評価できるもの」は検証のしようがないのである。検証するにも時間と手間がかかるのである。そこを評価して欲しいのであれば、名だたる評論家でも目指してもらえればよいかと。。。

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