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女の子の前ではみんな少しおかしくなるみたい (皐月物語 35)

 古い建物の小百合さゆり寮は階段の傾斜がきつい。藤城皐月ふじしろさつき入屋千智いりやちさとを男たちの視線から守るため、一番最後に階段を上らせた。階段を上り切った正面には御手洗いがあり、右手にある扉が皐月の部屋の出入り口になっている。左手にはこの建物が旅館だった建物のため、窓際に廊下が巡らされている。
「皐月君の家にはよく遊びに来るけど、こっちを通るのは初めてだ」
 御手洗いの横の洗面台の大きな鏡の前で、みんなの姿を見ながら今泉俊介いまいずみしゅんすけは嬉しそうにしている。
「でっけえ鏡。イェ~イ」
 俊介が鏡に向かってダンスをし始めた。皐月はよく俊介とネットで流行っているショート動画のダンスを踊っている。俊介はセンスがあるのか、ダンスの覚えが早い。今日の踊りは皐月の知らないものだったが、妙に様になっていた。月花博紀げっかひろきと月花直紀なおきは鏡越しに俊介を見ながら感心していた。
「レトロで素敵。昭和にタイムスリップしたみたい」
 千智はさっき2階から下へ降りる時にこの洗面所が気になっていたらしい。古めかしい大きな鏡だけでなく、二つあるタイル張りの洗面台や、蛇口を受ける陶器、及川祐希おいかわゆうきのトイレタリーを珍しそうに見ている。
「うちの洗面台は千智ん家のとは全然違うんだろうね。でも物を置く棚とかないから使い勝手は良くないよ」
「これって祐希さんの?」
 博紀が洗面台に置きっぱなしにされているコスメ用品を見て興味を示した。
「そうだよ。まあ頼子よりこさんのも一緒に置いてあるみたいだけどね」
「なんか俺ん家にないものが色々あるな」
「祐希は女子高生だからお洒落さんなんだよ。おれも最初は物珍しさに驚いた。千智もこういうの使ってるの?」
「特に何も使ってないよ。今度祐希さんに貸してもらおうかな」
「5年生にそんなの必要ないじゃん」
 学校では見せない千智の表情を見て直紀が絡んでくる。
「直紀って最近の小学生のファッション誌、見たことある? 小学生なのにメイクとかしてて、マジでビビるぞ。みんなスゲ~かわいいから」
「そんなの知らんよ。てか皐月君、女のファッション誌なんて見るの?」
「こいつさ~、男のくせにクラスの女子とよくファッションの話とかしてるんだぜ。チャラいよな」
 千智の前でバカにされたような気がして、皐月は博紀に少しイラついた。
「お前がファンの子たちの面倒を見てやらないから、俺がお前の代わりに声かけてやってんじゃん」
「お前が好きで女子にちょっかいかけてるだけだろ。俺のためにとか言うなよ」
 さすがにこの理屈はなかったかな、と皐月は苦笑いをした。こんなところで博紀と言い合っても千智の前でボロを出しそうなので、早くこの場を離れることにした。

 ふすまの開け放たれた頼子の部屋に皐月が入り、みんなを部屋の真ん中にある炬燵に座ってもらった。風が多少通るとはいえ、まだ暑いのでエアコンをつけた。俊介はミニコンポの近くの席を陣取っている。
「ちょっと部屋から麻雀牌まーじゃんぱいとマットを取ってくるわ。部屋の中の物、勝手にいじるなよ」
 皐月が部屋を出ると、俊介が早速ミニコンポを触りだした。
「俊介、皐月君が勝手に触れるなって言ってたじゃん」
「大丈夫だって。俺んにもステレオセットあるから、使い方は知ってる。これ、ケーブルがあればスマホ繋げられるな。あとで皐月君に聞いてみよ」
 俊介は直紀の忠告を無視して、頼子が持っているレコードやカセットテープを物色し始めた。
「入屋さん、今日は祐希さんに会いに来たの?」
 博紀が珍しく自分から女子に話しかけた。
「はい。月花さんもそうなんですか?」
 千智は咄嗟に嘘をついた。意図的に嘘をついたというわけではなく、博紀の思い込みを利用したら結果的に嘘になった。博紀の皐月に対する態度を見て、千智は博紀を警戒している。
「直紀に祐希さんの写真を見せたら、一度会ってみたいって言うから、皐月ん家に連れて来てやったんだ」
ちげぇよ。兄ちゃんが祐希さんに会いたそうにしてたから、俺が気ぃ使って会ってみたいって言ってやったんじゃん」
 博紀が小さく舌打ちをした。
「お前ってさ、祐希さんに会えるよりも入屋さんに会えたことの方が嬉しいんじゃねえの? 言ってたよな、入屋さんに全然口きいてもらえなくなったって」
「出鱈目言うなよ、クソ兄貴!」
 直紀がキレて博紀の肩をド突くと、博紀も仕返しに後頭部を叩いた。
「やめなよ、博紀君もブキミも」
「入屋の前でブキミって言うな!」
 直紀は勢いで俊介もド突いた。
「痛ぇな、馬鹿野郎!」
 普段は温厚な俊介も直紀にド突き返した。二人が睨みあい、喧嘩が始まりそうになった。二人が動いた瞬間、千智がテーブルをドンっと叩いた。
「いい加減にしてよ!」
 千智が正座していた状態から立ち上がり、二人だけでなく、博紀にも責めるような眼で睨みつけた。三人は千智を見上げ、茫然としている。部屋が静寂に包まれた。
「お待たせ~って、何やってんだ? お前ら」
 皐月が能天気な顔をして薄汚れた木箱に入った麻雀牌とマットを持ってきた。振り向いた千智が微妙な顔をしていた。
「俺たち今、入屋さんに怒られてたんだよ」
 博紀が申し訳なさそうに言う。
「怒られたって、千智に? おれ、千智の怒った顔、見たことないや。見たかったな~」
「先輩、変こと言わないでよ。恥ずかしいな……」
 千智から怒気どきが消えた。
「お前ら、千智を怒らせるようなことするなよな……で、何したんだ?」
「ちょっと三人で喧嘩けんかになっちゃってさ。まあ、俺が一番悪かったんだけど……。ごめんな」
 博紀が誰に言うともなく謝った。
「なんだ、喧嘩か。それより麻雀しようぜ」
 千智に座ってもらい、千智と博紀の間に皐月が割って入り、テーブルの上に麻雀マットを敷いた。
「千智ごめんな。俺たちってこういう事、よくあるんだ。全然大した事ないから気にしなくてもいいよ」
「そうなの? あまりこういうの慣れてないからちょっと驚いちゃって」
「悪い子を叱ってくれたんだね。ありがとう」

 木箱から牌の入った引き出しを抜き、麻雀マットの上に置いて麻雀牌を出していると、皐月は俊介がミニコンポの電源を入れたことに気が付いた。俊介はダブルデッキに入っているカセットテープを取り出し、まじまじと見始めた。
「俊介、勝手に部屋の物触るなって言っただろ」
「皐月君、このテープ超かっこいい! とても過去の遺物とは思えないクールなデザイン!」
「おいっ!」
「カセットのケースがいっぱいあるんだけどさ、タイトルがレタリングされてるよ。丁寧に手書きで書かれているのもある。レトロポップだよね。すっごく宝物っぽくて、いいよね!」
「いいよね、とかじゃなくてさ……」
「これ、再生してもいいかな?」
 俊介の興奮が皐月にも乗り移ってきた。
「ちょっと頼子さんに聞いてみるわ」
 皐月も好奇心が抑えられなくなり、頼子にメッセージを送ると、すぐに返信がきた。
「いいってさ。俊介、そのテープってどんな曲が入ってるの?」
「『MY BEST 沢田研二さわだけんじ』だって。古っ! でも俺、ジュリー好きだよ」
「そういえばマスターも沢田研二のこと絶賛してたよな」
 純喫茶パピヨンのマスターはよく皐月に昭和歌謡の良さを語っていた。俊介も親の影響を受け、皐月にあれこれ勧めてくる。皐月も俊介のおすすめの動画をネットで見て、昭和歌謡にハマった時期があった。
 俊介がデッキにカセットを入れ直し、再生ボタンを押した。しばらくすると曲が流れ始めた。
「『勝手にしやがれ』だ! この曲ってさ~、女に振られた男の歌なんだけどさ、ジュリーが歌うとかっこいいんだよね」
 ミニコンポから流れるカセットテープに録音された音楽はなかなかいい音を出していた。このテープのプレイリストが知りたいと俊介が歌いながらカセットケースを探している間に、千智たちが麻雀牌をマットの上に広げていた。
「私、麻雀牌って初めて触った。大きさと重さがちょうどいい。触り心地もいいね」
 初めて牌を触った千智が積み木で遊ぶように牌で遊んでいた。牌と牌が触れると「チチッ」と軽い音がする。
「いい音」
「この牌は骨と竹でできているから、音が優しいんだ。プラスチックだともう少し音が甲高くてうるさいかな」
「骨って何の骨?」
「象牙かな? 牛かもしれない。よくわかんないや。とにかく古いものみたいだよ」
「年代物って感じだね」
「ビンテージって言いたいところだけど、ちょっと黄ばんでいたり、所々黒い斑点みたいのがあったりで、そんなにいい物じゃないのかもね」
「でも私、これ好きだな」
 千智は楽しそうに麻雀牌をもてあそんでいる。皐月はこの古い牌のことは嫌いではないが、新品の黒い牌が欲しいと思っていた。しかし千智が喜んで遊んでいる姿を見て、この牌をこれからも使い続けようと思った。

 部屋の襖が開き、頼子が飲み物を持ってきた。エアコンが効き始めていたので外の蒸し暑い空気が部屋に流れ込んでくる。
「飲み物、どこに置こうかしら」
 テーブルに麻雀マットを敷いて牌を広げているので飲み物の置き場がない。
「お盆、そこに置いておいてくれればいいよ。あとはウチらで適当に飲むから。みんな、こぼさないように気を付けてくれよな」
 卓上にはコップを置けないので畳の上に直接置くしかない。ドリンクはコースターに乗せられているので結露で畳が濡れる心配はない。
「あの~、沢田研二好きなんですか?」
 俊介が頼子に話しかけた。
「ええ、そうなのよ。リアルタイムで全盛期のジュリーのファンだったわけじゃないんだけどね」
「じゃあ頼子さんは誰のファンだったの?」
 皐月もカセットテープのラインナップが気になっていたので、頼子に聞いてみた。
「私は昔からジャニーズが好きだったの。昔のジャニーズならそこに LP があるから好きに聞いてくれてもいいわよ……って今時の男の子がそんなの聴きたがるわけないか。娘の祐希も私の趣味に興味を示してくれないし」
 頼子の口調が早口になってきた。本当は語りたくてしかないがないって感じだ。皐月は教室で隣の席だった、ジャニオタの筒井美耶つついみやのことを思い出した。
「俺のクラスにジャニオタの子がいてね、そいつはジャニーズならいつの時代の誰でもいいみたいなんだ」
「筒井のことだろ、それ」
「ああ。あいつ、俺にまでジャニーズ聴けって推してくるんだぜ。俺、男なのにさ」
「俺の母さんからもいろいろ勧められてたよね、皐月君」
「そうそう。俊介のママンもジャニオタだもんな。頼子さん、パピヨンのママと気が合うんじゃないかな」
「ぜひうちの店に通ってください。頼子さんのこと、母さんに話しておきます」
「これからはモーニングに寄らせてもらうから、お母さんによろしくね、俊介君」
 頼子が嬉しそうに部屋を出て行った。沢田研二のテープはそのまま流しっぱなしにしている。曲は『コバルトの季節の中で』に変わっていた。
「そろそろやろうぜ、麻雀」
 頼子が淹れてくれたスパイスの香るアイスミルクチャイを一口飲み、みんなで美味しいねと気分が盛り上がる。千智がいることでいつもよりみんなハイテンションだ。千智の前でカッコ悪い姿を見せたくない……皐月だけでなく他の3人もそう思っているに違いない。


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