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琉球伝承の鍼灸療法にまつわる実話

30年以上も昔の話です。

当時、肝臓や腎臓が弱った人を治療する有名な民間療法師が居ました。喜納さんという方です。

民間療法とは、民間に伝わった療法に過ぎず、科学的根拠は無いとされていますが、この方の治療を受けて良くなる人が相次ぎ、口コミで訪れる患者さんが多かったそうです。

80歳を過ぎた頃、喜納さんは、自分が亡くなると治療法が失われてしまうことを心配しました。もはや彼以外に知る人が居ない療法だったんです。

彼は正式な鍼灸師ではありません。この療法を、頼まれる人に施してきたそうです。今では違反となるかもしれませんね。ともあれ、

誰かに引き継いでおきたい。

喜納さんが白羽の矢を立てたのは、鍼灸師の山元先生。当時40代。

現在75歳を過ぎましたが、バリバリ元気で、今も大勢の患者さんを診ておられます。

その民間療法は、琉球王朝時代から口伝で伝わってきたもので、山元先生は「中国大陸の療法が琉球に持ち込まれ、改良されてきたのではないか」と推測されていました。

さて、なぜこのような話を紹介したかというと、最近、ある患者さんにこの療法がとてもよく効いたからなんです。

今年の7月でしたか。知り合いからSNSでメッセージが届きました。

嫁の具合が悪く、足が腫れて歩けないほどになっているが、診察した総合病院の先生から「これ以上は良くならない。鍼灸に行ったらどうか」と言われた。あなたの通っている鍼灸院を紹介してほしい。

その縁で奥様が通うことになりました。

山元先生いわく。

「あなたの紹介で来た患者さんはね。足に触るだけで痛がるし、鍼を打った箇所からは体液がほとばしるので、バスタオルを何枚も持ってこさせたよ。肝臓が相当傷んでるね。しばらくは、毎日通ってもらうことにしたよ」

そして昨日。

「そうそう。あの患者さん。良くなったよ。今は仕事に行ってるよ。彼女、来た時は象の足ほど腫れていたけどね。」

その時、山元先生が、琉球王朝時代から伝わっている民間療法を彼女に施したのだと教えてくれました。

そして、30数年前に喜納さんが山元先生に描いた絵図のコピーを見せてくれました。絵自体は稚拙ですが、治療方法が細かに指示されていました。

「明治四四年六月十三日生まれ 喜納〇〇」と自筆書きがされており、正式に伝えたことを証明しているものです。実は、写真撮らせてもらいましたが、公開は控えます。

最近は、瞑想や鍼灸治療が西欧諸国でも受け入れられていますよね。

西洋医学は投薬や手術で患部を直接治療しますが、東洋医学は内側から根本的に治す治療法です。

壊れた部品を交換するのが西洋医学。全体をオーバーホールするのが東洋医学といった感じでしょうか。

かつて、西洋医学一辺倒となり、鍼灸、漢方など東洋医学が軽視された時期がありました。「西洋医学を学んだ者のみ医師としての開業を許可する」政策を明治政府が打ち出したことが原因です。

今では、現場の医師ですら、薬や手術で治せない患者に鍼灸を勧めます。

参考までに私の主治医は、西洋医学分野の内科医と、鍼灸師の山元先生のお2人です。内科医の先生もまた、山元先生のお世話になっています(;'∀')。