八阪廉次郎

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【書評】戦争映画の政治学―坂本多加雄著『スクリーンの中の戦

 坂本多加雄の名前を初めて知ったのは、九年前に読売新聞社から出された『知識人』によってであった。明治の北村透谷から戦後の司馬遼太郎までの思想人物を各項目ごとに偏りなく整理した手法は、近代日本の思想と文学の歴史を公平な目で捉え、この政治史家の学者としての篤実な姿勢のみならず、優れた思想家としての平衡感覚がよく凝縮されている。残念ながらすでに三年前、五十二歳の若さで亡くなり、直接お目にかかる機会も逃してしまった。  もう坂本さんの新しい論考に接する機会わないと諦めかけていた矢先、

    • 恐慌と国家変革

      昭和恐慌は、リフレーションによる景気刺激策によって、辛うじて難を乗り越えることができた。しかしながら世界規模の経済危機は、近代資本主義経済そのものの限界を示す事態ともいえる。 昭和の農本思想やブータン王国の例からも、今こそ東洋的な精神文明を加味した「国家百年の計」が求められている。 日本経済の行詰 「『模倣』に由る発達を打開するには『創造』に由る発達に方向転換をやる外に策はない。(略)例へば、その政治、教育制度が画一的中央集権である如きは、『模倣』には便宜なるも、事情を異

      • 「国難」への覚悟―犬養毅と濱口雄幸

        一、昭和の實盛、起つ  昭和四年(一九二九)六月二日、犬養毅は頭山満とともに中国を訪れた。四年前、「革命未だ成らず」の言葉を遺した死んだ孫文の墓が、北京から南京郊外に移されることになったのである。頭山とともに、「大アジア主義」の理想を掲げて辛亥革命の手助けを惜しまなかった犬養は、時の国民政府の蒋介石から、国賓の待遇を以て迎えられた。  孫文が亡くなった大正十四年(一九二五)、国内で普通選挙法が公布されると、犬養は政界からは引退。信州富士見の白林荘で悠々自適の日々を送っていた

        • 近現代文化の諸問題 第8回 故郷喪失の時代~小林秀雄「故郷を失つた文学」と萩原朔太郎「日本への回帰」

           前回は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」から日本における和と洋の文化の二重構造について考えて頂きました。 今回取り上げるのは、近代化の過程の中で、文学思想上問題となる「故郷喪失」というテーマです。  それを日本で最初に正面から提起したものとして、昭和期に活躍した批評家・小林秀雄が、昭和8年に『文藝春秋』に発表した文藝時評「故郷を失った文学」が挙げられます。今回はその一部を読みながら、日本の近代化の到達点と「故郷喪失」といった問題について、考えていきたいと思います。  東京生まれの小

        【書評】戦争映画の政治学―坂本多加雄著『スクリーンの中の戦

          近現代文化の諸問題 第7回 二重化する生活空間~谷崎潤一郎『陰翳礼讃』~

           和辻哲郎が阿部次郎とともに、一高時代に親しくしていたもう一人の人物がいます。昭和期を代表する文豪の谷崎潤一郎です。  稀代の哲学者の和辻と、晩年まで男女の情愛を描いた作品で文名を高めた谷崎との交流は意外に思われるかもしれません。  しかしながら、もともと和辻は戯曲などの創作の才能があるほどの文学青年でした。  早くから海外文学を英語で愛読していたのも和辻でした。  ある日、和辻が読んでいたワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を谷崎が借り、返却する時、谷崎は和辻にこう言い放

          近現代文化の諸問題 第7回 二重化する生活空間~谷崎潤一郎『陰翳礼讃』~

          近現代文化の諸問題 第6回 島国の風土と国民性~和辻哲郎『風土』~

           第5回では、唐木順三の『現代史の試み』という著作から、現代にもつながる「大正教養派」の問題点に迫りました。  今では、「教養」という言葉はすっかり定着した感がありますが、実はこの言葉が新しい知的概念として知識人の間で持てはやされるようになったのは、歴史的には二十世紀初頭、日本の年号でいえば、日露戦争に勝利した明治末期から大正時代にかけて…であったことが理解できたかと思います。  では、明治世代はどのような言葉があったのか。それが「修養」でした。 「修養」というと、前近代的な

          近現代文化の諸問題 第6回 島国の風土と国民性~和辻哲郎『風土』~

          近現代文化の諸問題 第5回 教養とは何か~唐木順三『現代史への試み』~

           第4回では、自然主義作家・田山花袋の視点から、明治末から大正期の首都を舞台に、江戸~東京への移り変わりの視点を振り返ってきました。  近代文学の誕生は、これまでの韻文による物語の世界から、散文による新しい〝小説〟という分野を生み出しました。  「自然主義」というリアリズムの視点があったからこそ、花袋は江戸から東京への都市空間の変遷を客観的に対象化することができたわけです。  とりわけ大正末期の関東大震災は、明治末まで辛うじて残されていた江戸文化の遺産を焼き払うものでした。

          近現代文化の諸問題 第5回 教養とは何か~唐木順三『現代史への試み』~

          近現代文化の諸問題 第4回 都市空間の変貌~田山花袋『東京の三十年』~

           今回取り上げるのは、夏目漱石よりは4歳年下、島崎藤村の一歳年上の世代にあたる田山花袋という作家です。  花袋といえば、文学史上、『蒲団』や『田舎教師』を書いた自然主義作家として知られています。  花袋は明治4年(1872)、現在の群馬県館林市に生まれました。  父親は警視庁邏卒という、今でいう警察官となり、田山一家も上京することになります。  ところが父は明治十年、あの西南戦争に従軍して、熊本で戦死してしまいます。再び田山家は群馬に戻ることになるのです。  10代の花袋は、

          近現代文化の諸問題 第4回 都市空間の変貌~田山花袋『東京の三十年』~

          近現代文化の諸問題 第3回 文明開化の功罪~夏目漱石「現代日本の開化」

           日本近代の出発はおよそ黒船や明治維新から始まるということで間違いありませんが、その文明開化路線に方向性が決定づけられるのは、「明治六年の政変」以降と考えられます。つまり西郷隆盛の維新精神から大久保利通の「富国強兵」路線への大きな転換がここで行われたわけです。  明治10年の西南戦争をはじめとする、士族の反乱は、そうした新政府の文明開化路線への最後の抵抗という見方もできます。  その綱引き関係は、その後の自由民権運動を経て、明治末期の日露戦後の条約改正まで続きます。  中でも

          近現代文化の諸問題 第3回 文明開化の功罪~夏目漱石「現代日本の開化」

          講義録「近現代文化の諸問題」第2回 近代はいつから始まるのか~島崎藤村「前世紀を探求する心」

           第1回では、「歴史は繰り返されるのか」というテーマで、柄谷行人の「一九七〇年=昭和四十五年」を紹介しました。  柄谷は「昭和」が終わろうとしていた今から30年ほど前の1988年(昭和63年)に、日本の近代史は60年周期で繰り返されている…という仮説を立てました。  もちろん過去の出来事がまるで亡霊のようにそのまま繰り返されることなどありえません。しかしながら、マクロ的な視点で見れば、現代の長期低迷化する経済や震災をはじめとする自然災害からの復興、一触即発の外交問題などを目に

          講義録「近現代文化の諸問題」第2回 近代はいつから始まるのか~島崎藤村「前世紀を探求する心」

          講義ノート「近現代文化の諸問題」第1回 歴史は繰り返されるのか~柄谷行人「一九七〇年=昭和四五年」

          新元号「令和」に改元されてから既に三年が経ちました。 歴史上はじめて、四書五経のような中国の古典ではなく、『萬葉集』という「国書」が出典になったということで、一つのお祭りムードになったことは、皆さんも記憶に新しいところでしょう。 しかしながら、喜びもつかの間、改元から間もなく大型台風の到来や新型ウイルスの席捲、それに伴う経済不況も予測され、出発当初から厳しい時代の予感が漂っております。 令和元年のの秋、新天皇陛下の即位儀礼と共に古来からの皇位継承に伴う儀式・大嘗祭が斎行され

          講義ノート「近現代文化の諸問題」第1回 歴史は繰り返されるのか~柄谷行人「一九七〇年=昭和四五年」