年賀状は最後の仕事

まともな仕事に就いて初めての年末を迎えた訳ですが、仕事が忙しすぎて年賀状を書けていませんでした。
家にコピー機がないのでコンビニに一枚100円の年賀状を買いに行きました。
40枚買ったら4320円!
当たり前ですけれど、高い、、、
隣のマクドナルドで筆ペン握ってひらすら定型文と住所を書き続けて4時間かけて書き終わりました。

年賀状とは何なのか。
新年の挨拶だけでは済まされない労力。
この4時間には一切の賞与が発生しない訳です。
そんな考えを持つこと自体ナンセンスなのですけれど。
年賀状は慈善活動のようなものです。
旧友に向けてのもの以外は。

旧友に送る年賀状は心地よいものです。
普段全く連絡を取り合わない相手と新年から言葉を酌み交わす機会なのですから。
送った内容に返答がなくとも通じるし自然と頬がほころぶのが旧友というものです。
私にもそんな旧友が欲しいものです。
つまりは、現状は慈善活動であります。
言葉を交わしたことの無い相手に送る年賀状は逆説的に訃報のような面倒を相手に与えているのでは無いかと感じずにはいられません。
「誰だよ。あぁ、新入社員か。ダリぃなぁ。適当にコピって送っといてよ。」
うん。
ここまで定型文。
この無益な慈善活動は今年が最初で最期にしたいものです。

12月31日
私は深夜のマクドナルドでただ一人。
くしゃくしゃに丸めた食べ終わった後の包み紙を視線に捉えながら、黙々とiPhoneの画面をポチポチとしている。
お盆に敷かれたマクドナルド広告のおじいや少女の笑顔がこちらを見ている。
思わず仲間にしてやりたくなるような眼差しだ。
耳元ではASIAN KUNG-FU GENERATIONの新譜が鳴っている。
とても心地が良い。
コーヒーを少し飲む。
淹れてからしばらく経ったことを知らしめるように冷んやりとした感覚を唇に与える。
私はその冷たさをじっくりと味わい。
外の世界に目を向ける。
信号機が赤から青に変わり、信号待ちしていた車を颯爽と追い越す小柄なスクーターがあった。
年賀状を書き続けて左手首が少し痛い。
クネクネと手首を回すと少しだけ楽になる。
今年もあと少しだと思うけれど、別段何も感じる事はない。
1ヶ月前も半年前もあったような日常を私は生きている。
平成30年最後の早朝をマクドナルドで過ごす事に少しの憂いもない。
コーヒーをもう一度飲む。
さきほどよりも冷えたように感じる。
冬を感じる。
外に出たら寒いだろうな、と当たり前な事を考える。
四季があるから日本人の心は豊かなのではないか、とふと考える。
暖かい、暑い、涼しい、寒い、様々な様式が身体に伝う。
なぜだろうか。
その一つ一つが心に浸透しているように感じるのは。
今日は寒い。
明日も寒いだろう。
こんなにゆっくりできたのは久しぶりだ。
そんな日々も良いものだ。
耳に鳴る優しい音楽と苦いコーヒー。
外は寒いが心はとても心地よい温度を保っている。
その寒暖さが心の豊かさなのだろう。
夏にはそれ以上の熱量を。
秋には寄り添うように同じ体温で。
そうした豊かさを文章にする。
会話じゃ表せない心の表現。
今、とても心地が良い。

2018/12/31 マクドナルドの隅っこ

#日記 #エッセイ #散文 #年末 #年賀状

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