映画「劇場」感想

今日は映画「劇場」を見た。2回目だ。1回目は、1回目の緊急事態宣言真っ只中。公開したての時期だ。とても話題に上がっていたので興味本位で見たのがきっかけだ。感想は、「退屈だ。」の一言。その当時の自分は対して映画や小説などが好きという訳ではなかった。笑えるような面白いもの。もしくは、泣けるような感動もの。でなければいい映画だと感じれなかった。

そう思うと今は、映画の中の登場人物たちの何気ない会話でも「めっちゃわかる。」とか(いい表情してるな。)とか...。例を挙げたら薄く見えるけれど、それでも自分なりに映画や小説を楽しめるようになったと思う。

さて、2回目を見て思ったことは素直になることの難しさ。である。これに尽きる。

友達、家族、恋人、自分の繋がりのある人達と接しているときに、頭では理解しているけれど、真逆の行動を取ってしまう。ということがあると思う。照れくさくて素直にありがとうが言えない。本当は好きだと思っているけれど、逆に突き放してしまう。恋人の友達に嫉妬して、そんな自分に嫌気がさして八つ当たりをしてしまう。

例を挙げたらキリがない。そういうとき。自分の気持ちを理解して欲しいという気持ち。自分の醜い感情を晒したくない、目を背けたいという気持ち。自分の方が悪いと理解しているけれど、認めたくない気持ち。色んな気持ちのせいで素直な感情表現が出来ない。そこに人間味を感じる。

でも、それは人によって作られた作品を見たときの感想である。その本人の内側にある感情を第三者として見ているから気づけるだけである。実際の対人関係においては、そう上手くいかないものである。それは、どうしても第三者目線で相手の言葉を受け取ることが出来ないからだと思う。主観の感情が発生してしまうと、他者の言葉をフラットに受け取ることが難しいのだと思う。人によって発信の仕方、受け取り方に出来、不出来があるのだろう。

「劇場」の主人公はこれがとても下手くそである。まるで自分のよう。自分を見ているかのようで恥ずかしいと感じるときもあった。恋人は、そんな主人公に振り回されて疲弊してしまう。当然である。献身的に振舞っていた彼女に不憫とさえ思ってしまう。

相手の気持ちに寄り添いながら自分の気持ちを素直に伝える。とても難しいけど、対人関係においてはそれがとても大事だと改めて感じた。最後の別れ際、素直に本音で話す姿に涙が止まらなかった。リビングで泣いてしまった。とても恥ずかしい。いい映画だった。

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